過去の仏事相談例:宗教について
人生相談や先祖・水子供養など相談例
「宗教」についてのご相談です
宗教の違い |
投稿者:優子
私には付き合って五年になる彼がいます。そろそろ結婚も考えております。
申し分のない彼なのですが、お互いの宗教の違いに悩んでおります。
私の実家は仏教を信仰しており、彼の実家は新興宗教を信仰しているようです。
宗教は個人の自由ですから私はお互い問題ないと思います。
がしかし、結婚となると踏み切れません。私は一生仏教を信仰したいと強く思っているからです。
私が結婚して、もし不慮の事故や病気等で死んでしまったら、彼の家の宗教の仕方で祭られるのでしょうか?
お墓はどうなるのでしょうか?また、結婚しても宗教は別々に信仰できるものなのでしょうか?
何か、アドバイスをいただければ幸いです。長文で申し訳ありません。 |
Re:宗教の違い |
投稿者:知恩院の檀家
お亡くなりになった後の話よりも、
現実問題としては、お子様が生まれた場合の対応が先になります。
その話をしたことがあるでしょうか?
彼と家族の熱心さによりますけれども
通常は我が子を同じ宗教に入れようとしますし
それで彼も彼の家族と同じ宗教に入っているのでしょう。
彼の意見が書かれていませんが、何か話し合ってみたでしょうか?
ただ、話合ったからと言って契約ではありませんし
こういう約束は相手方の熱心度によって
あってなきがごとしものですので、その辺のご判断はいると思います。
死んでからの対応も確かにありますけれども
とりあえず産んだ子供がどうなるか、です。
出来ればその新興宗教の名前があるとまだいいのですが、
固有名詞はサイト規約上御法度なのでしょうか・・
ほのめかしてくれるくらいならいいと思うんですが・・。
新興宗教の中には、墓は先祖伝来の従来のまま(葬式も)で良いというものもあれば
墓も仏壇祭壇も、変えてしまえというものもあります。
信仰についての考え方も、穏健に信者の自主性に任せるところもあれば
半ば強制的に信仰を勧めるところもあります。
ただ一般的には新興宗教は新しい分、良くも悪くも情熱に燃えていますから
その情熱がいきおい独善に流れやすく、教祖への絶対服従や
他の宗教を否定しやすい傾向にあります。
その宗教の名前で検索をかけてみて
評判を見てください。一般に新興宗教は
好奇の目で見られますが、単なる興味本位のものか
社会的に害悪とされるものかである程度でその宗教の持っている
雰囲気がつかめることがあります。多額の金銭を要求するようなものは
詐欺ではなくても、その寄附を支えるだけの独善的な支配システムが背後にあります。 |
他の宗教について |
投稿者:オチアイ
はじめまして。
私は現在アメリカに留学中の学生ですが、そこで宗教についての悩みがあります。
ご存知のことかと思われますが、アメリカには色々な人種の方々がいまして、彼らはそれぞれ違った宗教を信じています。
仲の良い友人たちはキリスト教とイスラム教を信仰しています。
個人的に宗教に興味がありますので、よく討論するのですけど、彼らは彼らの宗教を真実だと捉えながら意見を言うのに対して、私の意見はずいぶんとあやふやなものになってしまうのです。
それは自分自身、仏教を強く信じていると実感がないからです。
元々、自分が知っている仏教的な要素はどれも家族や親戚、周りが行なっているからとの理由から身に付いたものです。
自発的に動いた結果ではないので、いつもお前の宗教は何だと問われたときにうまく答えられないのが現状です。
無宗教と言ってしまえば楽なのでしょうが、それも抵抗があります。
それでこれはいかんと友人たちから宗教の話を聞くわけですが、キリスト教もイスラム教も仏教もそれぞれの言い分がありまして、さてどれが本当なのだろうと首をかしげるわけです。
気持ちで言えば、仏教が馴染み深いのですが、それはただ日本に生まれたと言う理由からで、仏教の教えを自発的に共感したわけではないと思います。
キリスト圏の国で生まれればキリスト教をイスラム圏で生まれればイスラム教を信じていたかもしれません。
日本にいるときはこんな疑問を持たなかったのですが、どれか一つ宗教を選べと言われたときに何かアドバイスなどはありますでしょうか?
個人的には多くの信者を抱える宗教はどれも良いことを言っており、信じる分には不足はないのですけど、どれか一つを選べと言われたらやっぱり選べません。
さてどれを信じるかと情報を整理しようとしてみても、それぞれの宗教で言っていることが異なりどれが本当なんだろうと迷ってしまうわけです。
そこで質問なのですが、皆さんが宗教を信じているのでしたらそれはどんな理由でその宗教を選んだのでしょうか?
何かきっかけみたいなのがありましたら、ぜひ教えていただきたいのです。
敏感な部分かもしれませんが、何かありましたらどうぞお願いします。 |
Re:他の宗教について |
投稿者:仏教者
初めまして。宗教は?と問われれば、仏教と答えます。
何故か、それは一番和を大切にした教えだからです。
たとえば、キリスト教は一神教で他を否定したりします、イスラムもそんな傾向がありますよね?
仏教では、違う考え、違う思い、違う思想があって当たり前ですよと言ってます。しかし、苦しみを感じる心には共通があり、そこを○○することによって良い心の状態をつくることが出来ますよ。
と教えてくれています、創設者の御釈迦様は他宗の批判や中傷はしませんでした。怠けること、堕落することに繋がる宗教は批判しましたが、日々精進あれという宗教については何もいわなかったそうです。
また、批判や中傷を(攻撃)すれば必ず帰ってくる事が分かっているのにする必要は無い(苦しみや憎しみに繋がる)しかし、怠けのある教え導きはとめなければならない、その先に苦しみがあるから。
心の法則を説いています。その教えは、日本と言う国で根づいています。極当たり前にやっていることが、お釈迦様の教えだったりします。
例えば、はっきりとNOと言わないことも相手を傷つけない為に和を考え柔らかくお断りしていますよね(ファジー)曖昧だったりします。
日本とはそんな、柔らかな仏教思想があるから大した争いも無くキリスト教等の宗教が布教しやすかったのだとおもいます。
また、日本ではキリシタン虐殺の経緯がありますが、これは他を認めない一神教の教えから招いてしまった結果ではないでしょうか・・・
自分の宗教が一番だとか番付は無いと思います。人それぞれ考え方や育ちが違うのであると同じように、信じる対象が違って当たり前でしょう。
他を認めず、自分こそ正しいと言われる事の方がおかしいものです。また、信じさせよとする事など間違ってはいないでしょうか?信じさせられる人は苦しみの中に押し込まれる訳ですから。
その教えもアリかなという位の認識で良いのではないでしょうか。人は認識を共有したがるものですが、強要してはいけないということ、される側は苦しむのですから。
ですから、どんな宗教であれ自分で考え、正しいと思うことを行えば良いのではないでしょうか?(それが自由というもの。自由とはすべての選択は自分にあるが選択による責任はすべて自分にある)自分の選択が間違っていたならば苦しみに繋がる。苦しみより抜け出すにはこおゆう方法がありますよ。宗教とは苦しみの脱却を目的にしているものが大半だと思いますが…。
ただなんとなく仏教みたいなものでもかまわないと思いますよ。これを機会に少し学んでみては?私は仏教を他宗をも認めてしまう大きな教えだと思っています。「そんな小さなことに拘らず、もっと広い視野を持ちましょうよあなたの宗教だって、あなたの宗教だって良いこといっぱい言ってるのですからお互い学び会えばいいでしょう?要は幸せを感じ、生きる喜びを感じ幸福感を味わえればいいのですから」
聖徳太子の言われている言葉「和を持って貴しとなせ」その通りだと思います。あらゆる宗教が手を結び和を作れば幸せってありえると思いません?
宗教自体に執着しているから苦しむんじゃないかな? |
Re:他の宗教について |
投稿者:巳朱
オチアイさん こんにちは。
信じるきっかけですか。
私は僧侶ではありませんが、在家で仏教を細々と学んでいます。どの宗派に属しているかとか、どのお寺の檀家だとかそういうことはありませんが、個人的には密教系、現ダライラマのご著書が仏教を学ぶ上で大変役に立っていると思っています。
そこにたどり着くまで、結構様々な宗教遍歴をしました。キリスト教系の団体に籍を置いていた事も、新宗教の団体にいたこともあります。生きにくさとの戦いの中で、さまざまな宗教に救いを求めました。
そんな中で、私はダライラマ猊下が解説してくださっている、仏様の説く空についてのこと、空を理解するための縁起の法則についての事に、感銘を受け、これが自分にとってしっくり来る宗教となって今に至っています。今のところは・・・・。
そうして、私は自分が仏教徒であるという自覚に至ったわけですが、様々な宗教を遍歴したおかげで、今の私の信仰があると思っています。
それはある時、どの宗教も根本的には説いている事が同じなのだという事に気がついたからです。ただ、細部の表現が違っているために、別の物として見えていて、対立する事にもなっているのだとわかったからです。
キリスト教も、イスラム教も、仏教も、長い歴史があり世界的な宗教となっているものどれも、目指している世界に違いはありません。平たく言ってしまえば「みんなが心安らかに安心して生きていく事が実現した世界」でしょう?
イエスはイエスの言葉でその方法を語り、マホメットも仏陀もそれぞれの言葉で「こうすれば理想の世界が実現する」と語っています。ただそれだけなんです。
そこに違いが見えてしまうのは、悟った方々(イエスやマホメッドや仏陀)の教えではなく、今、生きて私達と同じようにただの人である人の話す、宗教についての話を丸ごと全部信じようとするからです。
信仰とは個人的なものですから、その人が語ることというのは、その人の感覚での真実なんです。自分にもそれが真実となるとは限らないです。
(このような感覚の事をクオリアと言うそうです)様々な宗教が真理を説きますが、それはとても複雑な立体物に例える事ができると思います。
えっと、例えば円柱形を思い浮かべてください。ビールの缶みたいな形です。
これを真上から見れば円に見えます、真横から見れば長方形に見えます。私達はそれがビールの缶だと知っていて、手に触れて触る事もしていますし、立体としてとらえるだけの感覚を持っていますから、その真実の形が円柱形であるとわかりますが、もしその対象物が何かわからなくて、ある一点からのみ見た姿しか、自分に見えなかったらどうでしょうか?そして、一人一人違う視点から見たその対象物をそれぞれに語ると、どういうことが起きるでしょうか?
ある人は「それは丸い」と言うでしょう。違うある人は「いや、四角い」というでしょう。誰が正しい事を言っていますか?誰が正しいと決める事ができますか?
キリスト教圏で生まれた、イスラム教圏で生まれた・・・・というのは、この例にすれば、それが丸く見える場所にいるか、四角く見える場所にいるかという違いです。
真理は円柱形のような単純な物ではありませんので、ほんとうに様々な視点から様々な形に見えてしまうものなので、たくさんの宗教があるということになってしまっています。
それと、オチアイさんが混乱するもとは、日本という国の良く言えばおおらかさ、悪く言えばいい加減さも原因となっていると思います。
日本において真面目に宗教を考え、しっかりした信仰心を持っている人は、世界の国々と比べるとかなり少ないと言わざるを得ないのが実情だからです。
日本人のほとんどの人が宗教についてあまり深く考える事なく、ただ周りがやっているからというだけの理由で、正月に神社に初詣に行き、お盆に先祖を祀り、結婚式を教会で挙げ、クリスマスを騒ぎ、葬式にお坊さんに読経し
てもらいます。家は何々宗という言い方をしてみたり,どこそこの寺の檀家だと言っても、自分でそれを選んだ人は少ないです。おっしゃるように、家族や親戚がそうだから、先代からそうしてきたから、ただそれだけの理由です。
また、キリスト教圏やイスラム教圏の人達のように、親が信仰について深く語り子供に教える事もほとんどありません。義務教育でも習いません。一部、私立で宗教団体が経営している学校では、宗教についての時間がありま
すが、それすら先生からしてあやふやな信仰心のままざっと歴史をなぞるぐらいですから、公立の学校へ行った人よりも、宗教行事にちょっと詳しい程度です。
そして、おおよその人の意識としては、深く宗教を語ることは「胡散臭いカルト集団」と同じ事に思われています。宗教は真面目に考えるものではなく、惰性で宗教行事をするものという扱いです。
先の真理を見る場所の例えからすると、日本という国はどの角度からも真理を見る事がなく、幾重にもカーテンに囲まれた部屋の中にいて、そのカーテンの隙間から漏れ聞こえてくる様々な噂をBGMにしている国みたいなものですね。固定された視点を持っていない事は、ある意味では真理を立体的に理解するのに有利ですが、そこに至るまでの道案内をしてくれるものすらないので、真摯に信仰を求めようとすれば、試行錯誤の繰り返しをして自分の意志で進んでいかない限り、なにも見えないです。
ぼーっとしていると、上辺だけいいことを言うカルト集団に取り込まれて洗脳されてしまいますしね。(ええ、基礎となる宗教がしっかりしていないということで、私達日本人はカルト集団のエセ宗教に引っ張られやすいんです)
これは、まるで私達ひとりひとりがそれぞれに、仏陀が歩まれた悟りへの道のりを自分で見つけていこうとしているのと同じ位大変な事だと思います。
いえ、それ以上かもしれません。仏陀でさえ基本に当時の宗教がありましたから、イエスもマホメッドもそうです。
彼らはみな、既存の宗教に対する疑問から出発して、真理を立体的に理解し、それを自分の言葉で表現されてきた方々です。
だから、慌てて自分の信じる宗教を決めなくていいですよ。もっともっといろんな宗教を信仰している人とお話ししてください。どれをも信じようとするのではなく、それぞれいろんな角度から見ている話なのだと受け止めてください。彼らの視点から見えているものの疑問や矛盾を自分なりに考えていく事で、自分の信仰を見つける事ができますよ。
仏教にこういう言葉があります。
「自灯明、法灯明」
意味は「自分を拠り所にして他人を拠り所にする事なく、法(真理)を拠り所として、他を拠り所とする事なく、(心が安定して何も不安がない状態になれるように)精進しなさい」という事です。
色々と書きましたけれど、私は仏陀がこうおっしゃるから、自分は仏教徒であると胸を張って言えるのだと思っています。 |
Re:Re:他の宗教について |
投稿者:オチアイ
巳朱様、仏教者様、お返事ありがとうございました。
お二方の話を聞いて、焦ったりせずにゆっくりやっていこうと思いました。
いつか、アメリカの友人たちのように何か信じられる宗教に出会ったら、それを信仰しようと思います。
それまでは、色々な話を聞いたりしたいと思います。
どうもありがとうございました。 |
狂信的な息子 |
投稿者:迷える母
投稿日時:2005/09/07 22:59:42
息子23歳ことでご相談いたします。よろしくお願いいたします。
息子は高校時代友人よりある宗派の仏教を紹介されました。
浪人中も親に隠れてバイトをし、つぎこみ、霊をとってもらったり、供養してもらっていました。親は初めてそのとき気がつきました。その間いろいろ家族の中でもめることもありました。本人によれば宗
教ではなく科学であり、波動・念波・グラビトン・結界の世界のようです。親には理解の超えた世界でした。大学に入り法話を聞きに行くようになりました。大学生なので本人の意思判断に任せていました。
しかし昨年春主人が現代医学では不治の難病になりました。家族思いの息子は僧侶にお願いし、悪い霊をとってもらうのがいいと言いました。
私ども親も懐疑心をもちながらも弱い心からお願いしました。
代替医療の中に祈りの療法もあると聞くので、祈ること自体よいことだと思ったからです。
セラミックにエネルギーを入れてもらったり、結界を張ったり、他の家族に対しても同様の供養等が必要とされました。
医師からは見放されている中で、「必ず治る」と励ましてくれた唯一の存在であったため、
理解はできないものの、ありがたい気持ちで信じる努力をつづけました。
しかし、一ヶ月で治るという最初の言葉とは裏腹に回復の兆候はあまり見られないまま、
多額のお金が次々に請求されました。多額とはいえ一市民がなんとか出せる10万単位の金額でした。
こうしたことが1年続きました。息子はこの春就職しました。
先日主人に破滅を意味するマイナスのエネルギーが入り、家族全員死ぬという検索結果をその宗教からもらいました。
息子はパニックになり、家族に向かい「お前たちが信じないからこうなった」と暴力をふるってせめたてます。
家の中はメチャメチャです。
確かに信仰の自由はあります。しかし家族に暴力を振るい、信仰を強要するのには耐えかねます。
息子に平常心を取り戻したいと思い悩んでいます。
本来なら、主人の治療に専念したいのですが、その状況ではありません。
どうか、知恵をおかしください。 |
Re:狂信的な息子 |
投稿者:匿名
投稿日時:2005/09/07 23:31:29
用件だけで失礼します。
宗教についての心得は、他の人がするでしょう。
宗教詐欺の典型と思われます。
家族全員死ぬなどと言っていますが、
今に必ず「特別な祈祷があるので、それをやれば、少なくともお父さん以外は確実に救える」などと
言って金品を要求してくるのに相違ありません。
これで、詐欺のつじつまはあいます。
下記、紀藤弁護士のHPで、メールを出した方がいいですね。
その集団の名前を書いて、被害届がないか、今後の対策を聞いてください。
テレビでもご存じでしょう。オウムや法の華など、
宗教詐欺専門の弁護士です。被害届等について知っておられる可能性があります。
知らなくても、対応策の蓄積はあります。
http://homepage1.nifty.com/kito/
それから、ネットでも、その集団の名前を検索されてみてください。
被害者がHPを立ち上げていたり、評判が見えることがあります。
困りましたね。
無信仰が流布する反対で、
一部宗教家が、祈りの有用性や崇高性ばかり強調するのも困ったものです。
祈っても、人生、限界のあるものを知らないのですぐだまされます・・・。
この件がすんだら、ちゃんとした宗教教育が必要だと思います。
そのほか、消費者センター
http://www.kokusen.go.jp/map/
http://www.shousen.org/
(WEB対応)
国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/
参考に。 |
Re:Re:狂信的な息子 |
投稿者:匿名
上記のようなことを書いているのは、
詐欺集団であるという事実を
信じ込んでいる息子さんに認識してもらう必要があるからです。 |
Re:狂信的な息子 |
投稿者:鳳鳳
大変なご苦労をされていますね・・・
息子さんが狂信的になられるきっかけがあったと思うのですが思い当たることありませんか?
例、命が助かったとかですが。
しかし、色々とやってこられ病状に変わりないことに関し暴力にまで至るのは、息子さんの気持ちの中に今まで信じてきた信仰してきたものが壊れそうで不安があるのではないでしょうか?
今あなた様が出来ることは、父親の死に対する受容をしっかりと息子さんに示す事でしょう。
人は必ず死にます、抗いようがありません。しかし、一生懸命に生きてこられ苦労を乗り越えるという徳を積み、今病という苦しみの中で最後の徳を積み更なる高み仏の世界へ生まれ変わろうとしている。父親を誇らしく思い、旅立ちを引き止めないようにしようという、決意をお持ち下さい。
息子さんは、苦しんでいるのかもしれません。父親との別れ、母親の悲しむ姿を見たくないという思いからかもしれません。
もう心の準備は出来ているという姿を見せなければ。いつまでも誰や彼やのせいにしてあらがい続けるかもしれません。
しっかりと心の準備を固めて下さい。そうする事によって息子さんも変わってくるのではないでしょうか?
思い返して下さい、大事なときにお墓や仏壇に向かい神頼みや仏頼みしていませんでしたか?
仏教は、簡単に言いますと欲を捨てなさいと説いています。そんな教えをしている仏教に対し欲をかいた願い事をしても叶うはずありませんよね?
そういった背中を息子さんに見せていませんでしたか?
「あんなにお願いしたのに叶わなかった」とぼやいたことありませんでしたか?
そういう姿を見せていたのならば、今の現状はなるべくしてなったでしょう。
ちゃんとした態度、言動をもち息子さんに話してあげて下さい。
「人は必ず死にます。早い人はそれだけの徳を積み人間界での修行が終わったのだ、遅い人はそれだけ苦しみや悲しみを経験し得を積む修行を続けなければいけないのだ、病死とは最後の修行であるから見守り、しっかりと真正面から受け止めよう、引き止めるようなことをし苦しみや悲しみを長引かせないようにして見送ることを決意した天寿のまっとうを心に刻みましょう」
そのように、覚悟出来れば、今の現状から脱出できるのではないでしょうか。
合掌
|
Re:狂信的な息子 |
投稿者:明仙
リンク:http://d.hatena.ne.jp/gonntasann/
仏教というのは、お釈迦さんから
の系譜があり、脈々と受け継がれております。
インドから中国へ、中国から日本へ。
仏教の遺伝子が途切れずに、教えはか細いように見えますが何とか現在も日本に続いております。
その正統な仏教である証明は、仏教各本山が系譜を出して自己の正当性をアピールしております。
{ただ、その正当性を言えるほど御釈迦さんの教えを身につけているか?というと
充分、反省をするべきことであるかと感じられます。}
ただ、昨今仏教を名乗るが、中身は仏教でない新興の宗教が盛んで、歯止めがありません。
そういう団体には正統な系譜がなく、御釈迦さんの教えのDNAはまったく入っておりません。
その上。たちが悪いのは、そういう団体は自己の正当性を主張する為にあの手この手で
口うまく言葉巧みに宣伝します。
しかし、本来人間には雰囲気だけでも善悪を感じ取れる能力があります。
本当の宗教というのは、本物の芸術みたいなもんで高貴な雰囲気というか、犯すことの出来ない領域というものをかもし出すものであり、人は本来善悪を良し悪しを敏感に感じ取れるものであります。
しかし、昨今そういう本物が身近なところから減ってきて、我々は本物と接する機会がもうほとんどないのかもしれません。
まがい物と本物の見極めが感性で判断出来なくなってきております。
また、人の心は弱くマインドコントロールされやすいもんであります。
「家族全員死ぬ」というような脅しを使うのは邪教以外の何者でもありません。
人を救う本物の宗教では、こうしなければ死ぬぞ!などと脅しは言いません。
仏教では「こうしなければ死ぬぞ!」等という脅し、人を不安にさせることは
言いません。
仏の教えは苦を抜き、楽を与える法門です。
故に、脅しを使うその教団は宗教ではない、人の弱さに漬け込み、お金を巻き上げることが目的の邪悪な集団であり、即刻やめて、離れるべきものであります。
・・なんとしてでも、息子さんをその邪悪な集団から引き離してください。
方法は親戚かなんかで強面の人いませんか?自衛官とか、警察官とか、武道家とか。
腕づくでもいい。水ぶっ掛けてもいい。
そのほか、
人生経験豊富な親戚一同全部集合して息子と徹底的に討論してください。
で、エネルギーとか霊とか、話の矛盾点を容赦なくついてください。
二~三日徹夜で討論してでもなんとしてでも。
おかしいもんはおかしいわけで長年日常生活を生き抜いてきた知恵を結集してなんとしてでも息子の目を覚まして下さい。
・・大変でしょうが、一意見として参考になりましたでしょうか。
どうぞ、がんばってください。 |
場違いな話かもしれませんが。 |
投稿者:hinatuki
最近、家の宗教を信じられなくなってきました。
日本の多くの家庭がそうであるように、私の家も仏教を信仰しています。けれど、宗教というものは一体なんなのでしょうか。具体的に分からなくて、わからないものを信じる事ができないのです。
どうか教えてください。宗教とはなんですか?
何故、宗教が原因で戦争が起こるのですか?
私達はどうするべきなのでしょう?
|
Re:場違いな話かもしれませんが。 |
投稿者:らっこ
命や自然といった、自分の力ではどうすることもできないものに対する
畏怖の念、感謝の念、
そして生きとし生けるものに対する慈悲の心。
この三つの心が宗教を生むと思います。
世界中の宗教に普遍的に通じるのがこの三つの心です。
宗教が争いを起こすのではなく、人の心が争いを起こすのです。
争いを好む宗教など本来宗教とは言わないのです。
仏教にしても、何も知らないのに信じられないと結論付けるのではなく、
縁あって仏教のお家に生まれたのですから、仏教を知ることもいいのではないかと思います。
俗世間での宗教に絡む事件や諍いが、宗教に悪いイメージを植え付けているのが残念です。
また、宗教は弱い人のためだけにある、というのも間違いです。
正しい理解が、あなた様の迷いを消してくれることを願っています。 |
般若心経 |
投稿者:山
宜しくお願いいたします。
般若心経を覚えて毎日仏壇に手をあわせています。
まだ覚えたてですが、何か違和感があるのです。
家は、日蓮宗で、南無妙法蓮華経というお題目には子供の頃
から慣れているので、すごく親しみがあって、唱えると良い事
をしたと、思えるのですが、般若心経には、なじみがありません。
短くて、これなら覚えられると思い、一生懸命おぼえたのですが。
日蓮宗でも、般若心経をとなえてもいいのでしょうか?
それと、般若心経とは、どうゆう時に唱えるお経なのでしょうか?
|
Re:般若心経 |
投稿者:匿名
日蓮宗は、基本的に般若心経はよみません。
しかし、日蓮系の宗派は、分派も多くて中にはよんでいる派もあるかもしれません。
日蓮宗用の勤行経本はありませんか?
そこに「自我偈」があるでしょう。
下記の参考URLを見てください。
法華経のハイライトの一つです。
http://www.osoushiki-plaza.com/library/kyouten/jigage-k.html
これなら短いですし、般若心経ともさほど長さが変わりません。
> 日蓮宗でも、般若心経をとなえてもいいのでしょうか?
> それと、般若心経とは、どうゆう時に唱えるお経なのでしょうか?
ただし、般若心経をとなえてはいけないと言うこともないのではないかと思います。
実際に、般若心経を通常読まない派でも、よむ上人もおられるようです。
しかし、原則的には、法華経を脇に置いて般若心経をよむことを否定する人は多いです。
般若心経をよむ宗派では、特に場面を限らず、毎日の勤行でも折々の法事でも
よんでいるはずです。あまり制限のようなものはないはずです。
浄土真宗や日蓮系以外の宗派では、基本的に勤行集にも載っています。
|
教えてくださーい |
投稿者:困ったさん
投稿日時:2005/09/01 01:07:46
ある宗教ですが、亡くなった人はすぐに仏様になるから、亡くなった人の為にに一度も拝んだことはない、とか,精自体がないから、お墓の精いれ、精抜きはしません。お盆には、霊は帰ってきません。お墓には何も居ないなど、僧侶がいつも言われます。亡くなった人のために、1度として参ったことがない、とは、いったいどういう宗教なんだと思ってしまいます。
我が家はいろんな、霊現象が起きています先祖が成仏できてないのでは・・・。そのことを僧侶にお話しましたら、他の宗教の霊かもしれませんここの宗教はすぐ仏になるから、ありえないと言われます。じゃあ何のために、お葬式や命日にお参りに来るんだろうと思ってしまいます。ここのお寺(宗教・京都本山)でいいのでしょうか?考えてしまいます。実際起きている霊現象は同説明するのでしょうか、成仏できていないと、先祖が訴えているんでは、と思ってしまいます。他の宗教はどんな考え方なのでしょうか?
|
Re:教えてくださーい |
投稿者:八起
宗派は、心の置き場所。懐に入るかどうかです。宗教は、自らが、教えをこい学ばせていただき、気づかせて頂く教えです。沢山の方の教えを頂くのもいいかと思います。一つ又は、一人の方に固執するのでなくです。お顔が違うとおり考え方は無数にあります。宗派や宗教が違う?代わった?それだけで「バチ」なんかあたりません。どんな宗派、宗教。根本は救済ですから。
人は物質で体があります。目に見えます。体からは熱が放射されています。体温です。平熱36度前後です。体温計で計るからわかります。でも、目には見えません。近づいてはじめて、人肌がわかります。体温に近いほど心地良さがわかるものです。それは、人の心にもいえることじゃないかと。相手様は心地いいですか?反対に相手様にとって自分は心地良いのでしょうか? そして、またまた、先祖様(魂)は、心地良いと感じられているのでしょうか。
心地良いのも悪いのも、肌が合う合わないも、心の思いです。暖かい心を受け取ると癒される。人の体があろうがなかろうが。先祖様は大きな父ちゃん、母ちゃんです。癒してさし上げて下さい。 |
宗教観の違い |
投稿者:ひろし
こんばんは。相談よろしくお願いします。
わたしは33歳の男で、1年半付き合っている10歳下の彼女がいます。
5月に彼女のご両親にご挨拶にうかがい、結婚を前提に付き合っていることを報告しました。
その日から彼女が私の家の宗教のことでいろいろ不満を言うようになりました。
私の家は、親の代から日蓮正宗に宗派を改宗しています。もともと創価学会に入っていまして、今から10年前に脱会して、日蓮正宗の法華講に入って言います。
親戚もほとんど同じ宗派です。彼女に創価学会と日蓮正宗は違うものと説明して、違うことは分ってもらえたけれど、イメージが悪いようで、同じ宗教をしているように見られるのがいやだといっています。
その気持ちも私はよくわかります。彼女の望みは、結婚したら宗派を変えて元に戻してほしいといっています。幸い私は次男なので宗派の後を継がなくてもよいような気もしますし、彼女の望むようにしてやりたいのですが、私の親も変えたほうがいいと強く思って改宗していると思いますし、本当に私たちだけ宗派を元に戻していいのかどうか悩んでいます。
彼女の家は昔から代々受け継がれて来ている日蓮宗です。
どうぞよろしくお願いします。
|
Re:宗教観の違い |
投稿者:すが
日蓮正宗も学会も教義は同じです。なんら変わりはありません。日本仏教会にも所属していないため 伝統仏教教団とは言えません。とくに斫伏論を主張しているため 他宗とは共存できません。最も釈迦を中心としていませんので仏教ではありません。 日蓮宗とも法華宗とも敵対し他の宗とも敵対しています。 私が相手の親でも結婚は反対致します |
仏教とは |
投稿者:だな
いま色々な仏教が氾濫していますが
良い仏教 悪い仏教の見分け方はなんでしょうか。
今、入信しているところは一切他の仏教の本でも何でも見てはいけない。とか
ご利益という言葉がよく出てきて、少しでも数多く唱えれば病が治るなどの
願いがかなう、ご利益がいただけると言います。
また毎月各家にお坊さん、信者が回り全員で勤行というのか
お経を唱えます。時々一番偉いお坊さんが来るときは信者みんなの分もお昼や
お土産を用意してお礼もするそうです。
これは仏教ならではどの宗派も普通のことなのでしょうか。
|
Re:仏教とは |
投稿者:わたなべ
袈裟を纏った尊い僧の方がみえたら御供養するのが筋でございます。我々一切衆生を救って下さる未仏のお使いの僧侶の方に施すのは当然の事です。布教活動の方法は各法人の自由でございます。あなた様が仏に近づく事が最善でございます。
|
Re:仏教とは |
投稿者:巳朱
仏教というより、それを奉じている宗教団体の善し悪しという事ですね。
あなたが今入信している団体の健康度、健全度を一度チェックされてみては?
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/
「日本脱カルト協会」
ここに「集団健康度チェック」というのがあります。 |
宗教 |
投稿者:こり
投稿日時:2005/06/22 15:16:07
こんにちは。はじめまして。
宗教のことで悩んでいます。
もともと宗教は自分とは無縁のものと思っていましたが
私が病気になったのがきっかけで義母が信心していた宗教に
病気が治るからと言われ藁をもすがる気持ちで夫婦で入ってしまいました。
しかしご先祖様に感謝しお唱えすればするだけご利益がいただけると言うことですが
友達が心をこめてくれた千羽鶴やお守りは一切家に置いてはいけない等と
納得のいかないことや疑問が解消されません。
私としては信心することが出来ずやめたいと思っています。
しかし義母との関係などを考えると言い出せずにいます。
ただ今回のことでご先祖様に感謝する、供養する事はとても大事なことと
考えるようになりました。
嫁ぎ先は同じ宗派のようですが ネットで調べてみてもお経の読み方など
違います。
宗教に入らずにご先祖様に感謝の意を表し ご供養するにはどうしたらよいのでしょうか。
ちなみに夫婦共々両親は健在です。
よろしくお願いいたします。
|
Re:宗教 |
投稿者:勝運寺山主
はじめまして
義母からのすすめで入信なさったのならさぞ辞めます
の言葉は言い出しにくいかとは思いますが、勇気を出して
いってあげてくださ。わたしには合いませんので信心を
辞めさせていただきますと合わない教えを信仰しても
苦痛が残るだけです宗教と言う字を善く見てください
宗とは(おおもとになる、根本)などの意味です
大本の教え、根本の教え、生きる為の基本的な事を
教えるのが宗教です自分に合わないと続きませんむしろ
よい教えでも悪く感じてしまうものです。宗教家、宗教者、
と言われる方の中には自分の信仰する教えを押し付けや脅しに近い
形で推し進める者もおります、宗教とは我々が生きると言うことです
また、生かされると言うことを感じると言う意味なのです。
疑問、や苦痛を感じるのであれば即座に辞めるべきです
しがらみの為に続けるようなものではありませんし
他人に押し付ける代物でもありません。
昨今はカブリの先生方が多くなり僧侶の怠慢も有りますが
が正しい宗教の解釈が少なくなりました。
多くの教えが有ります。自分に合う教えを探してください
どの、教えも善い教えです、ただその教えを語り継ぐ
者が意味を間違えて伝えれば善い教えも悪しき教えに変わります
また、病とは何か考えてみてください。
精神面、を含め体のバランスが狂うことです。
バランスが良くなれば病は治ります。
気長に取り組んでください。
最後に よき師と良き教えに出会えますように。
合掌
|
Re:Re:宗教 |
投稿者:こり
早々とご回答いただきありがとうございます。
ただご先祖様の供養は大事だと思うのですが
なにをどのようにしたら良いのでしょうか。
お墓は山の中にあり自分は体が不自由な為
行く事が出来ず 今までお参りをしたことがありません。
毎日の生活の中で出来ることはあるのでしょうか。
両祖父母とも戒名は知っていますが宗派が違います。
教えて下さい。よろしくお願いいたします。
|
Re:Re:Re:宗教 |
投稿者:勝運寺山主
先祖の供養は大事ですが難しく考えないで下さい
お墓へお参りできないのなら自宅の仏壇に手を合わせれば
良いのです敬う心が一番大事です。無理をしないで自分に出来ることを
してください。
|
Re:Re:Re:Re:宗教 |
投稿者:こり
度々すみません。
仏壇は今回義母の宗教から借りたものです。
仏壇がないと供養をすることは出来ないですよね。
仏壇は普通、家族か夫の親が亡くなった時に
購入するものなのでしょうか。
私の親が亡くなったときは嫁に出た身では
関係なくなるのでしょうか。
また位牌は子供全員に配られるものなのでしょうか。
義母の宗教以外の仏教のことは全く無知なので
本当の正しい供養の仕方が知りたいのですが。
|
Re:Re:Re:Re:Re:宗教 |
投稿者:勝運寺山主
こり様へ
仏壇について
本来、仏壇とは家庭のよりどころなのです
先祖を祀り今自分がある事を感謝し恵みに対して
感謝を表す所なのです。嫁いだ者は自分の実家と
縁が切れると言うのは間違いです。
嫁にいった以上はその嫁ぎ先で子を成し家を
盛り立てるのが嫁と言う意味なのです
漢字が端的に意味を表しています
嫁と言う文字は女と言う文字と家という文字が
合わさり出来ています女が家なのです
すなわち女性が子を成し家を盛り立てる
その様な意味をこの文字は表しています。
家の中の誰かが亡くなり初めて仏壇を求めるというのは
本来、おかしな事なのです。本来、仏壇の購入が必要な
家庭とは新しく分家として独立した家庭だけです。
本家へ嫁いだ女性は必要ないはずです。
ただ、仏教伝来以後多くの大徳が多くの仏の教えを
顕して、賛同する者を集めて宗団と言う形を形成して
その為、頼りにする仏が違い始め宗派というものが
出来たのです。余り宗旨宗派はこだわらない方がいいですよ
また、仏壇は借りる物では有りません。
仏を信ずる事と仏壇を購入する事とは別物です
信心には必ず仏壇が必要かと申しますと
大変疑問が残ります、有ると良いと言う代物では有りますが
無くてはならないものでは有りません。
位牌について
子供全員に位牌を配ると言いますのは地方により
異なります。魂入れがしてあれば問題ありません。
正しい供養について
明確にこれが正しい供養のやり方ですよと言う物は
有りません。もっとも大事な事は一つだけです
それは (生かされている事をすべての物に心より感謝をする。)
ただ、この1点だけです、かたちにとらわれないで下さい。
自分の心が安らぐかたちが貴女にとっての本当の供養の仕方です。
焦らないで下さい。迷いも仏より与えられた娑婆界での勉強です。
答えになっていませんが実は答えと言う物が無いのです。
ご理解下さい。 合掌
|
Re:Re:Re:Re:Re:Re:宗教 |
投稿者:こり
勝運寺山主様、心強いご返答ありがとうございました。
思いきって義母に脱退したい旨を話しました。
主人は両親が離婚している為苦労かけた分非常に母親思いなので
母の為と言うことで続けるようです。
これは個人の意思ですから何も言う事はありませんが
今後のことを思うと多々不安があります。
ただ今回のことで学んだこと迷ったことを無駄にならないよう
私の中では宗教に拘らず 常に全ての事に感謝を忘れずに生きていきたいと
思っております。
仏壇、墓などに拘らず それが一番のご先祖への供養ですよね。
私の中では 死後のことを考えるのは(墓のこととか)生きてる人間の単なる欲では
ないかと思います。死後は無なのだと思うのです。
これも答えの無いものかもしれませんね。
また近々迷い悩む時は 色々と教えて下さい 。
|
この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!
コメント