私の実家で最近不幸が続き、入っているお寺さんに
葬儀、四十九日、お盆の法要をお願いしました。
まず気になったのは、葬儀の際にお布施をお渡しした際に
中身を目の前で確認された際に露骨に不満を述べられました。
「金額はどのように決めたのか」「私に相談してほしかった」
といわれました。
翌年、祖母が亡くなり同じ住職の方に御願いし、お布施をお渡し
した際は、中身を見る前に「中身を見ますが、金額は大丈夫ですか」
というようなことを言われました。
数年前に私の妻の祖父が亡くなられ、別のお寺に入っているので
そこの住職さんにお世話になった時、お経を読まれた後に
とてもありがたいお話しをしてくださったりとても素晴らしい
対応をしてくださり、私の入っているお寺の住職さんは一切
そのような事は無く、こうも違うものかと正直幻滅しております。
ここ数年でお寺を建て替えられどんどん豪華になっていくお寺を
見ると本当にこのお寺でこの先が心配になります。
このような事をどこに相談していいかわからず場違いでしたら
すみません。
今後お寺を変えることが出来たらと思うのですが
私の考えは間違っているでしょうか。
皆様回答いただきありがとうございます。私の祖母からお世話になっているお寺なのですが、息子先生に代替えしてから相談した内容のことがどうやら多々あるようで他にも檀家を抜けられた方が多いようでした。
私も書いたように大事にされていないと感じておりますが、正直諦めておりました。住職様も人間です。生活していき家族を養わなければいけないのはわかっておりますか、子のような方々がいると仏教とはずいぶん都合のいいものなんだなと思っております。
皆様有難うございます。
ものごとを判断するときは、今刹那、自分さえではなく、長い目で、いろんな人の立場で考えると正しい判断ができます。
刹那の感情でお寺を変えて、変えたお寺で気分を害したらまたお寺を変えますか?
あなたの代で何回?次の代で何回?それも「ほかに抜けた檀家があるから自分も」という理由で。
ご先祖様が何代も守ってきた墓ですよ。
ご先祖様のこともお寺さんのことも、いろんな人の立場で考えれば妥当な答えが出てくるというものです。
世の中にはいろんな人がいて、いろんなお寺さんもいて、代が変われば人も変わります。
ここであなたの器が試されているとは思いませんか?
そんな愚かで失礼な馬鹿僧侶になんか律儀を感じる必要はない。
墓撤去費用などの必要分は当然かかりますが、「離檀料」なども法的に支払いの義務などいうのは完全にゼロですから。
ただ人間の心情として、これまでのお付き合いの御礼などを含めて“お気持ち程度”
(せいぜい数万~十万程度で十分)を包めばそれでいいことです。
中には、何十万~数百万を請求してくる寺院もあるらしいが、
そんなことはトンデモない悪質金取り生臭坊主らのすることです。
もしも、それらの問題が生じた場合には、遠慮なく宗派の本山へと事態を通報して、弁護士にも相談すべきです。
日本仏教の改善のためにも、絶対に泣き寝入りなどしてはダメです。
あなたの実家は何代そのお寺に関わってきましたか?
それは百何十年ですか?
あなたが気分を害したのは葬式の一時ではありませんか?
あなたは一時の気分で先祖が積み上げてきた気持ちを全部変えるつもりですか?それはまあいいとしましょう。
標準的に墓地が境内にあるとして、お寺を変えるのにどれくらい費用がかかると思いますか?
主なものは離檀料、墓撤去費用、新たな墓地の永代使用料、墓石設置費用。普通に考えても百万円単位ですよ。
それがあなたの一時の感情に支払う代金です。
それがあなたが一生に何度あるかわからない葬式をケチる代償です。
お寺さんの生活収入は檀家から入るお金だけです。
昔は土地収入がありましたけどね。
表立って請求はしませんが相場がありますから、気分を害したくなければ最寄りの葬儀場とか葬儀社に聞いて、妥当な金額を包むことです。
お寺を変えるなどお坊さんに聞いてまともな返事があるわけないですよ。ほくそ笑んで「どうぞどうぞ」というだけです。

住職様も人間です。生活していき家族を養わなければいけないのはわかっておりますか、
>子のような方々がいると仏教とはずいぶん都合のいいものなんだなと思っております。
日本の檀家制度としては確かに実情は、
僧侶の家族ごとを檀家総手で分担して養うような形になるわけですが、
しかし、そもそも僧侶の家族を養う目的で檀家になる人などはまずいないでしょう。
そこは心からの布施と助け合いということで、その互いの理解の上で成り立っている筈です。
“布施をいくら以上は頂く”などということを当たり前のものと思っている勘違い僧侶なんかの言いなりになることはない。
布施の金額はこちらが決めるものですから。僧侶が当然の顔をして自ら決めるようなものではない。
そういう僧侶をそのままにしてては、決して日本仏教のためにはならない。