りんごの花

これは言うまでもないことだとは思うのですが 感じたことをそのまま書いてみます。、
ですがその時、私は「私」でないと感じる時があります。
声を出している、発声しているのは私なのですが、
何と言ったらいいのか「気持ち」は施主様の心になっているのです。
突然の悲しみの時にあたってはもちろんのこと、成仏して下さいの一念で経を唱え、
年回忌での追善供養では、みなさん元気に集まっておられますよ、と報告の一念です。
読み終えたとき時間がとても短く感じる、これも集中していた時間だからでしょうか
後ろ姿からは表情がわかりませんが、お経の声だからこそ感情が伝わることはあると思います。
そのときそのときに何をすべきか、今は供養する施主様の気持ちになって経を読む。
金襴ピカピカの袈裟が経を読むのではない、仏心が経で供養を伝えるのだ、そのことなのです。

先日、テレビでお亡くなりになられた美空ひばりさんの歌唱を観ていて、ハッと気がついたのです。
涙を流し、歌そのものになりきっている美空ひばりさん、あらためて素晴らしい歌手だなと思いました。
たとえ3分の歌であっても、その180秒という命を歌に人生に打ち込んでいる。
「今を生きる」そのものです。そのVTRを観ていて、あぁ経を読む気持ちと同じだ・・・
などと私と比べては失礼なのですが、はからずもそう思った場面でした。
その時その時に打ち込む命、あらためて人生の意義を感じ歩んで生きたいと思います。

ありがとうございました。