親と一緒に暮らしてますか?まだ親の影響を受ける状態にあるのでしょうか。
いわゆる毒親に虐待されて育った人と似た状態に陥ってるのではと思います。つまり、親の支配下にあって、自由に感じたり思ったりすることが禁じられるような状態に長く置かれたため、感受性などの「自分の感覚」が鈍って感じられなくなっているということです。
まずは親から影響を受けない、自分が自分の感覚で物事に対して何かを感じても「安全」な環境の確保、それから自分の感覚を取り戻すという順番かなと思います。
自分に返ってくるのはなぜかといえば、元々自他は分離した存在ではなくて、他人と思っているのは実は自分自身だからです。それが仏教でいう諸法無我です。
それが直感的にわかるあなたはスバラシイ感受性をお持ちだと思います。
善悪は人間の思考が作りますから、人間に対しては「悪いカルマ」で通じますが、神仏には善悪がないので「悪いカルマ」では意味が通じません。
だからアファメーションには否定形がないでしょう。
悪いカルマは人間を生ずる原動力なので、悪いカルマだらけは当然のことで、それがまた仏性を取り戻す原動力になっています。
仏教ではあらゆる現象や心の働きもすべては実体が無いと説かれます。サンスクリット語の「カルマ」は漢訳して「業」とも言われますが、元々は身体・言葉・心作用の行為行動のことであり、それ自体に善も悪もありません。ただ、インド思想では「業」の結果は潜在的力として直接・間接に未来に影響するとも考えられています。その結果は苦しみとなるか、安楽となるか、どちらでもないかということになりますが、それは個人の感受の次元です。仏教での善悪は倫理的・道徳的次元で語られる部分も少なからずありますが、究極的には個人の実存的次元での苦楽の原因として問題にされます。
ですから、「悪いカルマ」「良いカルマ」というように実体視していると、そこに執着が生じてしまい、返って拘りが起こって苦しみが続くことになりかねないと思います。現象は心も含めて実体が無いというのは、すべて因(直接原因)と縁(条件・環境など間接原因)が複雑に絡み合い、瞬間瞬間に立ち現れては変化し続けているからです。このことを時間的に捉えると「諸行無常」といい、空間的に捉えると「諸法無我」といいます。そして実体性がないことを「空」とか「空性」というのです。
実生活の次元においては、縁としての親の影響は決して小さいものではありません。しかしながら、あなたが今まで生きてこられて接触した縁は他にも無数にありますよね。また、これから生じる縁も無限の可能性としてあるのです。仏教では過去の悪しき業でさえ「諸法の実相(迷いの現象世界の奥にある真実の姿、すなわち空性)」を正しく観察すれば草の葉に付いた朝露が日光に当たり消えてゆくように、速やかに消除すると説かれます。
「幸福」とは万人共通の何か実体的に得るものではなく、現在の自身の在り方や身の回りとの関係から感じ取るものです。「こうでなければならない」というのは法律と道徳的に最低限のマナーぐらいにしておいて、今のご自身の感性に素直になってみては如何ですか?具体的には、やりたいことの優先順位をよく吟味して、他人(親も含めて)の意見や惰性でしてきたことをいったん保留するのです。そうすると、今の瞬間の縁がみえてきます。何をしていいかわからなければ無理して探さなくてもいいです。「今」をよく観察してみましょう。気づかなかった縁が沢山見つかるはずです。無理に「良い人」や「幸せな人」「成功した人」になる必要はありません。なるべく心穏やかに苦しみ少なく生活が出来るようになれば、自ずとやりたいこと、やるべきことが見えてくることでしょう。波のない水面が鏡の様に他を映し出すように。
少々難しい表現で説明して申し訳ありませんが、なるべく正確に仏教での考え方を伝えて参考にして頂こうと思いました。
人のせいにしたり、人を攻撃すると何かしら、自分の心に返ってきますね。かえって重くのしかかってくるような、、
他のタイトルもありますが、教えて頂いたアフォーメーション瞑想法をYouTube以外で聴いてます。
振り替えれば、悪いカルマばかり。
トゲみたいに刺さってるのか、何か殻のような物が出来てるみたいです。
親の支配を受けると子は思春期を過ぎて反抗という形で抵抗するようになります。もし反抗がなければ心の自由が失われています。
自由や喜びは人間の心の神の領域ですから、それを取り戻す必要があります。
時間を長く感じるのは思考が頭を巡っているときです。
何も考えずにぼんやりしているときや、子供のように一心に遊んでいるときは時間を短く感じます。
