何から始めればよいですか?
お寺ネット 仏事相談
相談番号:No.279
投稿者:まな さん
投稿日:2008年2月27日
相談タイトル:仏教について知りたいのです。
結論|仏教を学ぶ第一歩は「知識」だけではありません
仏教を学びたいと思ったとき、最初から難しい経典を読む必要はありません。
「なぜ私は苦しいのだろう」「これから、どう生きていけばよいのだろう」
そんな自分自身の問いと向き合うところから、仏教の学びは始まります。
本を一冊読む。お寺を訪ねる。お経を聞く。巡礼をする。仏さまの前で静かに手を合わせる。
どこから始めてもよいのです。
そして、中絶という経験を「自分を罰するため」に仏教へ向かう必要はありません。
その経験を抱えながら、これからの命をどう生きるのかを考えていくことも、仏教との大切なご縁だと思います。
ご相談内容
先日、中絶手術を受け、水子供養をして参りました。
若く、経済的にも難しいという理由で一つの命を絶つ決断をしました。
自分のしたことについて、もっとしっかり考えなければならない。自分勝手で未熟なままではいけないと思っています。
そこで、小豆島八十八ヶ所を巡礼しようと思い立ちました。
しかし、私は仏教について何一つ知りません。
仏さまの教えについて学ぶには、どのようなことから始めればよいのでしょうか。
当時のお坊さんからの回答
回答者:岳ちゃん(坊さん)
回答番号:No.280
投稿日:2008年2月28日
人はさまざまな悲しみや苦しみを経験したとき、初めて自分の心と真剣に向き合うことがあります。
そして、そこから神仏との出会いが始まることもあります。
八十八ヶ所巡りを思い立たれたことも、一つの仏縁なのかもしれません。
書店にはさまざまな仏教入門書があります。
自分に合いそうなものを一冊選び、まず読んでみてはいかがでしょうか。
霊場巡りについての入門書などもありますので、巡礼とともに少しずつ学んでいかれるとよいでしょう。
現在の住職からの回答
まなさんの相談を読んで、私は一つ、とても大切なことをお伝えしたいと思います。
それは、
仏教を学ぶことを、自分を責め続けるためのものにしないでほしい
ということです。
今回の出来事について深く考え、「このままの自分ではいけない」と思われた。その心から仏教に目を向けられたのでしょう。
仏教には「仏縁」という言葉があります。
悲しみや苦しみがきっかけとなって、仏さまの教えに出会うこともあります。
仏教は「どう生きるか」を学ぶ教えです
仏教というと、
「お経を覚えること」
「難しい仏教用語を勉強すること」
と思われるかもしれません。
もちろん、それも学びの一つです。
しかし、お釈迦さまが向き合われた大きな問題は、私たち人間の苦しみでした。
なぜ人は苦しむのか。
愛する人との別れを、どう受け止めればよいのか。
過去への後悔と、どう向き合えばよいのか。
自分の思い通りにならない人生を、どう生きればよいのか。
こうした問いは、今を生きる私たちにもつながっています。
ですから、
「仏教について何も知らないから、まだ仏教を学べない」
ということはありません。
「私はこれから、どう生きればよいのだろう」
そう問い始めたところから、すでに仏教との出会いは始まっています。

まず何から始めればよいですか?
難しく考えず、三つくらいから始めてみてはいかがでしょう。
一つ目は、やさしい仏教入門書を一冊読むこと。
たくさん読む必要はありません。「これなら読めそう」と感じた一冊から始めれば十分です。
二つ目は、お寺へ行ってみること。
法話会や写経会、坐禅会など、一般の方が参加できる行事を行っている寺院があります。
実際に僧侶の話を聞くことで、本だけでは分からなかった仏教が身近になることがあります。
三つ目は、毎日少しだけ手を合わせること。
難しいお経を知らなくても構いません。
静かに座って手を合わせ、自分の心を見つめる。
それも立派な仏道の入り口です。
小豆島八十八ヶ所を巡ってもよいでしょうか?
もちろん、巡礼も仏教と出会う一つの方法です。
ただし、
「苦しい思いをしなければ償えない」
という気持ちだけで巡らないでください。
巡礼は自分を罰するためのものではありません。
一歩、一歩歩きながら、
「私はこれから、どんな人間として生きていこう」
と考えてみてください。
手を合わせる。
お経を唱える。
景色を見る。
人と出会う。
疲れたら休む。
その一つ一つも巡礼です。
水子供養は「罪を恐れるため」のものではありません
今回の相談では、ご自身の選択について、とても強い言葉で自分を責めておられます。
しかし、水子供養を、
「自分が罰を受けないための供養」
にしてほしくはありません。
亡き小さな命を想い、
「忘れていません」
「ありがとう」
と手を合わせる。
そして、その命とのご縁を胸に、自分自身のこれからの生き方を大切にする。
私は、それも供養だと考えています。
過去は変えられなくても、これからの生き方は選べます
仏教を学んだからといって、過去に起きた出来事が消えるわけではありません。
悲しみも、後悔も、簡単には消えないでしょう。
しかし仏教は、
過去を消す方法ではなく、過去を抱えながら「今」をどう生きるかを教えてくれるもの
ではないでしょうか。
どうか焦って「立派な仏教徒」になろうとしないでください。
一冊の本からでもよい。
一回のお参りからでもよい。
一度の合掌からでもよい。
小豆島を一歩歩くことからでもよい。
仏教は、知るだけのものではなく、生きながら少しずつ学んでいくものです。
その歩みを始めようと思われたことを、大切な仏縁になさってください。
合掌
この相談のポイント
1.仏教は難しい経典から始めなくても大丈夫です。
2.自分自身の苦しみや「どう生きるか」という問いも、仏教を学ぶ入り口になります。
3.入門書・法話・写経・坐禅・巡礼など、自分に合った方法から始められます。
4.八十八ヶ所巡礼は、自分を罰するためではなく、自分自身と向き合う仏縁として歩いてみましょう。
5.水子供養も、恐れや罪悪感だけから行うものではありません。
6.過去を消そうとするのではなく、これからをどう生きるのか。その問いを仏教とともに考えていくことが大切です。
関連する仏事相談
① 流産した赤ちゃんの水子供養はどうすればいい?
水子供養の時期、お寺や宗派の選び方、命日について住職が解説します。
② 水子供養のお布施はどう渡す?
封筒・表書き・袱紗・金額など、初めて水子供養をお願いするときの疑問に答えます。
③ 家族で宗派が違っても大丈夫?
家族やご先祖さまの宗派が異なる場合のお経や供養について考えます。
※この相談は2008年当時に「お寺ネット」へ寄せられた相談をもとに、読みやすく整理し、現在の住職としての見解を加筆したものです。同じような悩みの方の参考になれば幸いです

コメントで応援してあげてください