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Name: オレンジ
Date: 2012/05/05(土) 08:33
No:4684
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Title: 引越し
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東日本大震災で自宅が半壊し、今度取り壊す事になりました。新築する間は貸家に引っ越すのですが、お仏壇は持っていけないため自宅の倉庫に仏壇をしまい位牌だけ貸家に持って行こうと思っているのですが、お寺さんに拝んでいただいてから仏壇を動かし位牌をも持って行ったらよいのでしょうか?よろしくお願い申し上げます。 曹洞宗です。
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Name: 青龍寺
Date: 2012/05/16(水) 09:27
No:4691
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Title: Re:引越し
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東日本大震災で被災なさってさぞご不便でありましたでしょう。家を新築なさるとのこと、よかったですね。 仏壇のことですが、菩提寺様でもお近くの寺でも構いませんからお願いして魂抜きをしていただきご位牌を持って行かれるのがよろしいと存じます。私は盛岡周辺に避難されてこられた方々の回向や供養をご奉仕させていただいておりますが、こちらにお越しであればして差し上げます。
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Name: さくら
Date: 2012/04/08(日) 21:29
No:4673
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Title: お寺からの強制改葬
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菩提寺と30分離れた、同じ宗派のお寺に墓地があります。最近、菩提寺の中に改葬するように、強制されました。現在の4ぶんの1の広さの墓地を用意するということです。以前の墓地は更地にして、売るということです。嫌なら、決別ということで、墓地の使用料を昔買った値段で返すといってきました。祖先の思い出のある、今の場所にとどまりたいのですが、どんな方法があるでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2012/04/18(水) 10:36
No:4676
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Title: Re:お寺からの強制改葬
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他所に菩提寺がある家の墓は、その菩提寺さんに移転して欲しいというのが一般的な寺院サイドの認識です。それにしても「4分の1の面積」とは無体ですな。寺の都合で移転を求めるのだから、同面積・工事費用は寺持ちにしますからくらい言っても良さそうなものなのに。
さて。 どうしても現在の墓地を使い続けたいならば、現在の菩提寺さんから墓地のあるお寺に「移籍」して、更地化されない場所の永代使用権を確保する方策を探るよりほかに手段はなさそうです。
ところで「墓地を更地にして売る」目的は何のためでしょう? 今お墓のあるお寺が本堂を建替える資金にする等の事情で、そのお寺(宗教法人)の役員や檀信徒の同意を得て売却するのでしたら、それは法的に正当なものですから対抗できる手段はなさそうです。檀家になるなら、墓所の売却に同意してくれ、が条件となるでしょうから。
その売却計画そのものについての説明はありましたか? 貴殿の墓所移転に関する菩提寺さんの御意見はいかがでしょうか?
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Name: さくら
Date: 2012/05/06(日) 21:25
No:4687
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Title: Re:お寺からの強制改葬
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回答を有難うございます。お寺では、強制改葬の理由として、1,2、をあげています。1、管理が出来ない。2、墓地のある寺の檀家と勘違いする懸念がある。
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Name: さくら
Date: 2012/05/06(日) 21:51
No:4688
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Title: Re:お寺からの強制改葬
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回答を有難うございます。経過を述べたいと思います。10年位前に、新しい住職になりました。寺の隣に100坪くらいの土地を買って、駐車場にしました。寺の駐車場跡の境内が空いたので、そこに墓を建てました。別寺の墓は30くらいあります。寺の新しい墓地は4尺かけ4尺の墓なら、30くらいできる広さです。でも、2尺かけ2尺くらいの墓を倍以上作りました。4尺かけ4尺の墓なら、移転したと思います。広さが違って移りたくないので、移りたくない人はそのままにしておいて欲しい。それをしないのなら、別寺の墓の側に移って、菩提寺も別寺にしたい。また、総代会などの手続きをしていないこと、したがって、宗教法人法の規定に従った手続きを取っていないので、寺の強制改葬は無効です。広さが違うこと、きちんとした手続きを取っていないこと、の2点から、別寺の墓の側に移って、菩提寺も別寺にしたいです。墓地の永代使用権は使用料を支払う限り、永代使用できる権利です。新しく墓地を買う気はありません。今の寺から、今年3月に新しい権利書にするので、永代権利書と住民票を持ってくるようにとの手紙があり、お寺に行ったところ、移転して墓を4分の一にする話がありました。全く無体な話です。去年は管理料と花園代を2年分払うように言われ、おかしいと思いましたが、払いました。このまま菩提寺にいたら、次にどんなことを言われるか、不信感を持ちました。墓を守るということはこんなに大変なことなのですね。
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Name: 三陸
Date: 2012/05/05(土) 00:32
No:4683
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Title: 無題
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先月、父が亡くなりました。 これから供養しけいくわけですが、どのようにして供養したらよいでしょうか。 ただ朝晩手を合わせるだけで、いいのでしょうか。 般若心経を書いたらよいのでしょうか。 教えて下さい。 宜しくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2012/05/05(土) 09:58
No:4685
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Title: Re:無題
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お悔やみ申し上げます。
結論から申し上げれば、合掌なさるだけよりは併せて経典を読誦なさることをお勧めします。
私見ですが、死者に対する「弔い」という行為には、遺体の処理・死者の鎮魂・生者の魂の治癒という三要素があります。この三つを同時進行的に行う総体が「葬儀」という文化的精神的事業です。 よって「供養」という行為は、狭義には伝統的仏教儀礼に基づく「鎮魂」と「治癒」の営みであり、広義には仏教儀礼全般を示すものと考えております。学術的な表現をすれば、狭義の供養とは「死を受け容れる」・「死を乗り超える」ために伝統的に形成されてきた行為といってよいでしょう。
私は、生者の人格と死者の霊魂は同じものであって、これを尊重することが最低限の人としての礼儀であると考えています。例えば、仏壇や神棚に供物(=食事)を供えるということは、そこに姿がなくとも神仏や故人がいて一緒に食事をしてくれるという気分があるからです。そのような気分で、御父君が生きているようにお相手する、ということから始めてはいかがでしょう。
儀礼が必要とされるのは、それが長い時間をかけて構築されてきたところの、一定の精神的効果が得られることが経験的にわかっている社会的システムだからです。この意味で、日常的な行為に「鎮魂」や「治癒」の機能を含ませるよりも、「供養」という儀礼を行ったほうが効果は高いかもしれません。
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Name: 三陸
Date: 2012/05/05(土) 10:38
No:4686
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Title: Re:無題
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天台沙門様 ご回答して下さいまして、有難うございます。 合掌
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Name: 田田
Date: 2012/03/25(日) 19:17
No:4666
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Title: 住職の言いなり
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こんばんは、初めて投稿させていただきます。 近所の曹洞宗のお寺の事でご相談なのですが、 役員会で決まった事など全然聞かない住職夫婦がいます。 役員会では分かったと言うのですが、夫婦で話し合い後日やっぱりダメと言ってきます。 檀家とのトラブルも絶えず、檀家に対して弁護士を立てて攻めるような事もしています。 檀家総代に何とかするよう相談しても住職夫婦の文句は言うのですが自分達に矛先が向くと思っているのか動こうとしません。 攻撃性がとても強く、何か気に食わない事をした人には奥さんからの徹底的な電話攻撃と呼び出しがあります。 お布施が足りないと思ったのか「入っていません」と奥さんから電話が来ますし、葬儀終了後お布施を渡したところその場で開けられて通夜の分が入っていないなどと言います。 言われた本人はその場で親戚からお金を借りて払うはめになっています。 皆が嫌っていますので総会にも人が集まらず住職夫婦の好き勝手になってしまっています。 役員になっている人も馬鹿馬鹿しいと言って来ません。 宗務庁に電話で相談もしましたが相手にしてもらえませんでした。 他にも現在集落名義の土地である墓地を「檀家総代から承認を得た」「使用期限が来たから」などと嘘をついて寺名義に登記変更しようと町内会長などを呼び出し判をつかせようともしています。 誰から見てもバレバレな事を平気でやってきます。 普通、何に使うか言えないけど実印と印鑑証明くれって言われても誰も出しませんよね? 気に入らない檀家は住職夫婦の独断で即離壇させられます。 総会資料も外に出ないように一部づつ名前が書かれ徹底管理されています。 庫裡の修繕なども臨時総会も無しに住職夫婦の独断で行われています。 「時間が無かったから私が立て替えた」と言って護持会に請求してきます。 皆が重い腰を上げずにいるから住職夫婦が好き勝手にやっているのは重々私も分かります。 しかし、私もまだ30代の物知らずです。 詳しい方ご教授お願います。
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2012/05/04(金) 02:28
No:4681
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Title: Re:住職の言いなり
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田田さま 罰当たりな住職夫婦ですね。 住職と反りが合わなければ離檀したら如何ですか。 それが一番キツイ住職へのお仕置の方法です。 はいそうですかと護持費を支払う彼方にも多少の非はあります。
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Name: 通りすがり他宗僧
Date: 2012/05/04(金) 23:05
No:4682
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Title: Re:住職の言いなり
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完全に住職夫婦が非常識 との、印象を受けます。 離檀と簡単に言いますが、他の檀家さん達を救うことには、なりませんよ。世の中の為には、住職夫婦を寺から追い出し、 さらに、法的にお金も取り、二度と他のお寺でも住職になれないようにすること、、、くらいして欲しいです。
宗派が違うので、わかりませんが、本山の永平寺、総持寺。近くの同じ宗派のお寺に、投書なり、電話なり 『格』が上のお寺に相談するのがいいと思います。 役員会で決まったことに、従わないなんて、 普通ありえませんよ。 離檀するなら、全檀家が総離檀する方法もありますね。
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Name: 在家入道
Date: 2012/03/26(月) 00:37
No:4667
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Title: 破門
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私は在家でありましたが、家宗とは違う真言宗になじみ育ちました。 自然大学もその方面に進み、懇意にさsていただいていた住職様と 師弟関係を結び学んでおりました。 しかし加行に入った学院で暴力や嫌がらせが多く退山してしまいました。 そこで師匠が豹変しました。 結論から言えばお金に汚くなり、自分の権威を振りかざし といって加行を望んでいたのですが何の世話もなかったです。
結局自分の大学の伝手で加行をおえました。 そのころ師匠に電話し、伝法灌頂の申し込みをお願いしたところ キレられ、破門されました。 嫌がらせのようなことも、言われ体験しました。
結果は別の人格者の師匠のもとで伝法を終えました。
しかし、前の師匠のようなお金だけ搾り取り都合が悪くなれば 切る、というのは普通なのでしょうか。
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2012/04/02(月) 07:41
No:4669
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Title: Re:破門
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在家入道様
本来この様な住職は少ないですが良く貴殿のような問題でトラブルが起きるケースは良く聞きます。しかし一方的に師僧だけが悪いと言う訳ではなく弟子(貴殿)の言動にも師僧を豹変させるような言動が必ずあります。徒弟制度を厳格に守る最たる組織と考えてください。加行中は大阿や行監の云う事は絶対であり、たとえ彼らが間違った事を言っていると判っていてもけして質疑をしてはならないと言うおかしな風潮があります。是は得度式の時の文言にもありますが師は弟子に対して「右の水壺から左の水壺へ水を移すが如く」 法を伝えなさいとの文言によるものです。
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Name: 在家入道
Date: 2012/04/02(月) 21:32
No:4670
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Title: Re:破門
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勝運寺 山主様
お返事ありがとうございます。 初めに就いた師僧は知らないことでもさも知っているようにハッタリを言う人でして、入門前からこの前と話が違うぞ?ということが多々ありました。実際は40近くで行をして住職になられた方でしたのでご存じないことも多かったのだと思います。 私が専門の大学に行ってしまうと僧階が住職より上になるのも気に入らなかったようです。 その場限りの嘘も多く、約束した日時に伺っても遊びに行っているようなことも多々ありました。 加行も終わる頃両親を呼び出し破門する、と言い渡したそうです。 学院から帰ったときは寺を潰す気か!と怒鳴られましたが数年後ご子息が学院に入られ一晩でギブアップして退山したときはごまかすのに必死でした。
こちらは在家でお世話になることで充分とは言えないかもしれませんが折々かなり包んでおります。盆暮れの進物も欠かしていないのですが、お前のところからは何ももらっていないぞ、とも言われました。礼状は来ているのですが。
お互いはずれの師弟だったのでしょうか。
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2012/04/03(火) 05:42
No:4671
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Title: Re:破門
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在家入道さま すでに貴殿は灌頂を受けられたのですから貴殿に灌頂を授けた大阿が本来の師匠になります。 宗団により違いは有りますが末寺住職の場合、最低でも僧階が僧正以上でないと正式な弟子を持つ事は出来ない筈です。 貴殿の言われる師僧から破門と言われたのなら受け入れるべきでしょう「折々かなり包んでおります。盆暮れの進物も欠かしていない」この様な行為も破門を言い渡されたのなら不要です。 理由は「貴殿に住職権を取られる可能性を感じたから」だと思います。 大人の付き合いをなさってください。
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Name: 在家入道
Date: 2012/04/20(金) 20:34
No:4679
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Title: Re:破門
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勝運寺 山主様
ご返事が遅れ申し訳ありません。お言葉、噛み締めておりました。
「住職権」の問題ですが、これは無いと思います。 先代からの祈祷寺院でしたし、ご子息も二人いらっしゃいましたから。 ただ住職は専門の勉強を全くされておらず、その場その場のハッタリで 信者を繋いでいました。不安を煽り、祈祷で全て解決してやる、と。
はじめはそんな感じはなかったのですが。
破門されてからは関わりはありません。 ですが祖母と叔母が信じきってしまっていて、離れないのです。 手を尽くしても信じきってしまっているので良い方に解釈して続けています。
わたしは離れられて逆に良かったですが祖母をどうすればいいでしょうか。 先祖の祟りを信じきってしまっています。 離れさせる手は無いでしょうか。
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Name: 勝運寺
Date: 2012/05/04(金) 01:32
No:4680
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Title: Re:破門
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在家入道様
すでにお判りかと思いますが先祖の祟りというものはどう考えてもおかしな話であり、有り得ない事です。「離れさせる手は無いでしょうか。」是は拙僧の考える事ではなく在家入道様、御自身が解決する問題です。この問題も僧侶になられた貴殿への仏様からの宿題と考えてください。自分の身内を教化する事ほど難しい事は無いのですが、是が出来れば貴方の自信と成りよい勉強になります。 がんばってください。
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Name: ひな
Date: 2012/04/11(水) 16:10
No:4674
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Title: お仏壇について教えて下さい
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昨年の大震災で家族を亡くしました お位牌を作りましたがまだ仏壇を購入していません 1年がたち仏壇を用意して供養したいのですが、御真入れ?は必要でしょうか?今までお仏壇はありません 宗派はに日蓮宗になります。よろしくお願いいたします
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Name: 天台沙門
Date: 2012/04/18(水) 10:44
No:4677
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Title: Re:お仏壇について教えて下さい
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菩提寺さんがいらっしゃれば、そちらの御意見が第一選択です。
そもそも仏壇に開眼(魂入れ)が必要かどうかは、僧侶の中でも一致した意見はないとおもわれます。一端には「我々が拝んでいるのは仏壇(厨子)の中にある尊像や位牌なのであってハコを拝むわけではない」という意見があり、もう一端には「たとえハコにすぎなくても、そこに納める尊像や位牌に失礼のないように御供養すべきである」という意見があります。
私は、仏壇そのものは開眼(魂入れ)をする対象とは考えませんが、しかし仏壇や神棚という家の中の神聖なる場所を神聖なる場所とするための儀式は必要だと考えています。
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Name: アルジュナ
Date: 2012/04/18(水) 12:59
No:4678
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Title: Re:お仏壇について教えて下さい
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私は以前、天台沙門さんから相談の答えをいただいたアルジュナと申します。とても詳しく答えを頂き感謝している者です。仏門の身でありませんが同じ日蓮宗として。日蓮宗では正面最上位に御本尊を勧請して安置し、その前に日蓮聖人の像を安置します。御本尊は久遠実成の本師シャカムニブツと定めています。大マンダラで表現していますので、仏壇に入るサイズの大マンダラがあります。御本尊より一段下の真ん中に過去帳、その両わきに位牌をおきます。仏壇がせまかったり小さい時は御本尊の両わきに位牌を置いて良い事になっているはずです。(気がひけますが。)独立した際に仏壇を設けるのが本来だとしていますから、あなたが思った今が最良の時だと思います。天台沙門さんがおっしゃる通り、神聖な場所になります。必ず御霊入れと御本尊の開眼供養を菩提寺に依頼してください。相談しながら進めれば良いですよ。私は、仏壇はお寺のミニチュア版だと解釈しています。これからも良い信仰をなさって下さい。失礼しました。
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Name: 菜園コサイン
Date: 2012/04/04(水) 11:34
No:4672
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Title: 位牌の保守について
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現在位牌は母が守っておりますが、93歳で入院中でそう先は長くはないと思われます。男兄弟は私と弟の二人で、どちらにも跡継ぎの男はおりません。墓はありますが、現在母が守っている位牌(祖父母、曾祖父、父)をどのような形で将来に繋いでいったらいいのかご助言をお願いします。位牌をお焚き上げできるものなのか、墓1本にまとめることができるのかも含めてご助言ください。
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Name: 天台沙門
Date: 2012/04/18(水) 10:21
No:4675
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Title: Re:位牌の保守について
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複数の位牌を一基にまとめるについては、『繰り出し位牌』という形式の位牌があります。位牌本体が箱状になっていて、ここに戒名(俗名・命日・享年)を記した札を納めておくというものです。または、大きめの位牌にみなさんの戒名を記載してしまうという方法もあるでしょう。 位牌のお焚き上げは可能です。上記の『繰り出し位牌』を開眼した場合や、なんらかの事情で位牌を新調したときに行っております。
なお、位牌にせよ墓地にせよ、男系で継承せねばならないということはないと考えております。しかし、女系でも適当な継承者の方がいらっしゃらないという御事情でしたら、早めに菩提寺さんに御相談いただくことをお勧めいたします。
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Name: はるこ
Date: 2012/03/15(木) 10:27
No:4662
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Title: 法事と位牌
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母親が昨年4月7日、父親が今年3月12日に亡くなりました。 母親の3回忌と父親の1回忌が来年の春に重なりますが、同じ日にお坊さんを呼んで3回忌と1回忌の法要を同時に営んでも構わないのでしょうか?
また昨年、今年と続けて亡くなっていますので、夫婦位牌を作りたいと考えています。 一つの位牌に夫婦二人の戒名を彫る位牌です。 このようなお位牌を作ってもよろしいのでしょうか?
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/03/20(火) 20:12
No:4664
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Title: Re:法事と位牌
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浄徳寺の住職をしております隆胤と申します。 お尋ねの、位牌を一緒にすることと、一緒に法事を致すことは可能です。 ただ、これには菩提寺のご住職の考え方がありますので、菩提寺の方へお尋ねなされることをお勧め致します。 合掌
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Name: はるこ
Date: 2012/03/26(月) 08:26
No:4668
| 解決
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Title: Re:法事と位牌
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ご回答ありがとうございまいした。 そうさせていただきます。
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Name: きむ
Date: 2012/03/11(日) 21:34
No:4661
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Title: お位牌
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実家の一人暮らしの父が亡くなりました。実家は本家です。お墓と仏壇は長男(弟)が引き継ぐのですが、 弟が新興宗教(霊法会だと思います)にのめり込み、 先祖の戒名を変えて新しくしてるらしく、 仏壇も位牌も要らないと言って ごみとして捨てようとしているのを見つけました。 普通 お位牌は魂を抜いてお焚き上げをすると 思うのですが、何もしていません。 嫁に行った私が引き取る事も出来ず 菩提寺に相談しようかと 思ったのですが 宗派が変わるならと破門にされても困りますし・・ 弟は宗教ではないのでお墓はそのままでいいとか 訳が分からず、 何を言っても平行線で困っています 先祖代々からある回転式お位牌二基と普通のお位牌二基があります この先残ったお位牌をどのようにすればよいのか困っています・・
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/03/20(火) 20:08
No:4663
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Title: Re:お位牌
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浄徳寺の住職をしております隆胤と申します。 お尋ねの位牌のことですが、位牌を処分なさる場合には撥遣(はっけん。魂抜き)を必要とします(宗派による)。ただ、あなた様のご両親の位牌ですので、それを嫁がれたあなた様のお宅の仏壇にてお祀りすることは可能です。ご検討なさってください。 合掌
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Name: きむ
Date: 2012/03/24(土) 16:31
No:4665
| 解決
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Title: Re:お位牌
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隆胤さま、アドバイスありがとうございます。 現在、我が家に置いてありますお仏壇は小さいものでして、 実家のお位牌4基は大きく それだけでいっぱいになってしまうのです。 父の弟、私の叔父に相談し、菩提寺のご住職さまにも相談してみようかなと現在のところは思っています ありがとうございました。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/07(火) 00:15
No:3992
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Title: 因果応報
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因果応報は本当にあるのでしょうか?
人を焼き殺しても焼かれる事もなく殺される事もなく寿命を全うする人。 人をレイプしてもレイプされる事なく寿命を全うする人。 子供を虐待して殺しても虐待もされず殺されもせず寿命を全うする人。 いじめの被害者は自殺し加害者はいじめられる事もなく寿命を全うする。 これだけ自殺する人が多い中そんな人ばかりですので、因果応報があるとは信じられません。 もし因果応報があるなら上記の被害者にはどの様なカルマが返ってきていて加害者にはどの様なカルマが返ってくるのでしょうか? 又、加害者を恨んだり憎んだりしていてもいけないのでしょうか? そして 加害者を恨みつづけ 加害者を憎みつづけ 頭の中で加害者を痛めつけ続け、頭の中で加害者を殺し続けていれば、これもマイナスのカルマとなって自分に返って来るのでしょうか? 又 マイナスのカルマは誰かに返されその誰かがまた別の誰かに返され返しと永遠に続くのですか? 同じ出来事が永久にループし続けるなんて事があり得るのでしょうか? 同じ出来事が永久にループし続けてるなんて事は観たことも聞いた事もない。 本当に因果応報はあるのでしょうか?
現実として ※暴力には何が返ってきますか? ※陰口、悪口には何が返ってきますか? ※嘘には何が返ってきますか? ※イジメには何が返ってきますか?
現実には
暴力には名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
陰口・悪口には名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
嘘には名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
イジメには名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
などが返ってきます。 因果応報は本当にあるのでしょうか?
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Name: 一九
Date: 2010/12/07(火) 14:18
No:3995
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Title: Re:因果応報
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> 因果応報は本当にあるのでしょうか? あるというより、身の回りに起こることはすべて自分の心の結果です。 でもそれは人に問う言葉ではありません。 もし「因果応報」という言葉を人を責めるために使うとしたら、その結果は必ず自分に現れますよ。 外側の問題ではなくて、あくまでも自分の内面的な心の問題として扱う言葉です。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/08(水) 08:25
No:4005
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Title: Re:因果応報
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いわゆる「因果応報」という事象に関しては「ある」とも「ない」とも証明はできません。
または「因に応じた報いが果である」という価値判断抜きの字義解釈ならば、この宇宙すべてがビッグバンという「因」に応じた「果」ですから、因果応報は現実そのものです。ただし「報い」という言葉が暗示する善悪という価値判断は含まれませんが。
仏教における縁起説は「現実認識においては人が認識する現象は、その他の現象との相関性のなかで存在している」という当然ながらも忘れがちなことの指摘です。 仏教的な因果関係とは、いってみれば「なにかの結果が原因となった」・「原因があって結果がある」・「この結果は新たな原因になる」というループ構造を意味するというより、物/事には「因=直接的原因」と「縁=間接的原因・環境」とがネットワーク/システムとして働き、過渡的な「果」としての物/事を導いているというイメージです。
「因果応報」という言葉の意味は、「諸悪莫作、諸善奉行」という経典の一節を下敷きにした、「善い事をすれば善い報いがあり悪い事をすれば悪い報いがあるのだから、悪事はせずに善事をこころがけよう」という倫理規範としての性格が強いのではないでしょうか。 因果応報というシステムが「ある」か「ない」かの判断はさておき、「ある」と信じて身を慎むということが宗教的な立場であろうと考えます。
人の行為について考えると、法律に「罪刑法定主義」という考えがあります。一定の「罪」という「因」に応じて、一定の「罰」という「果」を報わせるという考えですから、これも「因果応報」の実践例ですね。 ですが、罪と罰との整合性(とくに殺人と死刑との関係)やら、そもそも論としての法の公正な適用についての議論が絶えないことはご存知の通りで、つまり、大枠としての因果応報は成り立つとしても因と果の均衡についての判断は別次元の問題と理解すべきでしょう。
さて。 「輪廻」と「業」の観念が強いと、「イジメにあって自死を選んだ人には、いじめられて自死を選ばざるをえないだけの悪業があったのだ」であるとか「だれかを自死に追い込んでも安泰に長寿を全うする人には、その悪事では帳消しされないだけの善業があったのだ」という解釈が成り立ってしまいます。 ですがやはり、こういった解釈は「正しくない」わけです。なぜ正しくないかについては善と悪について考えることが必要ですが、長くなりますのでここでは措きます。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/09(木) 19:41
No:4011
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Title: Re:因果応報
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ここにいる人達はみんなお坊さんですか? 仏教の関係者ですか?
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/10(金) 09:10
No:4013
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Title: Re:因果応報
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私個人に関していえば、現実社会において某政令指定都市に所在する寺を預かっております僧侶です。 また、天台宗門の僧階取得の必要上、大正大学仏教学科にて天台学を専攻いたしました仏教関係者です。
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Name: 一九
Date: 2010/12/10(金) 15:07
No:4014
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Title: Re:因果応報
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私は坊さんではありません。 だから私の言うことがいい加減だと思いたいですか?^^
もう少し付け加えておきます。 因果応報は一生のうちに結果に結びつくわけではなくて、いくつもの生涯にわたって繰り越されます。 繰り越される因果の種子が狭義の「カルマ」ですね。
たとえばおっしゃるように憎しみで人を焼き殺した人がいるとします。 そのあと加害者は被害者の苦しみを共感して、自分の行為を悔います。 それによって被害者の憎しみも少しづつなくなってゆきます。 加害者が被害者の苦しみを感じ尽くしたとき、被害者に許しが生じて、お互いのカルマは解消されます。
ところが加害者が被害者の苦しみを共感することなく、被害者が憎しみを解消することがなければ、カルマが別の生涯に繰り越されて、その加害者と被害者が反転する縁で結ばれます。 それによってかっての加害者は被害者の苦しみを体験することになります。 その憎しみは更に連鎖して、その縁は延々と繰り返されるわけです。
これがカルマのおよその仕組みですが、実際には創造的で固定したパターンはありません。 刑法の罰則も大体これに沿ってできていますよ。 刑法もカルマも学びのためにあって、憎しみや仇討のためではありません。 だから「因果応報」や「カルマ」という言葉を、人を責める道具に使ってはいけないんですよ。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/12(日) 01:25
No:4018
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Title: Re:因果応報
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人殺し、レイプ、いじめ、虐待、迫害、虐殺、現世では自分のやった事は自分に返ってこないが来世では返ってくると言う事ですね?
現世での被害者は前世での加害者
現世での加害者は来世での被害者
と言う事ですね? だから因果応報があると言う事ですね?
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Name: 一九
Date: 2010/12/12(日) 03:47
No:4019
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Title: Re:因果応報
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そうですね、来世とは限りませんが縁が整ったタイミングですね。 でもお互いのカルマが解消されれば何も起こりません。 つまり原因は過去の行為にあるのではなくて、現在の心にあるということです。 現在の心が過去の行為を生み、そして未来の行為を生んでいます。 だからお互いに憎しみをなくしてゆくことが大切です。
それからこのことは犯罪の被害者を傷つけますのでね。 自分の心にしまっておいたほうがよいです。 さもないと社会から袋叩きに遭いますよ。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/13(月) 10:58
No:4021
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Title: Re:因果応報
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>現世での被害者は前世での加害者 >現世での加害者は来世での被害者
こう考える場合、2つの前提が必要と考えます。 第1には、いわゆる輪廻転生が実在するシステムであるということ。 第2には、輪廻の主体が輪廻をへても同一であること。
仏教的には、第1の前提は認めるとしても、その輪廻転生というシステムから離脱することを目的としています。その離脱のための「道具」が釈尊の提起なさった「縁起説」です。 縁起説によれば、すべての存在は「因=直接的原因」と「縁=間接的原因・環境」によって成り立つから固定した実体はもちえないので、第2の前提である「輪廻の主体が同一であること」はありえない、ということになります。 したがって、前世と来世が存在すると仮定しても、仏教的には「被害」と「加害」が単純に応報するとは考えられません。
性悪説的にいえば、犯罪被害を受けた人が(その人の生死に関わらず)自身の受けた被害を他者にもたらす(報復行為を正当化する)存在となることは否定できません。実例は、政治闘争に端を発する相互報復のエスカレーションです。 性善説的にいえば、何事かの不運にあった人は、他の人をその不運から守ってくれる存在となります。こちらの実例は、救済機能を持つキリスト教における殉教聖人であったり、難産で死んだ女性を子安神として祀る日本の民俗信仰です。
ついでにいえば、宗教的な「罪=sin」は法律的な「犯罪=crime」は別次元の話です。 このあたりは宗教における原罪意識を考えてみればよいでしょう。キリスト教的には原罪を一身に贖ってくれたからこそイエスさんを崇拝するわけですし、仏教的には全ての生命は他の生命を奪うことなく存在できないからこそ慈悲行に励むわけです。
ある人の身にふりかかった悲運が「前世の因縁」によるか「神の意志」によるか「現世の自身の因果応報」によるかなど、因縁生起を旨とする以上、「わからないことはわからない」としておくことが正しい態度であると考えます。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/13(月) 21:13
No:4022
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Title: Re:因果応報
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現世での被害者は前世での加害者
現世での加害者は来世での被害者
現世で返ってこなければ来世で返ってくる。
そう考えないとつじつまが合わないし 自分のやった事は自分に返って来ない つまり因果応報はないという事になるのではないでしょうか
最初に書いたスレが因果応報が無いと言う証明になり 因果応報が無いという証明が出来てしまいます。
無いという証明は出来てもあるという証明は出来ないのは無いからですか?
人殺し、レイプ、いじめ、虐待、迫害、虐殺、自分のやった事がなぜ自分に返って来ないのですか?
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Name: 一九
Date: 2010/12/14(火) 11:18
No:4023
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Title: Re:因果応報
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ここで結論を出さずに、疑問のままにされては如何でしょうか?
カルマや因果応報は日本仏教の専売特許ではありませんのでね。 カルマは古くからインドに伝わる考え方で、日本仏教は伝達ルートの一つにすぎません。 今では世界中の書物でカルマを知ることができます。 キリスト教の「自分でまいた種は自分で刈り取らねばならない」というのも同じことですね。
私が申し上げたカルマ観は、実際の過去生記憶や記憶層リーディングを私が確認したもので、その中には殺し合いを繰り返していた兄弟のケースもあります。 知識で申し上げたわけではなくて、すべて私が体験した事実です。
4〜50年前の仏教者も私と同じカルマ観だったように記憶していますから、その後日本仏教が変わったのではないかと推測しています。 当時は唯物論が隆盛の時代で、確かに「カルマ」の考え方は評判が悪かったです。 最近の仏教者は誰に聞いても、判で押したように上のような返事が返ってきます。
補足 確かにさとりの視点では固定した実体はないんでしょうけど、個の視点(「私」という錯覚の中)では輪廻も個のカルマもありますのでね。 論理を追えば矛盾しますが、それは視点が違うからで、どちらの視点も仏教にあるはずです。
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Name: せんべい
Date: 2010/12/15(水) 01:55
No:4024
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Title: Re:因果応報
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こんばんは。
因果応報って、意味としては原因と結果の関係ですよね。
原因と結果の関係だけを見て考えてしまうと、目には目を歯には歯をと同じ苦痛をと思ってしまいますよね。
しかし、繰り返すという事は、現世での被害者は来世での加害者になってしまっては悪が無くなる事もないと思います。
でも、同じ苦痛をと考えれば来世まで持ち越すかも知れませんが、同等に値するものと考えると現世にて被害者にも加害者にも何か起きた因果に同等の気づきがあるかも知れません。
仏様は、原因と結果ともう一つ見ている気がします。
たぶんそれは、原因と結果で自身の中で感じるもの、自分です。
自身の中に感じる苦痛の元を相手に探すと、恨み憎しみとなっていくように感じます。
しかし、苦痛の元を自分へ探すと、苦痛の元には恨みや憎しみよりも悲しみが強く感じます。
悲しみは、祈りでもあり仏でもあると思います。
俺個人的には、やった事された事が自分だと思うよりも、やった事された事で感じる事が自分への入り口だと思います。
自分へ入っていけば、現世でもやった事に対して同等の因果応報があると思います。
罪や罰だけが因果応報ではないと思います。
因果応報にも導きがあるはずです。
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Name: りっく
Date: 2010/12/15(水) 23:57
No:4026
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Title: Re:因果応報
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>現世での被害者は前世での加害者
>現世での加害者は来世での被害者
それももちろんあるようですが・・・ それだけではないようです。それほど単純ではないようです。 本人にだけではなく、周りの人(血縁者等)にも影響します。 DNAというものがそれ(縁者たちの歴史)を忘れないように刻んでいるように感じます。
私はお寺の関係者でも何かの宗教をしているわけでもありません。 単に小さいころから色々辛い体験をしてきた者でして、旦那さんの影響で普通よりは少し霊感といわれるものがあるのかもしれません。
以前、私の祖母のやったことが私に戻ったのだとはっきり分かる出来事がありました。ひどい経験をしました。 幻聴で起こされ眠れなくなり食べることも困難となり一ヶ月で10キロ痩せました。自殺も考えました。 感がよくなければきっと気付かずに「これは運が悪かったのだ」と終わったことかもしれません。
私の祖母は生前若い頃男女関係で問題を持ちました。 そのことで女性一人が自殺したのです。 同じように、人を自殺に追いやった女性に出会い酷い目にあいました。 (そういう人だというのは酷い目にあった頃に知りました。知っていたら近づきません。) その女性の顔を最後に見たとき、彼女の顔の上に私の祖母の顔がうすらと浮かび??でした。 なぜ祖母の顔が現れたのか後で知りました。 祖母の業が私に返ってきているのを知り、気をつけろと知らせに来たのだそうです。
殺人→殺人、いじめ→いじめというように、そのまま同じパターンが返るというわけでもないようですが、形は違ってもループにはなっているとおもいます。
これは私の単なる想像ですが、被害者も加害者もループを断ち切るカルマがあるのかとおもいます。 加害者は加害者にならないように(事件を起こす前に)ループを断ち切る努力、 被害者は恨みを持たずループを断ち切り、加害者との縁を切る努力 です。
私は今回祖母の業を受けたようですが、彼女ももちろんまだ受けなければならない業は残っていると思います。
ちなみに私の祖母は80半ばで天寿を全うしましたが、一人さびしく施設ででした。葬式では誰一人泣くものはいませんでした。 これも故人の最後として惨めなものかと思います。 故人の人生が葬式にすべて現れているかと思います。
上手にかけなくてすみません。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/16(木) 05:02
No:4027
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Title: Re:因果応報
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そのまま同じ事が返ってくる訳じゃないんですか?
人を殺しても殺される事なく寿命を全うするみたいな事ですよね
それとカルマの振り分けで例えば10人で1人を1発ずつ殴ったとします。 1人の被害者は合計10発殴られましたが10人の加害者側に返ってくるのは1人1発ずつですか?それとも1人1人が10人から1発ずつ合計10発殴られるのですか?
集団対個人 集団の場合はカルマが振り分けられるのですか?
なぜ集団対個人になるのでしょうか?
又、被害者が加害者を許した場合 加害者には何も返って来ないのですか?
日々の細かい事はスルーされるのですか?それとも日々の細かい事もカルマとなって返ってくるのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/16(木) 08:31
No:4028
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Title: Re:因果応報
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>無いという証明は出来てもあるという証明は出来ないのは無いからですか?
一般的には「有の証明は易しく、無の証明は難しい」とされています。例えば、「白いカラスがいる」の証明は「一羽の白いカラスがいる」ことで済みますが、「白いカラスはいない」の証明は「存在する全てのカラスが白くない」ことを示さねばなりません。
応報論の本質は、善因に対して善果が報いられ、悪因に対して悪果が報いられる、という点でしょう。 ここで大事なことは、ある「因→果」の関係があっても、これを根拠にした「果→因」の関係を導くことはできない点にあります。AだからBである事を理由に、BだからAだったとはいきません。CだからBだという可能性もあるわけですし、Pという条件下でAだからBなので、Qという条件下でAならばCだったかもしれません。
>人殺し、レイプ、いじめ、虐待、迫害、虐殺、自分のやった事がなぜ自分に返って来ないのですか?
ご質問は「ある人物のやった事がなぜ(現世で生きているうちの)その人物に返ってこない(場合がある)のですか?」と、理解します。
ひとつには、これらの行為は強者が弱者に強いる行為であり、したがって弱者が強者に報復する事は不可能に近いからです。また、近代法のもとでは復讐の権利は国家が独占し、私的報復を認めません。つまり近代国家においては、犯罪行為に関しては国家と法律というクッションが入るため、法的に免罪される(処罰の対象と認められない暗数事件とされる)可能性があるから、とも答えられます。
もうひとつは、これらの行為を正当化する理由をもっているから、と答えられます。 政治・宗教が絡んだジェノサイドは「正義」の名のもとに行われますから、正義の名のもとなら誰に何をどうしようと「悪因」にはなりません。それは、「正しい」ことであり、正しいことは「善因」なのですから。 ということは、行為者が自身の行為を正当化できてしまえば「応報」があったとしても自身の行為とは関係のないことと認識できるわけです。
そのうえで、応報論と同害復讐の理念とは別物だということを指摘しておきます。 応報論の主体は、いわばギリシア神話でいうところのネメシス(復讐の女神)に代表される「運命」や「宿命」であり、必ずしも犯した罪と同様の報復が行われるわけではありません。対して、同害復讐法の主体は古典古代の王に代表される国家主権であり、基本的には犯した罪と同様の報復が行われるか代替としての財産刑が用いられます。
※
すでに述べた通り、いわゆる「因果応報」という事象に関しては「ある」とも「ない」とも証明はできません。 論理学という観点では、矛盾のない体系には真とも偽とも証明のできない命題が存在する(ゲーデルの不完全性定理)わけですし、宗教学においても不可知論という立場が存在します。 したがって、「ある」とも「ない」ともわからないことは、「わからない」としておくことが正しい態度と考えます。ですが、因果応報がないから悪行をしてもよいという理屈にはなりませんし、因果応報があるから善行をするというのも不健康でしょう。
私は、どんな生物も他の生物の生命を奪って生きていかざるを得ないという「原罪」を負って生きているという事実、そして消費エネルギーの高い先進国に生活している以上は後進国の人々の生存可能性を狭めているという「犯罪」を犯しつつある現実、これらを冷静に認識すべきと考えます。 人類は「原罪」と「犯罪」を「因」としたは「応報」を受けつつあります。幸いなことに、そこからの解放が人類全体の課題となっていますから、解放の手段を個々人の問題に振り替え日々の生活をおくることが応報論の現代的な意義だと理解しております。
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Name: 一九
Date: 2010/12/16(木) 10:00
No:4030
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Title: Re:因果応報
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奥の深い話になりましたね。^^ カルマって個のカルマだけじゃなくて、集合のカルマもあるんですよ。 集合というのは自分一人ではなく、家族、民族(国家)、男(女)、人類といった1つのまとまりです。 ですからりっくさんのおっしゃるようなことが起こります。
たとえば日本人は第二次大戦で中国を支配しましたね。 そのカルマを受けて、全く関係ない私たちの世代が、いまでも中国に責められて苦しんでいます。 アメリカは広島長崎に原爆を落としたカルマとして、いま核拡散の脅威におびえながら、イラクやアフガニスタンで苦しい思いをしています。 それも個別には原爆を落とした人たちとは違う世代の人たちですね。
それと同じようなことが家族(先祖代々)にも起こります。 私が前に申したことはカルマの原理モデルですのでね。 実際のカルマはとても創造的でパターンがありませんから、原理のように単純ではありません。 研究すると面白いですよ。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/16(木) 18:10
No:4031
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Title: Re:因果応報
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自分のした事は自分に返ってくる訳じゃない。
そして分からない。
悲しいですね。
被害者が悲しすぎる。 被害者は救われませんね。報われませんね。 被害者は加害者を許す事はできませんね。 苦しいですね。 苦しみだけが残りますね。
許す事もできず 救われる事もない 報われる事もない 苦しいだけ 苦しみが残るだけ
人 最悪です。
人間 最悪です。
最悪です。 この世 人の世 前世 現世 来世 森羅万象 神仏 何もかも全て最悪です。
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Name: 仏教徒
Date: 2010/12/16(木) 18:53
No:4032
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Title: Re:因果応報
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そう、それが真理です。 人間なんて最低な生き物なのです。犬猫のほうがよっぽどマシです。
人は1人で生きられないくせに、人を殺します。 人は1人で生きられないくせに、人を責めます。
・・だから、心を鍛える必要があるのです。心を整える必要があるのです。
許せない事を許す努力をし、慈悲の心を育てる。それを説いたのがお釈迦様の教えである仏教です。
合掌。
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Name: せんべい
Date: 2010/12/16(木) 22:54
No:4033
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Title: Re:因果応報
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こんばんは。
ほんと、遣りきれませんね。
狭い世間ですけど、それなりに見てきましたからほとんどの加害者は変わらずのうのうと生きると思います。
でもだからと言って、やり返して繰り返す事も悲しくないですか?
被害者は加害者から悪を見せられる訳だから、悪を知ります。
もし加害者がまた違う誰かに殺された事を知り、それを望んだ事が悪を知っているだけに被害者もツライんじゃないでしょうか。
俺個人的な事ですけど、善をはっきりとさせません。
はっきりとさせれないほど善は大きいものだと思っています。
善を知り善を歩くよりも、知った悪をしないよう避けて行く方が歩き易いかもと思っています。
浄化の道を考えたいです。
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Name: 一九
Date: 2010/12/17(金) 05:13
No:4034
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Title: Re:因果応報
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お天道様に向かって「暑い!」ってダダこねてもしょうがないですよ。 自分で日陰探さなくちゃ。 カルマは地球が太陽の周りを周るのと同じ宇宙の法則ですからね。 ダダこねてもカルマになるだけです。^^
ついでだから集合の意味を説明すると。 たとえば人殺しを全員死刑にしても、また同じ数だけ人殺しは発生します。 それはなぜかというと、私たち全員の心の中に人殺しの要素があるからです。 自分の中に憎む心がありませんか?テレビで残虐シーン見ませんか? それですよ!
私たちは集合として人殺しなんですよ。 だから私たちの社会には必ず一定数の殺人事件が起きます。 そして殺人事件によって私たちは悪を知り、自分が人殺しになることを思いとどまります。 ある意味人殺しはありがたい存在ですね。 だから私たちは集合としてカルマの結果を受ける必要があるんですよ。
よいカルマ(サットカルマ)もありますのでね。 宝くじに当たったり、人からいつもよくしてもらう人、つまり幸運がよいカルマの結果です。 人のため自然のために一生懸命尽くしているとそうなります。 幸運を期待してやるのは逆効果ですけど。^^ どうかたくさんよいカルマの貯金をしてください。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/18(土) 01:38
No:4035
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Title: Re:因果応報
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良いカルマですか
良い事をすると良い事がある
悪い事をすると悪い事がある
本当でしょうか?
それは理想や願望ではないですか
現実は違いますよね!
悪い事をしても何もなかったり 良い事があったり
良い事をしても何もなかったり 悪い事があったり
何か話しが最初に戻ってしまいましたね。 すいませんm(__)m
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Name: 一九
Date: 2010/12/18(土) 06:21
No:4036
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Title: Re:因果応報
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> それは理想や願望ではないですか これは宇宙の法則です。 結果は縁(つながり)を介して与えられるものですから、原因と結果の脈絡がありませんし、一生を超えた長い時間を経て表れるものが多いです。 だから契約書のようにはっきりわからないだけです。
人間の感覚は変化しかわかりませんから、長い間の蓄積はそれだけ難しいです。 だから幸運の人は少なく、苦しむ人が多いんですよ。 因果応報は観えない仕組みだから。 たくさんの人を観察していると、だんだんそれがわかるようになります。
それから最初に言いましたが、因果応報は人を責めるために期待することじゃないですよ。 人を責めることが今の自分の苦しみになっていますので、自分に因果応報を問うんですよ。 そうすれば自分の苦しみはなくなってゆきます。 人の苦しみは人に任せましょう。^^
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Name: 雷神
Date: 2010/12/18(土) 16:13
No:4037
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Title: Re:因果応報
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結局どういう事?
自分のやった事は自分に返ってくるの?
最終的には分からないのでしょ?
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Name: 一九
Date: 2010/12/19(日) 06:00
No:4038
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Title: Re:因果応報
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法則というのは必ずそうなるという決まりです。 芸術を思わせるほど正確で巧妙ですよ。 わからないなんてどこでも言っていません。
心に原因の作用があれば、即座に結果の反作用があります。 結果の反作用が縁を通して、身の回りに現実化するまで時間がかかります。 その間自分が改心すれば現実化する原因はなくなります。 未来の運命は変わるんですよ。・・・そういう人は稀ですが。
ずっと上にも書いてありますけど、因果応報の原因は過去の行為にあるのではなくて現在の心にあります。 行為が行為を生むのではありません。 自分の思い違いに気づきませんか? つまり仕返しの法則ではなく、学びの法則だということ。 だから人に問うものではなくて、自分に問うものだと何度も言っています。
このことを理解できるにはある程度の素地が必要で、疑問のままキープしておけばいつかわかるようになります。 ゆっくりと勉強してくださいね。 最後に参考書です。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4393322088/ref=ord_cart_shr?ie=UTF8&m=A2TK4LED5TM3HR
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/19(日) 11:12
No:4040
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Title: Re:因果応報
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塩野七生『ローマ人の物語V 〜ユリウス=カエサル・ルビコン以後』 ー憤怒とか復讐とかは、相手と自分とを同等視するがゆえに生ずる想いであり成しうる行為なのである。
※
>被害者が加害者を許した場合 加害者には何も返って来ないのですか?
哲学的には、人には「わからないこと」であるから「わからないまま」にしておくことが理性的判断です。 法律的には、被害者の赦免感情や処罰意志と法的処罰は無関係です。被害者が「赦し」ても罰が与えられることはもちろん、被害者が「赦さ」ずとも法的に免責される場合もあります。これは、近代法の構造上、仕方のないことです。また、加害者側が加害者意識をもつか、被害者による赦免が加害者意識の消去に資するか、は加害者側の内面の問題であり、被害者側の感情や思考とは別次元の問題です。 宗教的には、神仏の領域に属することですから、人は諦観し受け容れるべきこととなるでしょう。
>被害者は加害者を許す事はできませんね。 >苦しいですね。 >苦しみだけが残りますね。
被害者が加害者を赦すのは、加害者の「業」や「悪因」を消すためではありません。被害者自身が、加害者を憎み続けるという「苦」から解放されるという利己的または実利的な理由と考えたほうがよいでしょう。応報論と同害復讐の理念は別であることは指摘しましたが、ここに被害者からの「赦し」の本質があります。 応報論の観点では「他者を憎むことは、自身の苦の種であり業とも悪因ともなる」から「他者を憎み続けることで、自身は苦を背負い続け悪果を得るかもしれない」ので「自身の苦や業や悪因縁から解放されるために他者を憎むことをやめる、すなわち赦しを行う」のです。 冒頭の引用を拡張すれば、「人」が赦すことができるのは自分だけであって、他者を赦すことができるのは「神」だけあり、「人」が他者を赦すことは「神」への不遜ということになるでしょう。
>現実は違いますよね!
だからこそ仏教は存在します。 仏教の(つまり釈尊の)現実認識の根底は、世間は苦である、という点です。 「生・老・病・死」という四苦、「生老病死」および「愛別離・怨憎会・求不得苦・五蘊盛」の八苦から自由になることが、仏教の目的です。縁起説に基づけば、その「苦」ですら固定した実体をもちえず、人それぞれの様態をもって表れる以上、人の生存には苦はつきものということです。 この現実に正面から向き合うことが仏教的な態度です。
※
ユリウス=カエサル『内乱記』 ー人間は自分が見たいとおもう現実しか見ない。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/19(日) 12:21
No:4041
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Title: Re:因果応報
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つまり自分のした事が自分に返ってくる訳じゃないんですね
行為が行為を生むのではない
子供を虐待して殺しても 虐待もされないし 殺されもしない
行為が行為を生むのではない
虐待されて殺された子供の心にどんな原因があったかは分かりませんが
天台沙門さん ありがとうございます m(__)m
自分を許す ですか。
自分を許すにはどうすれば良いのでしょうか?
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Name: 一九
Date: 2010/12/20(月) 06:40
No:4042
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Title: Re:因果応報
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行為は結果でその原因はすべて心にあります。 何度でも読み返してくださいね。 先入観(自分の主張)を捨てて素直になれば、文字通り理解できるようになります。
子供は親のカルマを受けますのでね。 集合のカルマも説明しましたね。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/20(月) 20:25
No:4044
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Title: Re:因果応報
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自分のやった事が自分に返ってくる訳じゃないんですね。
分かりました。
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Name: 菊雅
Date: 2010/12/21(火) 09:29
No:4045
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Title: Re:因果応報
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自分のやった事は必ず自分に還って来ますよ。 ただそれが直接か間接的にかの違いだけです。 悪い行いは借金みたいなもので一括返済もあれば分割もある。 (分割だってリボルビングや24回払いもある) 人それぞれ返し方が違う。中には自分の一生の間で返せない人もいる。 それを途中で投げ出せば来世でも払わなきゃならない事になる。 また善い行いは、幸運として還って来たり借金(悪い行い)を減らしたり貯金となったりする。 それと借金の返し方や貯金は人が決める事ではないから人が判断できる事では無い。 私は、そう思います。 ちなみに、私は人を殺したり犯したりする人間を信頼も尊敬もしません。 ましてや友達になろうとは思いませんね。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/21(火) 11:46
No:4046
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Title: Re:因果応報
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>自分を許すにはどうすれば良いのでしょうか?
どうしましょう?
と、いうのは人それぞれは、それぞれの生を生きてきたわけですから個別具体的に解決せざるをえません。いま現在の「苦」は、今までの生という因と縁によってできあがっているので、その因と縁に応じて解放への途を探るしかありません。
※
私は、自分を許す許さないという以前の問題として世俗的価値観から自由になった自己の確立が第一と考えます。いうまでもなく「ある価値観から自由になる」ということは「他者の価値観を認めない」ということではありませんので、念のため。
宗教的には瞑想(内観)が古典的な手法ですが、正直なところ即効性はありません。瞑想そのものに馴れる訓練からはじめ、何をどう瞑想するのかを知る必要があります。最終的には禅語でいう「無の境地」を体得すること、すなわち「赦しの主体」である偉大な存在との同一体験を果たしたり、自我を客観視できる高次の自己を認識することで、自分自身が許し許される存在になれると感じます。 カウンセリング手法では自分史の構成があります。いま現在の自分が、どういった過程を経てできあがったのか、を言語化(文書化)することによって客観視できるようにするわけです。その過程で、今の自分の「苦」の「因」や「縁」を知ることができるようになるでしょう。
いずれにせよ、自分を肯定する、ということが求められます。 この「自己肯定」は誤解されやすいのですが、「すべて自分が正しい」ということではありません。「自分は自分である」ということを気負いなく認めることです。善なる自分を否定するわけでもなく、悪なる自分を否定するわけでありません。善なる自分を肯定し、悪なる自分も肯定します。 (註:天台宗は仏教的性悪説に立つ。釈尊=仏陀も、その内面に地獄をもっているからこそ地獄にある存在を救うことができる、とする。)
※
自分を赦すという行為は、赦されるべき自分がいるということです。それはつまり、自分が赦しの対象となる罪を犯したという自覚が必要となります。その自分の罪と正面から向き合い、その結果を受け容れる覚悟を決めて、決めた自分から逃げないということが「自分を赦す」ことの総体でしょう。これを「自己責任」というと非常に浅薄な表現になりますが、自分の行為(=因)の結果と責任(=果)は自分で負う(=応報)という当然至極の原理です。
なお、忘れてはならないことは、「罪を赦す/赦される」ということは、必ずしも「罰を免れる」ことにはならないということです。このあたりは、スポーツにおいて反則の自己申告が世界標準でフェアプレイであると認められることを想起いただければよいでしょう。 逆に「罰を受ける」ことで「罪が赦す/赦される」とは限らないことも同様です。こちらについては、文学におけるシェークスピアなどの悲劇を想起ください。
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Name: 一般人
Date: 2010/12/21(火) 12:43
No:4047
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Title: Re:因果応報
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自分のカルマはあくまで自分のカルマであり、親だろうか社会だろうが、カルマを引き受けることはないはずですが……。
たとえば、社会のカルマを受ける、という言い方をしたとき、まず、その社会に生まれるカルマが自分にありますから、自分のカルマでしかありません。考え方として、社会や親のカルマのせいにするのは間違いのはずです。
ちょっと気になったので横から失礼させていただきました。。
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Name: 雷神
Date: 2010/12/23(木) 04:24
No:4049
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Title: Re:因果応報
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菊雅さん
例えば 虐待されて殺された子は何をしたのですか?
前世ですか?
虐待して殺した親は少しずつ借金を返して最後には無くなる。
何かを少しずつ返して最後には無くなる その同等の何かって現世でありますか?
やはり来世ですか?
あくまで例えばの話しです。 他にも色々な事がありますよね。
又、最初に話しが戻ってしまいます。
後 天台沙門さんありがとうございますm(__)m
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Name: 菊雅
Date: 2010/12/23(木) 05:38
No:4050
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Title: Re:因果応報
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雷神さん
私は前世の記憶なんてありませんからね。 来世だって、あれば良いぐらいにしか思っていません。 先ず、それが私の基本的な考え方です。
前世で殺されたからと言って、現世で人を殺したら怨みは晴らせるかもしれませんが、その行為は悪い行いにはかわりませんからね。 子供は犠牲になったと考えますよ。 でも、私は神仏を信じますから。 その子は次に生まれてくるときは善い行いの貯金から始まると思っています。 理想なんですけどね。
通勤途中なんで、簡単に書きました。 続きは、また後でm(__)m
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Name: 菊雅
Date: 2010/12/23(木) 07:39
No:4051
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Title: Re:因果応報
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先ず、借金は返すにあたって悔いるということが必要ですよね。 自分は悪い行いをしたと自覚しなければなりません。(罪の意識を背負う) 自覚が無ければ返したという事にはなりません。 自覚が無いまま又は畜生道や餓鬼道の心で生きたとしたら当然来世はその様に生まれて来るでしょう。 (人は来世に必ずしも人として生まれて来るという保証は無いですから)
それと、前世で殺された(殺した)から現世で殺す(殺される)の輪廻はどこかで断ち切らなければなりませんよね。
当然被害者は、可哀想です。 でも、その被害者が来世に加害者になる事も可哀想な事です。 私は罰を与えることより、そこから抜け出る事を願いたいですね。
私の養父は子供の私を虐めました。 で、その養父は結局、首を吊って死にました。 他にも原因はあったんでしょうが、虐めも因果応報の中に含まれているとしたら、正直あまりよい気持にはなりません。 恨みはありましたが、だからと言って、死なれてもね〜。
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Name: 一九
Date: 2010/12/23(木) 10:58
No:4052
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Title: Re:因果応報
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まだ納得がいかないようですね。^^ 確かにいたいけない子供が殺されるのは理不尽ですが、子供は親の学びを促すために、親のカルマを受ける運命を承知して生まれているんですよ。 自分から志願しています。 だからそのような子供に限って素晴らしい子が多いですよ。 親は泣きですね。 そうしてその子は更によいカルマ(徳)を積んで死んでゆきます。 死ぬことが最悪と考える唯物論ではなかなか理解しがたいことですが、生死を越えた真理の世界はそうなっています。
因果応報はやればやり返すといったものではないですよ。 自分の心が発したものは宇宙にこだまして、ありとあらゆる方向から自分に還ってきます。 よいもを発すればよいものが、悪いものを発すれば悪いものが還る、ただそれだけのことです。
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Name: T
Date: 2010/12/23(木) 14:12
No:4053
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Title: Re:因果応報
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雷神さま、はじめまして。 菊雅さま、ご無沙汰してます。 一九さま、先だってはお世話になりました。 わたしは、元気にしています。 カルマってね、利息がつかないんですよね。 無利息ってありえないような、後ろめたいような気がしますけど、気がつくまで無期限無利息、どうもそうなってるみたいです。 それにね、いくつかのキーワードがあって、『鏡』『あるがまま』『受け入れる』。 わたしは、性分が悪くこれらを受け入れられなかったので、随分苦労をしました。 まだ苦労真っ只中ですが、心持ちが変わりました。 なにをもって苦労とするかは人それぞれですが、『苦労買ってカルマの精算をしなくても、宇宙の本質に気がつくことこそカルマ。魂の浄化成長こそカルマ』という思いで日々を過ごしております。 それは苦行者だけの特権ではなく、日々の暮らしをきちんと楽しみ生きている者の特権と思います。 みなさまが安らかな一日を過ごされますように、では(^人^)♪
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Name: せんべい
Date: 2010/12/23(木) 15:19
No:4054
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Title: Re:因果応報
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こんにちは。
真理には「無」が、先ず前提にありますよね。
「無」は闇に見えるけど、宇宙であり自分であり未来でもあると思います。
なので「無」の中にあるもの、自分にとって良い事も悪い事も今はわからないだけではないでしょうか。
「無」から学ばないと、闇を進むのは難しい気がします。
「無」の中に自分の存在に気づけば、同等なものが見つかるかも知れません。
きっと、「同等なもの」は自分で見つけるもので人が決めれるものではないと思います。
すみません。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/24(金) 12:47
No:4056
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Title: Re:因果応報
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>自分のやった事が自分に返ってくる訳じゃないんですね。
「ある」か「ない」か「わからない」ということは、「ない」ということとは異なります。「わからない」ということは、前述のカラスの例でいえば青いカラスや赤いカラスについて語ることにあたるでしょう。
私は、哲学的には「因果応報」について不可知の立場ですが、宗教的には実在するという立場をとります。 その理由は、ひとつには二者択一の際には、より実害の少ないほうを選択すべきという一種の功利主義からです。すでに「因果応報がないから悪行をしてもよいという理屈にはなりませんし、因果応報があるから善行をするというのも不健康でしょう」と述べた通りです。 または、宗教者として論理的かつ現実に即し「因果応報」が実在していることを証明できるからです 「付属池田小学校事件」によって死刑執行された犯人。 ノーベル賞受賞に際し「長年の努力が報われた」と発言する研究者。
「ある」の証明は一実際例の提示で必要充分ですから、上記の2例をもって「悪報でも善報でも、因果応報は実在する」という証明になります。
※
ところで、このスレッドの論点の概要は、「因」と「果」の「応報」の関係性が不明瞭である、という点に尽きると考えられます。私見ながら、議論に「時間」の問題および「縁」という環境や間接的原因の問題を組み込むことで、論点の整理が可能となるでしょう。 例えば、 ・因と果との時間的間隔に法則性が存在するのか? ・同一の因に対して、必ずしも同一の果とならないのはなぜか? ・因果律は前世・今生・来世と保持されうるのか? ・因果律は今生だけのものなのか? ・そもそも因果律の主体は常住不変なのか? という点をきちんと考えておくべきでしょう。
※
「虐待死させられた子供」の問題に関していえば、「本人が持つ因に対する果としての被虐待死」ということが「暗黙の前提」とされているようです。いくらなんでも、今生において子供が悪因を作るとは考えられないので、行為としての因ではなく「業」というものを設定したり、その業の発生した場所としての「前世」や業が清算されるべき「来世」を考える必要性がでてきてしまいます。 ですが、世間は単純な因果関係だけで成り立っているわけではありません。本人に悪因がなくとも悪縁によって不都合な出来事に遭ってしまう可能性を考慮すべきは当然でしょう。 児童虐待が事件化した時、多くの人々が介入のタイミングを逸したことを悔やみます。つまり、事件のレベルや様態を決める要素として、虐待した側された側の因果関係だけでなく、事件のレベルが決まってくることは明らかです。
もう少し、縁(具体的には人間関係)についての考察が為されて然るべきではありませんか?
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Name: 雷神
Date: 2010/12/24(金) 13:11
No:4057
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Title: Re:因果応報
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職場などでいじめられてるという事はありません。 自分の身の周りにいじめはありません。 ハンネに恨みもこもっていません。 ただ人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しいです。 でもそんな事にはなりません。
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Name: 一般人
Date: 2010/12/24(金) 15:41
No:4058
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Title: Re:因果応報
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いくつ前かはわかりませんが、過去生で
>人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しい
という風に、人に願われることをし、今生で現実になったのかもしれないですよね?こういう内容は仏陀しか正しく見れませんから、あくまで仮の話でしかありませんが。
人を怨んでしまっては、怨んだ人間の悪行為となり、自身に結果をもたらすといわれます。 雷神さんは、人の痛みが分かる方とお察しします。これ以上、他人の不幸を願うことなく、本来の雷神さんの優しさが発揮され、よい未来につながることを願わずにはいられません。
たびたび失礼しました。
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Name: せんべい
Date: 2010/12/24(金) 22:25
No:4060
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Title: Re:因果応報
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こんばんは。
話がズレますが…
身近な人が、自殺に追い込まれたり犯罪に巻き込まれ亡くなってしまったら、加害者を怨む気持ちは誰でも持つと思います。
だけど、死んでしまった被害者を思い「許せないよね、憎いよね、怨みたいよね」って雷神さんの想いが死んでしまった被害者に聞こえたらどう思うんだろ…
極楽浄土へ行きたくても「やっぱり許せない、やっぱり憎い、やっぱり怨みたい」って思うかも知れないよ。
この世では、思いやりの気持ちで怨みますが、あの世では今の雷神さんの思いやりが逆に苦しみに縛り付ける事になるかも知れません。
どんな理不尽な事だったとしても、残された者達は極楽浄土まで押してあげる事が大切だと思います。
怨みを抱えてあの世へ行ってしまったと思うなら、雷神さんも怨みを無くす事が浄化へ、そして極楽浄土へのお手伝いになる気がします。
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Name: 一九
Date: 2010/12/25(土) 05:44
No:4061
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Title: Re:因果応報
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運動会みたいなトピになりましたね。^^ みんな「俺が一番だ!」と思っているから、どれが本当だかわからないでしょう。^^ あとは自分で勉強したらよいですよ。
> 人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しいです。 そのように人を呪う心は、とても不幸な自分自身のカルマになりますよ。 因果応報は人に問うものではなくて、自分に問うものだと何度も言ったでしょう。
これは私が体験したことですが、近所の人を何人も呪詛(じゅそ)した人がいました。 実は昔ここの相談室であったことで、その人は間もなく交通事故で急死しました。 唯物論的には偶然で片づけられますが、真理に偶然はありませんのでね。 他の原因である可能性も、なくはないですが。・・・
「人を呪わば穴二つ(人を呪うときは墓穴を二つ準備しなさい)」ということわざがあって、呪いの結果はかなり早く現実化するようです。 せっかくここへ来たのだから、それくらい心に留めておいた方よいと思います。 私はそろそろ運動会から引き上げますので。
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Name: 太陽
Date: 2010/12/25(土) 22:29
No:4062
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Title: Re:因果応報
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因果応報というのは、例えばAがBを虐めたから、いつかBからAが虐められるという単純なものではありません。仏教にはさまざまな階層があり、魂のレベルにより、そのレベルに同じレベルの魂が集合します。つまり、虐めることが平気な奴等は、虐めることを何とも思わない奴等が集合する階層に逗留することになり、結果、虐められやすくなります。要は、因果応報とは自分の魂のレベルに応じた報いとして、同類階層に投げ込まれることであり、自然、自分が平気でしたことを他人から平気でされる事を招くということだと私は解釈してます。
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Name: 雷神
Date: 2011/02/28(月) 08:53
No:4168
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Title: Re:因果応報
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さっと読み返して分からない所があります。 あくまでもサッとです。 別に返信が無くても構いませんがレスします。
>身の回りに起こることはすべて自分の心の結果です。
人を殴ろうと思って殴る、人をレイプしようと思ってレイプする その心の結果には何が返って来て 被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか?
>因果応報の原因は過去の行為にあるのではなくて現在の心にあります。 行為が行為を生むのではありません。
殴られた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? レイプされた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 殺された被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 加害者のその心の結果には何が返って来るのですか?
>行為は結果でその原因はすべて心にあります。
殴られた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? レイプされた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 殺された被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 人を殴ろうと思ってなぐる、人をレイプしようと思ってレイプする その心の結果には何が返って来るのですか?
>親は泣きですね。
虐待をして子供を殺した親には何が返ってくるのですか?
>自分の心が発したものは宇宙にこだまして、ありとあらゆる方向から自分に還ってきます。 よいもを発すればよいものが、悪いものを発すれば悪いものが還る、ただそれだけのことです。
人を殴ろうと思って殴る、人をレイプしようと思ってレイプする その心の結果には何が返って来て 被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか?
>人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しいです。 そのように人を呪う心は、とても不幸な自分自身のカルマになりますよ。
実際に人をいじめた人はどうなりますか?
>因果応報は人に問うものではなくて、自分に問うものだと何度も言ったでしょう。
なぜ人に問うものではなく自分に問うものなのですか?
>これは私が体験したことですが、近所の人を何人も呪詛(じゅそ)した人がいました。 実は昔ここの相談室であったことで、その人は間もなく交通事故で急死しました。 唯物論的には偶然で片づけられますが、真理に偶然はありませんのでね。 他の原因である可能性も、なくはないですが。・・・ 実際に人を恨んで殺した人はどうなりますか?
>「人を呪わば穴二つ(人を呪うときは墓穴を二つ準備しなさい)」ということわざがあって、 呪いの結果はかなり早く現実化するようです。
実際に人を恨んで殺した人には何が返ってくるのですか? 結果はかなり早く現実化するのですか? 実際に人を恨んで殺した人も墓穴二つですか?
>どれが本当だかわからないでしょう。^^
どれが本当なのですか?
返信が無くても構いませんが分からない所をサッとレスしてみました。
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Name: 一九
Date: 2011/03/01(火) 05:44
No:4170
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Title: Re:因果応報
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言葉尻を追うとますますわからなくなりますよ。 言葉は体験して感じるための道具です。 考えるのではなく、何度も読んで意味を感じてください。
因果応報というのは、「敵だ!」と思って鉄砲玉を打ち込めば自分に命中するということです。 それは即ち、人のために一生懸命尽くせば、自分が報われるということです。 それはなぜかというと、本当は人も自分も分離したものではないからです。
「自分」と思うのはエゴの錯覚で、自分も他人も地球も宇宙も同じ一つの心です。 他人と思っているのは全部自分なんですよ。 だから自分のした行為はすべて自分にかえる。
お釈迦様はそのことに気づいて「諸法無我」と言いました。 それに気づくことが「さとり」です。 これもいくら考えても理屈ではわかりませんのでね。^^
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Name: 雷神
Date: 2011/03/01(火) 08:38
No:4171
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Title: Re:因果応報
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>それに気づくことが「さとり」です。
一九さんは気づいて「さとった」のですか?
>これもいくら考えても理屈ではわかりませんのでね。
一九さんもわからないのですか?
分かっているのですか?
自分は因果応報はあると「知っています」もちろん初めてスレを立てた時から、
ですが
因果応報があるとは「分かりません」。
一九さんは因果応報があると知ってるだけですか?
それとも分かっているのですか?
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Name: 一九
Date: 2011/03/02(水) 05:41
No:4173
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Title: Re:因果応報
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人はどうでもいいんですよ。 因果応報もさとりも、自分に問うことであって、人に問うことではありません。 「ああ言ったこう言った」と言葉尻にもとらわれないほうがよいです。 横道ばかりですが、因果応報はわかりましたか?
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Name: 雷神
Date: 2011/03/02(水) 10:10
No:4176
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Title: Re:因果応報
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横道ばかりなのは
あなたが質問を全てスルーするからですよ。
>人はどいでもいいんです。 >因果応報はわかりましたか?
分かりません。
あなたは因果応報は分かりましたか? またスルーですか?
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Name: 椛
Date: 2011/03/02(水) 23:05
No:4180
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Title: Re:因果応報
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波紋のようなものですから、小さな行いには直ぐに、大きな行いには時間をかけて、結果が返ってくるといいます。 波動が地球の裏側までいって、返ってくる頃には本人はいない、なんてこともあるでしょうけれど、仏陀が生きていた頃の光は、今も夜空にあるようです。
それと同じで分かりにくかったり、答えがなかなか見出せない、時間がかかる問題ほど、広く深く大きくて皆にとって重要な事なのかもしれません。
私は雷神さんの書き込みを見て、親鸞聖人の 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉が何故か浮かびました。何かのきっかけになれば幸いです。
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Name: CD
Date: 2012/03/09(金) 13:51
No:4654
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Title: 水子の供養に関して
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今から四年ほど前に、授かった子供が運悪く妊娠3ヶ月を前に 流産いたしました。その際は、妻も私も大変落ち込み悲しんで おりましたが、その後子供に恵まれる機会があり、悲しみも癒えて おりました。しかし、生まれたわが子の一人が難病に掛かり、 その際には日頃の信仰心の無い自分も、神や仏にもすがる気持ちで わが子の回復を願い、その際にふと産まれなかった子供の事を 思い出しました。 その後、難病からは回復することが出来ましたが、喜びと共に 産まれることが出来なかった子供のことが思い出されるのです。 特にお寺で供養などはしなかったのですが、今からでもお寺で 供養を行うと、妻にその時の悲しみを思い出させたり、妻が一時 仏教以外の新興宗教的なものを信仰していたために、自分から 供養を行うことがきっかけで、また活動をしてしまうのが恐いのです。 自分の心の中で産まれなかった子供のことを思い出し、日頃の 兄弟たちの無事の成長を感謝するだけでも供養となるのでしょうか。それとも、正式な供養をお寺でしなければいけないのでしょうか?
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Name: タタータ
Date: 2012/03/10(土) 07:53
No:4656
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Title: Re:水子の供養に関して
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お寺で供養しなければならないということはないと思います。 お寺は供養の気持ちの一つの表現ですから、お寺に頼んでも、自分に供養の気持ちがなければ意味がないわけです。
自宅でやるのであれば、場所を決めてお花を飾ってお水と時々供物を捧げればよいと思います。 生まれなかった子供を思い出して幸せを祈ればよいです。 思い出すことは忘れるために必要です。 気持ちを封じ込めておけばいつまでも記憶に残りますので。
奥さんが一時的に新興宗教に入ったのは心のバランスをとるために必要だったのではありませんか? ご主人にそれが出来なかったのであれば、感謝こそすれ否定はしないほうがよいと思います。
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Name: 尊明 [URL]
Date: 2012/03/11(日) 03:45
No:4658
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Title: Re:水子の供養に関して
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出来ることなれば、お近くのお寺で水子供養をされることをおすすめします。
奥様の事情もわからなくはありませんが、この世に産まれることが出来なかった我が子の成仏を願い仏様に託すことは大切なことであろうと考えます。
供養の方法には様々ございます。
お写経をされることも、お地蔵様の前で手を合わされることも供養です。 奥様が落ち着かれるまでは、あなたの出来る水子供養をされておかれては如何でしょうか?
そしていつかは、奥様と共にご家族でお参りできればいいと存じます。
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Name: CD
Date: 2012/03/11(日) 12:37
No:4660
| 解決
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Title: Re:水子の供養に関して
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ご回答いただきました、タタータ様、尊明様ありがとうございました。 新興宗教的な活動があったのは、結婚前の時だけだったのですが、 その宗教が他教義に排他的だったために、私は活動にいい顔をしませんでした。 供養に関しては、なかなか言い出せません。 表面的にしか解りませんが、妻の悲しみが癒えているものと思って いたので思いださせることになるのではないかとやはり恐いのです。 私だけでお寺にて供養をお願いするか、お参りを行うかでしばらくは供養としたいと思います。 時間は経過しているので、悲しみも少しは穏やかに解消されている と思えれば、妻にこちらから話してみたいと思います。 産まれなかった命のことは忘れられません。 成長している子供たちに幸せを実感するたびに、産まれなかった 我が子に申し訳なさと、同じように幸せな思いをさせてやりたかっ たという気持ちがこみ上げます。 その度に、心の中で手を合わせ供養としておきたいと思います。
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Name: たま
Date: 2012/03/08(木) 22:56
No:4652
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Title: 一周忌法要について
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5月に姉の一周忌法要をします。 家族の他に一人だけ姉と親交のあった方に来ていただく予定です。
そこで質問です。 法要の後、会食する予定はありません。 来ていただいた方にはどんな物を渡したらいいでしょうか? どう対応すればいいでしょうか?
教えていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
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Name: 尊明 [URL]
Date: 2012/03/11(日) 03:57
No:4659
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Title: Re:一周忌法要について
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法要の時間帯にも関係します。 お昼時に法要を行い、会食をしないとなると、 お弁当なども用意されると良いでしょう。
「何だ食事もないのか?」 とご立腹の方も考えられます。 次は3回忌 その後は、7回忌。 そんな度々あることではありませんので、 出来ましたら会食を設けられることをおすすめします。
また、菓子折なども用意されるといいでしょう。
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Name: ひでこ
Date: 2012/03/08(木) 14:29
No:4650
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Title: お寺からの破門(?)について
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父かたの祖父母の代からお世話になっているお寺から先日、 「うちの寺から破門する」旨のお手紙をもらって驚いています。 (手紙の宛名は他界した祖母の名前で来ました)
父親に聞いてみたところ、他界した祖父の代にすでに 檀家としての不義理(お布施を支払っていない事と、採算の寄付請求に応じなかった事)を行ってしまっているため、このような事態に陥ったとのことでした。
祖父が他界したのがすでに1965年ごろの出来事なので、 そのころから換算すると途方も無いお布施の金額になっているのでは・・・と考えると、檀家を続けると言う意志のもと、 支払うべきなのかどうなのか途方に暮れています。
◎こういった場合、諸々のお金を支払わなければ破門をといて いただけないのでしょうか?
◎破門されている場合、その宗派全ての僧侶さまから スルーされてしまうと聞きました。 葬儀を出す時は「無宗教」・・・・これは、親戚にとやかく言われるので避けたいと思ってはいるのですが・・。 なにぶん、親戚の誰一人としてお金を出したくないと言うのが自分の周りの雰囲気です。 莫大な金額は、もちろん我が家でも出せませんが・・・。
◎また、現在、自分の同居中の父親が万が一他界してしまった場合、破門中なのにこのお寺さんにお参りを頼む事は出来るのでしょうか?
何だかまとまっていなくて申し訳ありませんが、 直接お寺さんに伺う前にこちらでご教示いただけますと 幸いです。
どなたかアドバイスお願い致します。
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Name: 播磨山
Date: 2012/03/08(木) 22:47
No:4651
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Title: Re:お寺からの破門(?)について
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要は檀家としての実質がないと判断したので関係を解消する、ということでしょう。ぜんぜん音沙汰なく挨拶も来ず護持費も払わず…が何年も続いたら(1965年からだと半世紀ですよね?)、そりゃ檀家でありたいという意思がないと判断されても仕方ないでしょう。 毎度の行事のお知らせを郵送するだけでもタダじゃないし、位牌堂があればその霊供膳の費用や墓の管理等もあります。他の檀家さんはコツコツと護持費を負担していただいてたり、布施をしていただいて日常的に寺を維持してくださっているわけだし、そういうコツコツした日常の負担は他の檀家さんに押し付けてただ乗りし、葬儀の時だけ寺に面倒見ろ…というのは無理でしょう。少なくとも今後もそういう方針なら難しいと思います。
だいいち親戚にとやかく言われたくないだけで寺に葬儀を…というのはなんだかバカにした話です。無宗教葬でいいのではないでしょうか。無宗教者なんでしたら、別に恥じることでもないでしょう。 世の中にはバイト坊主や偽坊主もいますので、葬儀屋に頼んだら適当なのを派遣してくれると思います。
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Name: ひでこ
Date: 2012/03/09(金) 20:21
No:4655
| 解決
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Title: 申し訳ありませんでした。
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>播磨山さま
まったくその通りのお言葉だと思います。 当方の一族が招いてしまった無責任な問題に、 アドバイスいただけましたこと、感謝致します。
きちんと仏事と向き合っていけるよう、今から 気持ちを入れ替えようと思っております。
本当にありがとうございました。
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Name: 播磨山
Date: 2012/03/10(土) 11:39
No:4657
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Title: Re:申し訳ありませんでした。
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まぁ厳しい事を言いましたが、供養は心です。そして、心は必ず行動に現れます。そういう意味で、お金の問題云々ではなく、仏事というものが自分にとって何か、もう一度しつかり見詰められてはどうでしょうか。 半世紀分の護持費を出せ…とまではさすがにお寺も言わないと思います。今後の事として、しっかりとされれば良いのではないかと思います。今一度、お寺と話をしてみてはどうでしょうか。 それでも「破門だ」と言うのであれば、それは致し方ないでしょう。他のお寺さんに移籍することは不可能ではないですし。同宗派の寺からはスルーされる…というのも、複雑な問題がありますので、そういうことはあり得ます。同地域では難しいでしょう。 ただ、少し離れた地区の寺だと可能な場合もあります。
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Name: まさ
Date: 2012/03/06(火) 00:33
No:4646
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Title: 卒塔婆
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祖父の回忌に、行くことが出来ないので卒塔婆を、頼もうと思っているのですが、私と弟で、一本の卒塔婆に、連名(それぞれ結婚して性が違う)は、失礼ですか?? 孫が、卒塔婆を、立てるのは、可笑しいですか??
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Name: 尊明 [URL]
Date: 2012/03/08(木) 07:39
No:4647
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Title: Re:卒塔婆
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塔婆を願われるのは、良いことです。 お孫さんであっても、たとえ友人であっても構いません。
ただ、基本的には、一人で造立するものです。 連名ではなく、別々にされることをお勧めします。
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Name: まさ
Date: 2012/03/09(金) 00:37
No:4653
| 解決
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Title: Re:卒塔婆
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ありがとうございました。早速・卒塔婆をそれぞれ頼みます。
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Name: 菩薩信仰
Date: 2012/03/04(日) 17:58
No:4645
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Title: 弥勒菩薩さまのご祈祷
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私は弥勒菩薩さまが好きなのですが、弥勒菩薩さまのご祈祷が受けられるところはありませんでしょうか? よく見るのはお不動さまのご祈祷ばかりです。
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Name: 尊星王院 [URL]
Date: 2012/03/08(木) 12:04
No:4649
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Title: Re:弥勒菩薩さまのご祈祷
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>>弥勒菩薩さまのご祈祷が受けられるところはありませんでしょうか?
あいにく存じ上げませんでしたので、ネットで検索しましたところ、いくつかヒットいたしました。
『弥勒菩薩の祈祷寺』で検索されてみてください。 お住まいのお近くにあるかと思います。
ご自身で弥勒菩薩を祀る寺を調べて弥勒巡礼されますのも功徳積みになるかと存じます。
合掌
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Name: はるちゃん
Date: 2012/03/04(日) 16:15
No:4644
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Title: お墓の移動について
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父の実家(香川県)の墓地から私の住んでいる大阪へ父の遺骨を引き取りたいのですがどのような手続きをすればよいのでしょうか。初めは伯父が父の遺言通り父の両親が眠る本家のお墓に父の遺骨を入れてくれていたのですが途中からやっぱり一緒にするのは駄目だと大阪の私達(兄と私)に一言の連絡もなく勝手に父だけのお墓を別に作ってから私達に連絡をしてきたので驚きました。あげくに「何故ワシ等がお前達の父親の墓の面倒をみなくちゃいけないのか」と文句を言われ途方にくれて遺骨はこちらに引き取ることにしましたが手続きや遺骨を引き取った後の墓石はどうすればよいのかなにもかも初めてでわからなくて困っています。もちろん私達は伯父や伯母に父の墓守りをお願いしたり押し付けた訳でもないのでそのように言われ大変遺憾に感じています。ならば初めに伯父が「駄目だ」と言ってくれればこんなことにはなっていなかったのに‥と現在、苦しんでいます。どうか遺骨の移動の際の手続きについておわかりであれば教えて下さい。
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Name: 尊星王院 [URL]
Date: 2012/03/08(木) 11:50
No:4648
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Title: Re:お墓の移動について
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はじめにご尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。
お墓の移動について。
>>遺骨はこちらに引き取ることにしました。 >>遺骨を引き取った後の墓石はどうすればよいのか。
拝見しますと、この2点に相談が絞られてくるかと存じます。
>>遺骨はこちらに引き取ることにしました、については、納骨供養されたお寺様にご事情をお話し、お墓から骨壷を出す読経をあげていただき、埋葬許可書を必ず戻してもらってください。 納骨供養されたお寺様は、菩提寺様と推察いたしますので、お遺骨引取りの手順なども教えていただけるかもしれません。
>>遺骨を引き取った後の墓石はどうすればよいのか。 これにつきましては、お墓を撤去して更地にするのか、お墓をお寺様に魂抜きをしていただいて、どなたかご親戚に譲り渡すか、なども考えられます。それによって費用等も異なるでしょう。
お寺の中にある墓か、霊園、もしくは共同墓地にある墓かでも違ってきます。できれば、お墓の所在するお寺様、或いはお墓を造られた石屋さんんに相談されることが、納得のいく答えをいただけることでしょう。
叔父様との確執がこのようなことになられたことを考えますと、本家の菩提寺様を通していかれることをアドバイスさせていただきます。
合掌
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Name: おとじろう
Date: 2012/02/20(月) 11:50
No:4635
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Title: 宗派の違うお仏壇
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このたび伯母が103歳で永眠しました。残念ながら子供たちは先に逝き、またその子供もおりませんので伯母が嫁いだ先は途切れてしまいました。信心深い伯母でしたので、お寺さんには永代供養料を納めお願いすることにしています。三回忌までは親族で集まり供養はいたします。その後お墓やお仏壇をどうしたらよいか悩んでいます。気持ちとしてはお仏壇を引き取り一緒に供養したいのですが、その下の伯母も母も、宗派が違うということで、一緒にすることはできない、と言い困っています。お寺さんに直接相談してみたら、と薦めていますが、アドバイスお願いいたします。
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Name: 水波坊
Date: 2012/02/20(月) 16:34
No:4636
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Title: Re:宗派の違うお仏壇
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事情もわかっているはずの、もとの菩提寺に相談するのがベストでしょう。 仏壇そのものはともかく、おとじろうさんが位牌を引き取って供養すること自体は問題ないと思いますが、たとえばあなたが死んだ後のことまで考えた時、直系でない人の位牌や墓はいずれ誰もみなくなる…という状況になります。その時また、その時点での「責任者」が持て余す…ということになりかねません。 中途半端にして将来万が一にも粗末になるのならば、実際に気持ちのある方、おとじろうさんがしっかり永代供養をしてお寺にお任せして整理してあげるのが、私は最善かと思いますけれども。
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Name: おとじろう
Date: 2012/02/23(木) 10:34
No:4643
| 解決
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Title: Re:宗派の違うお仏壇
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水波坊様 確かに今の気持ちだけで動くと、いずれそれは無責任な行為であった、ということになりかねませんね。これまで、心のどこかで永代供養をお願いすること自体が無責任な気がしていました。実はその逆で、永代供養こそが未来まで責任を持つ解決方法であったのですね。お導きありがとうございます。これでお寺さんに素直に心から相談出来ます。ご助言ありがとうございました。
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Name: さき
Date: 2012/02/14(火) 14:22
No:4625
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Title: 住職交代式の正装
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この度、菩提寺の住職さんが息子さんに代替わりする事になり、式、祝賀会に招待されました。 招待状には平服とありましたが、子供は制服が無難と言われましたので、そのつもりですが、親は結婚式のような感じと受けとめてよいのでしょうか?それとも完全なブラックフォーマルを着るものでしょうか?
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Name: 水波坊
Date: 2012/02/14(火) 15:05
No:4626
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Title: Re:住職交代式の正装
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ブラックフォーマルである必要性はないかなぁ、と。男は普通のスーツでいいと思います。 女はまぁ、年齢や立場にもよるでしょうし、式の規模や地域性にもよるでしょうが…都市部なら地味なスーツ系、田舎なら普通に小綺麗な格好だったら何でも良いかと。まぁ祝い事ですけれど、一応、赤系は避けた方が無難ではあると思います。
ま、寺に直接に尋ねてもいいとは思いますけれども。
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Name: さき
Date: 2012/02/17(金) 00:10
No:4630
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Title: Re:住職交代式の正装
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ありがとうございます。 お寺はカジュアルじゃなければ何でもと言う事でした。
私は30代前半の檀家の嫁です。
入学式や結婚式で着るような水色のワンピースにしようと思いますが、大丈夫そうですね。
ありがとうございます
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Name: 勝運寺
Date: 2012/02/17(金) 09:23
No:4631
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Title: Re:住職交代式の正装
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住職交代式→「晋山式(シンザンシキ)」と言います。 男性はスーツ女性は普段外出用の服装「ただしジーパン、トレーナー等の普段着はXです。」出来ればズボン(パンツスーツ)の方が良いでしょう。ブラックフォーマルは避けてください。良く胸などにコサージュを着けて来られる方がいますが是も駄目です。 檀家さんに晋山式でお願いするのはお手伝いですから出来ればエプロン等も持参してください。
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Name: さき
Date: 2012/02/22(水) 10:31
No:4642
| 解決
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Title: 住職交代式の正装
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ご丁寧にありがとうございます。
おかげさまで、無事に済ませる事ができました。
カラーフォーマルで伺い、お客様としてお見えになったお坊様の御接待をさせて頂きました。
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Name: (:_;)
Date: 2012/02/21(火) 03:35
No:4637
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Title: 水子供養
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豊川市豊橋市蒲郡市らへんで水子供養してくださるお寺教えて下さい
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Name: (:_;)
Date: 2012/02/21(火) 13:43
No:4638
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Title: Re:水子供養
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愛知県内です 教えて下さい 費用はどのくらい かかりますか?
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/02/21(火) 15:14
No:4639
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Title: Re:水子供養
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当方、浄徳寺の住職をしております隆胤と申します。 そちらの近くの寺院は私も存じておりません。誠に相すみません。 供養の費用は、本来は布施ですので、いくらでも結構かと存じますが、お寺にて供養料を決めておる場合があり、一概には申せません。 どの宗派のお寺でも御供養していただけます。宗派にこだわりがなければ、ご近所のお寺を尋ねてみられるのもよろしいかと存じます。 合掌
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Name: (:_;)
Date: 2012/02/22(水) 00:57
No:4641
| 解決
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Title: Re:水子供養
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ありがとございます
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Name: クスノキ
Date: 2012/02/04(土) 15:29
No:4610
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Title: お坊様はどんな数珠を使ってるのですか?
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数珠を今度買ってみようかと思うのですが、以前密教のご祈祷を見たときお坊様はすごい数珠を使っていましたがあれはどんな原料のものを使っているのでしょうか? 高いものから安いもの。材料もいろいろなものがあるので迷っています。お教えいただけたら幸いです。
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Name: 水波坊
Date: 2012/02/04(土) 21:44
No:4611
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Title: Re:お坊様はどんな数珠を使ってるのですか?
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すごい数珠とは、いったい…(笑 まぁ宗派によって形は違いますし、材質も色々です。 材質は大きく、木材と天然石がありますけれど、基本的には木材を使うのが正道だと思います。 真言宗なら、初心のうちは梅かカヤでしょうか。一般の僧侶は黒檀や菩提樹などを使う人が多いんじゃないかなぁ、と。杉とかヒノキとかもあるみたいですね。 また、透明の水晶の数珠もありまして、これは導師が使うものです。脇につく副導師さんなんかが使う者で、半分黒檀・半分水晶という数珠もあります。勿論こういうのは、普通の人が使う事はありません。
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Name: クスノキ
Date: 2012/02/19(日) 18:54
No:4632
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Title: Re:お坊様はどんな数珠を使ってるのですか?
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水波坊さまお返事ありがとうございます。 水晶の数珠を使っている、お坊様もいるとのことですが、紫水晶(アメジスト)ですごく安いものがあったのでそれを購入しようかと思っています。 お坊様の中で紫水晶の数珠を使っている方はいらっしゃいますでしょうか?
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Name: 水波坊
Date: 2012/02/19(日) 21:21
No:4633
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Title: Re:お坊様はどんな数珠を使ってるのですか?
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いないと思いますよ。 普通は、木です。少なくとも真言宗で石はあんまり使わないですね。他宗派でも、僧侶は石をあまり使わないと思います。 上記に書いたとおり、使うとすれば水晶ですが、普段使いではありませんし、アメジストではなくて本水晶です。
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Name: クスノキ
Date: 2012/02/19(日) 21:26
No:4634
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Title: Re:お坊様はどんな数珠を使ってるのですか?
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水波坊さまお返事ありがとうございます。 なるほど・・・ 水晶もいいとは思いますが偽の水晶がすごく多いらしいのでウメを勧められました。(高価な鑑定つきのものは別) アメジストは非常に安価でウメより安く偽物もほとんどないらしいのでいいな!と思ったのですが、やはりお坊様が使うようなものではないのですね。
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Name: クスノキ
Date: 2012/02/21(火) 15:14
No:4640
| 解決
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Title: Re:お坊様はどんな数珠を使ってるのですか?
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結局、ウメの数珠を購入することになりました。 お坊様でも基本は梅の数珠ということでした。 水波坊さまいろいろ教えていただき、ありがとうございました。
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Name: さくら [URL]
Date: 2012/02/10(金) 19:36
No:4615
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Title: 施餓鬼供養のお寺探しています
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はじめまして。今、奈良県内(できたら香芝市ないし近郊)で真言宗の施餓鬼供養を我が家でしてくださるお寺を探しています。かなりきついご先祖様の因縁があり、強い法力をもったお坊様を探していますが、どう探してよいのか全くわかりません。どうかおしえていただけませんでしょうか。お願いします。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/02/11(土) 10:05
No:4618
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Title: Re:施餓鬼供養のお寺探しています
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奈良県内に寺を持ちます浄徳寺隆胤と申します。
奈良県内、日本国さがしても、それほど力のある僧分はそうおりません。(私もその一人でありますが。10年で寿命つきるため、力が低下しております。仏様の声も以前と比べ聞こえにくくなっております)
以前こちらにおられました東北か北海道のお寺の住職さん(たしか青龍寺さんというお名前だったように記憶しております)は、この掲示板で見ておりましても、かなりの法力をお持ちでした。 今は法務でお忙しいのかお出ましになりませんが。 ホームページを出しておられたと記憶しております。 一度お尋ねてみられるとよいかと思います。 もしかしたらこちらに縁寺があるやもしれませんので。
合掌
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Name: さくら [URL]
Date: 2012/02/11(土) 13:15
No:4619
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Title: Re:施餓鬼供養のお寺探しています
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ごていねいな回答ありがとうございました。早速青龍寺さんのホームページを見てみます。心より感謝いたします。
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Name: さくら [URL]
Date: 2012/02/11(土) 13:27
No:4620
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Title: Re:施餓鬼供養のお寺探しています
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青龍寺を調べてみましたが沢山あり、教えてくださったのは、高知県土佐の青龍寺さんでしょうか?
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/02/11(土) 20:32
No:4621
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Title: Re:施餓鬼供養のお寺探しています
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さくら様遅くなりました。北海道の高野山真言宗の青龍寺さんと記憶しております。 合掌
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Name: さくら [URL]
Date: 2012/02/16(木) 18:56
No:4629
| 解決
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Title: Re:施餓鬼供養のお寺探しています
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お礼が晩くなってすみません。どうもありがとうございました。
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Name: よこちゃん
Date: 2012/02/13(月) 18:11
No:4622
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Title: お供えのお返し
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昨年12月に父が亡くなり、お香典は辞退したのですが、会社関係の方に49日の法要にお供えを頂きました。このお供えのお返しはどうすれば失礼が無いでしょうか?ご教示お願い致します。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/02/13(月) 18:31
No:4623
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Title: Re:お供えのお返し
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浄徳寺住職の隆胤と申します。
『49日の法要に会社関係の方のお供え』とありますが、会社からなのか、職場の仲間なのかをお尋ね致します。 また、お供え下さったのは、現金なのか、そうでない物(花、菓子、線香など)なのかを教えて下さいませ。 合掌
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Name: よこ
Date: 2012/02/14(火) 13:23
No:4624
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Title: Re:お供えのお返し
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ご説明不足で大変失礼致しました。職場の上司及び同僚からで、あくまでも個人的なレベルで頂きました。お供えは、お花とお線香とお菓子です。宜しくお願い致します。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/02/14(火) 18:54
No:4627
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Title: Re:お供えのお返し
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遅くなりました。 品物でしたら49日の法要を無事に済ました事、戴いた物はその折に霊前にお供えした事を告げ、お礼の言葉を申すのみでよいでしょう。 合掌
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Name: よこ
Date: 2012/02/15(水) 10:09
No:4628
| 解決
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Title: Re:お供えのお返し
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隆胤様 了解いたしました。ご教示誠に有難うございました。
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Name: もも
Date: 2012/02/10(金) 16:11
No:4614
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Title: 気になってます教えて下さい
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私が2歳で生き別れた父の事が気になり、 先日戸籍を調べると数年前に亡くなっていました。 死亡場所からの憶測ですが、 刑務所で服役中に亡くなった可能性があります。
父の実家も分からず、 父は実兄からも愛想をつかされて、 勘当同然だと聞いてましたので、 多分遺骨も引き取り手がなく、 刑務所の方で無縁仏として処理されてると思います。
遺骨もないですし父自身の宗教も分かりませんが、 子供として供養してやりたいと思いますが、 どこに行ってお経をあげてもらえるのか、 可能なら戒名をつける事は可能か知りたいです。 またおおよその費用を教えて下さい。
また簡素でも仏壇を家に置きたいですが、 その場合、どうしたらいいでしょうか? とにかく遺骨も宗派も不明な状態で、 供養に関して初めての事ばかりなので、 詳しく教えて頂けると助かります。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/02/11(土) 09:46
No:4617
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Title: Re:気になってます教えて下さい
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御父上の御供養をなさりたいとのこと、そのお気持ちが誠に尊いと存じます。
どこに行ってお経をあげてもらえるのか? 戒名をつける事は可能か?
とのご質問ですが、お寺でしたら(宗派の違いこそあれ)どこでも可能です。近所のお寺、ご縁のあるお寺などの住職さんにお尋ねください。きっと引き受けてくださいますよ。
供養、戒名、などのおおよその費用はいくらか?
とのご質問ですが、これはお気持ちをと言われるお寺、檀信徒総代会で御布施の額が決まっているお寺、いろいろございます。よって一概には申せませんので、お寺の住職さんに直接お尋ねください。
仏壇をお祀りしたいが、その場合どうしたらよいか?
とのご質問ですが、開眼供養をしなければなりません。仏像などを仏様に致します。 開眼供養をしない宗派もありますが、読経はしますのでお寺に相談ください。
先程も申しましたように、近所のお寺、ご縁のあるお寺、いろいろ見て、これだと決められたお寺の住職にしていただくのがよいと思います。よいお寺との巡り会いを祈念しております。
合掌
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Name: える
Date: 2012/01/25(水) 13:15
No:4605
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Title: 無題
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初めまして。 あの、私の父と母の両親を一つの仏壇で祀っているんですが、問題ないものなんでしょうか…。
先に父の親を祀ってましたが、お寺さんに大丈夫だと言われ、後に母の親の魂入れをして祀るようになったようなんですが…。
気になってます。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/01/25(水) 15:00
No:4606
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Title: Re:無題
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あたなた様の父方、母方のご両親を、ご一緒にお祀りすることに問題があるのかとのお尋ねですが、何ら問題はございません。 どうぞご一緒にお祀りなされ、御供養ください。御供養しない事の方が問題がございますので。
ただ、2代、3代、4代と子孫に受け継がれると、それが誰の位牌なのか分からなくなってしまいます。そのようなことのなきように、隅の方に『○○の父』とか『○○の母』などとお書きになることをお勧め致します。その際は、菩提寺の御住職様にお尋ねくださいませ。 合掌
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Name: える
Date: 2012/02/10(金) 20:55
No:4616
| 解決
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Title: Re:無題
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すぐお返事頂いたのにお礼が大変遅れてしまい申し訳ありません。
とても安心しました。ほんとにありがとうございました。
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Name: S
Date: 2012/02/09(木) 00:27
No:4612
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Title: 遠方での供養
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この度、葬儀に関してお聞きしたいことがあり、投稿いたしました。
先日、祖父が亡くなりました。 孫やひ孫が比較的多く、親戚関係が多少複雑なこと等や、故人の遺言により、 葬儀は祖母と息子娘夫婦(父・母・おじ・おば)のみで行うこととなったため、 私達孫は参列することができませんでした。
私は、実家を離れ、都内に住んでいます。 次に帰省するのは、四十九日前後になりそうです。
祖父の遺体も見れず、きちんとした形でお別れできなかったことが、 非常に心残りです。 亡くなったという実感すら湧かない状態です。
そのような中、都内のお寺で、簡易なもので構わないので、供養をしていただき、 自分の中での区切りを付けたい、と考えるようになりました。
そこで、数点質問させていただきます。
1:そもそも、上記のような、葬儀以外の遠方での供養は、 やっていいものなのでしょうか?
2:可能な場合、何供養(先祖供養?)になるのでしょうか? また、お寺の宗派は、故人(本家)のものと合わせるべきでしょうか? (浄土真宗だそうですが、何派かは分からないとのことです。 また、私自身が、都内でどこかの檀家になったりはしていません。)
3:お布施はいくらぐらいになるでしょうか? (学生なので、多額の出費は困難です。)
4:この状況で、孫としてすべきことは、他に何かありますか? (親族・友人・知人等で葬儀を欠席する場合、 弔事の手紙を書いたりすると思いますが…。)
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2012/02/09(木) 12:16
No:4613
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Title: Re:遠方での供養
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四十九日に地元で法事があるのではないですか? それに出られるのならば、そこでしっかり手を合わせれば良いと思います。都内の寺で別に…という必要は、私は感じません。それよりも四十九日の間、ご自身でしっかりとおじいさんの事を思い、手をあわせて、仏様の光にしっかり導かれるよう祈ってください。 どうしても都内でやりたいということであれば、もちろんダメということもないですが…。その場合、宗派は、私個人としては合わせる必要性はないと思っています。仏はひとつです。人間の側の都合や考えで宗派が分立していますが、それは仏・仏法の方からはどれでもいいことです。どの宗派を通しても、見る先はひとつです。
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Name: みかん
Date: 2012/01/26(木) 20:23
No:4607
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Title: 新盆と一周忌について
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昨年の9月に、母が亡くなりました。 ご相談ですが、新盆と一周忌を行う日程ですが、一緒に7月に行っても良いものなのか、それとも別の日の方がよいのでしょうか? よろしくお願いします。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/01/29(日) 15:06
No:4608
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Title: Re:新盆と一周忌について
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本来は別の趣旨の法要ですので、別に行うのがよろしいと存じます。また、まだお亡くなりになってすぐの一周忌を他の法要と一緒に行うのはよろしくありません。 しかし、金銭的な問題もございますから、どうしてもと思われるなら、菩提寺様とご相談なされたらよろしいかと思います。 合掌
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Name: みかん
Date: 2012/02/01(水) 20:53
No:4609
| 解決
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Title: Re:新盆と一周忌について
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わかりました。 早速の返事ありがとうございました。
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Name: たら
Date: 2012/01/17(火) 14:59
No:4594
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Title: お供えのおだんごについて
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お聞きします。 先日、主人の祖母の納骨の際、お供えのおだんごがあまってしまい、義母が持ち帰れと子供に持たせました。墓石屋さんが持って帰ってはいけないのですよと言ってくれたのですが、無理やり持たされてしまいました。わたしは、小さい頃から、お墓に持っていったものは、その場で食べきるように教わってきました。義母は、言うことを聞いてくれず、わたしもなぜ持ち帰ったらだめなのか理由が分からないため言い返せませんでした。 どなたか教えてください。
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Name: 浄徳寺隆胤
Date: 2012/01/23(月) 11:53
No:4602
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Title: Re:お供えのおだんごについて
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浄徳寺の住職をしております隆胤と申します。 さて、お尋ねの件ですが、地域の風習のように思います。お供えなされた物は、どうぞ勿体ないことのないように皆様で召し上がってくださいませ。 合掌
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Name: たら
Date: 2012/01/23(月) 13:15
No:4604
| 解決
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Title: Re:お供えのおだんごについて
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浄徳寺隆胤様
ありがとうございました。
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Name: SA
Date: 2012/01/07(土) 21:39
No:4583
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Title: 過去帳について
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今回仏壇を、新しくしました。 今まで過去帳がなかったので仏壇店で、新しいのをもってきました。 その過去帳ですけど、日付が入っていませんでした。 お寺さんに書いてもらったのですが、古い仏さんから書いてありました。 日付ごとに、書いてないですけど、問題ないでしょうか? もし、もっと古い仏さんがわかった場合どうしたらいいのでしょうか? よろしくお願いします。
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Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2012/01/23(月) 12:10
No:4603
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Title: Re:過去帳について
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浄徳寺の住職をしております隆胤と申します。 お尋ねの件ですが、日付が入っている過去帳と日付がない過去帳。 日付が入っているものは、命日毎に別けられているもので、毎日その日付の場所を開けて拝めるようにと作られています。 一方、日付のないものは、古い御先祖様より書いてあり、命日また、法事のおりに対象者の場所を開いて拝めるように作られております。 どちらも使いやすいように作られておりますゆえ、どちらでも構いません。
記入されておる御先祖様より古い御先祖様が見つかった場合は、過去帳を新たに購入され蛇腹折になっておるところを上手いこと切って、頭に新しい物を貼付けて使用なさればよろしいです。 そう考えますと、日付が入っていない過去帳の方がよろしかったと判断できます。 合掌
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Name: ruirui
Date: 2012/01/14(土) 14:32
No:4588
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Title: 古い位牌の供養
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相談させて頂きます。 仏壇を整理・清掃しましたところ、大分古い位牌が出てきました。 木の位牌で手書きで法名等がかかれておりますが、身内の誰もが分からない位牌の為、処分(供養)したいのですが、供養の方法を教えて頂きたく相談いたしました。お世話になっているお寺は遠方の為、近所に宗派の違うお寺はあるのですが、宗派の違うお寺での供養は無理なのでしょうか?
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2012/01/19(木) 16:23
No:4595
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Title: Re:古い位牌の供養
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宗派違いでも別にいいとは思いますが、ただ、「誰だかわからない位牌」であったとしても、仏壇にあるということはやはり、縁のある人の位牌ではないのでしょうか? そういう場合は、菩提寺に問い合わせてみるとか(菩提寺には寺の過去帳がありますから)…いずれにしても、自分のところの菩提寺に相談してからの方がいいと思いますよ。
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Name: ruirui
Date: 2012/01/21(土) 18:38
No:4601
| 解決
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Title: Re:古い位牌の供養
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水波坊様 ありがとうございます。 相談してみます。
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Name: 仏教信者
Date: 2012/01/19(木) 17:21
No:4597
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Title: 儀式の供養 魂の供養
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ある真言宗の僧侶から 「浄土真宗は儀式の供養、真言宗は魂の供養」と言われました。
このお坊さんは「どちらがご先祖様の供養になるのか考えなさい。」ということを言いたかったようですが、私としては浄土真宗の教えを否定しているようにも聞こえました。
「儀式の供養」「魂の供養」の意味をどなたか具体的に教えていただけないでしょうか?
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Name: 仏教信者
Date: 2012/01/20(金) 17:23
No:4600
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Title: Re:儀式の供養 魂の供養
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ご回答ありがとうございます。
真宗は極楽浄土思想で人が亡くなれば、阿弥陀様からのお迎えがすぐに来て極楽浄土に連れて行ってくれる?とかいう思想だったように思いますが?違いますか?
お仏壇の供養の仕方にしてもお水やお位牌をお供えしなくても良いような形だったように思います。 極楽浄土には水が波々あふれているのが理由だとか? またお位牌はご本尊の阿弥陀様=ご先祖様なので作る必要がないとか本に書いてあったことがあります。
しかし亡くなってすぐに極楽浄土に行けるんだったら、一体、何のために追善供養や法事などをするのでしょう?
私は亡くなったら、最初は地獄を歩かされるんじゃないかなぁ〜と思っています。 その地獄を抜けて極楽に行けるかどうかは、遺族の後押し(追善供養)や本人の生前の行いにかかっているんじゃないかなぁ〜と思っています。
最初からあっという間に極楽に行ける人なんているのかしら?
私自身も真宗は供養の仕方が足りないように思います。
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Name: のり
Date: 2012/01/14(土) 08:11
No:4587
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Title: 遺骨の扱い
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突然、20年ほど前に亡くなった祖父の遺骨を引取る事になりました。理由は遺骨を管理していた親族が災害でなくなり無縁仏となったためです。お墓等も無くなり辛うじて遺骨だけが運良く残りました。
私はお世話になっているお寺もなく墓もありません。また、祖父の戒名も不明です。祖父の遺骨をお寺に永代供養してもらいたいのですが、このような状況でも受入れてくれるお寺はあるのでしょうか。
アドバイス頂けたら幸いです。
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2012/01/19(木) 16:25
No:4596
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Title: Re:遺骨の扱い
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永代供養してくれる寺はあると思いますよ。 関西であれば、たとえば四天王寺などでもやっていますし、他の地域でもそういう寺はあると思います。
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Name: おおにし
Date: 2012/01/14(土) 21:37
No:4589
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Title: 年間のお布施はどのくらいですか
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はじめまして。父は25年前になくなり、その後檀那寺とのやりとりをしてくれていた母が昨年末に亡くなりました。 それで今度は私が檀那寺とのお付き合いをすることになりました。 今まで親任せだったのでお恥ずかしいのですが、年間にいつごろどのぐらいのお布施をするものでしょうか? (檀那寺は真言宗豊山派です) ちなみにわが家は収入が少なくあまり余裕がありません。 ご指導よろしくお願いいたします。
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Name: 水波坊
Date: 2012/01/14(土) 22:56
No:4590
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Title: Re:年間のお布施はどのくらいですか
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寺によってやり方も考え方も違うので、何とも…。
ただ、住職の生活費・日常的な修繕費や行事の出費・法具法衣代、その他雑費などを含めれば、小さい寺でも総額で最低限800万円〜1000万円くらいはかかると思います(将来の為の積立などは別)。 それを檀家さんの件数で割った額が、基本的には「年間の負担額」となるんだと思います。 ただ、現実には檀家さんがその額を毎年、みんなお布施をしているわけではないのが現実で、結局は「葬儀の時にまとめてやる」のが常態になってしまってます。
もちろん喜捨であるべき「布施」の本来の意味から言えば、いつ・いくら布施しようと別に自由なのですから、まぁ、自分の出来る範囲で精一杯やればそれで良いとは思います。
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Name: おおにし
Date: 2012/01/14(土) 23:53
No:4591
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Title: Re:年間のお布施はどのくらいですか
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水波坊様 アドバイスありがとうございます。 重ねての質問ですみません。 春の彼岸、お盆、秋の彼岸が思いつくところなのですが、そのほかにお布施をするべき行事というのはありますか? 宗派によっては涅槃会などがあるようですが…
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Name: 水波坊
Date: 2012/01/15(日) 13:10
No:4592
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Title: Re:年間のお布施はどのくらいですか
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それも寺によりけり…ですね。 うちの場合、葬儀・法事の他に布施の機会と言えば、基本的には年始の時と盆棚行、あとは年に二度の春・夏の法会で行っている卒塔婆供養です。すべて3000円程度のお布施をしていただく方が多いですね。もちろん1000円の方もいますし、1万円以上の方もいます。そこは自由です。
余談ですが、そもそも布施は「料金」ではなく、布施を出す側の積善行であり喜捨行です。また布施を受ける側についても、布施(財施)は仏教の修行・教学研鑽のための場である寺院維持と、修行と学習と伝道に専念する僧侶・法師の「基本的な生活」を支えるために使うのが本義だということは大切な原則です。
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Name: おおにし
Date: 2012/01/15(日) 21:35
No:4593
| 解決
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Title: Re:年間のお布施はどのくらいですか
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水波坊様 お返事が遅くなりまして申し訳ありません。おかげさまで本日母の四十九日・納骨を無事済ませることができました。 ご回答ありがとうございます。よく分かりました。 余裕がない中でも最低限どのくらいお納めすべきか分からなかったので、助かりました。感謝いたします。合掌。
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Name: hiro
Date: 2012/01/12(木) 00:17
No:4584
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Title: お寺の変更
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はじめて相談いたします。 何年か前にお世話になっていたお寺が火事(放火)になり 建物だけが全焼し住職は無事だったのですが、その後住職の息子が放火したことが分かり、今現在息子は刑務所・住職は行方不明です。お墓の移転・お寺の変更を考えておりますが、何処へ相談したらよいか分からず、今回相談させて頂きました。よろしくお願い致します。
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2012/01/12(木) 12:46
No:4585
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Title: Re:お寺の変更
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寺院には住職以外にも、「責任役員」という人たちがいます。いわゆる「檀家総代」と言われる人たちと被ってる場合が多いのですが、それがわかれば、その人たちに相談するのが順序です。 ただ、そういう人たちも事情がわかっていない場合が多いので埒が明かない場合、地域の同宗派の他寺院に相談してみるのも良いでしょう。それでダメなら本山です。 筋を通したいなら、以上のルートで話をするのが良いでしょう。 もっとも、檀家をやめて他に移るだけならそんなに難しくはないのですが(自分でそう決めて、寺院あてに「離檀します」と意思表示すれば済みます)、墓の移転があるということですから、その権利関係の問題も出てくる可能性がありますので、まぁそのあたりは弁護士か司法書士にでも相談すれば方向性が出てくるとは思います。
新しい寺院についてですが、それは信用できるお寺があればそこに相談すればいいと思います。宗派にこだわるのなら、やはり本山か地域の他宗派寺院に相談したらいいとは思いますが…。
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Name: hiro
Date: 2012/01/12(木) 21:06
No:4586
| 解決
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Title: Re:お寺の変更
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水波坊様
ありがとうございます。近くのお寺に相談してみました。 事情を説明したところ、住職さんは快く引き受けてくださいました相談してみて良かったです。
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Name: アルジュナ
Date: 2012/01/02(月) 21:03
No:4560
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Title: 宗派の融合
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明けましておめでとうございます。本職の方の回答が欲しく投稿しました。私の母は法華経に縁があり、養女に迎えるように指示したお婆さんの遺言で日蓮宗に改宗しました。改宗した後になって、実は日蓮宗で修行し、いわゆる木剣加持をした先祖がある事も改宗してから明らかになりました。そんな家で育ちましたが、18の頃からでしたか逆境におちいり、ひどい障りに苦しみました。苦しい体をひきづるも結婚し家庭をきづいて実家からは独立しました。それでもあまりに抜けない苦しみからある日、天に向かい声を発しました。本当に神はいるのか!これが障りならば、これと戦える神はいないのか?菩薩の慈悲だけでは救われないだろう。神がいるならば、この手に証しをくれ!物質として表してくれと・・・。半分は怒りに似ていました。暫くして、天が光り稲妻を発する夢を何度もみるようになりました。それから、様々ありあるお寺で魂入れをした独鈷を手にするようになり帝釈天様への信仰もはじまりました。ようやく質問ですが、今は真言を勉強し、真言宗のやり方で勤行をしています。この勤行の中に法華経を融合させて祈るのは宗派に属している僧侶から見ればどんなものでしょうか?そのお寺で聞けば良いだろうと言われるでしょうが僧侶も様々ですし、過去には他宗批判をした歴史もあります。出来ればこのサイトで回答が得られればと思います。
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Name: 博峰
Date: 2012/01/02(月) 21:24
No:4561
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Title: Re:宗派の融合
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日蓮宗も真言宗も、それぞれ大乗仏教、金剛乗仏教。本物仏教の一部です。 神仏からの視点では、双方信心されて何ら問題はありません。 そのほうが永い眼で観て、幅広い仏意・法を識ることができます。
しかし、各宗派(天台宗を除く)からの視点ではやはり、問題視されると思います。また、初心者の内は迷いを生じさせない為にも、一つに絞ったほうが良いでしょうね。
僧侶方も、融合信仰される場合、単立にするか独立宗派を立ち上げるかに される場合が多いでしょう。
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Name: 天台沙門
Date: 2012/01/04(水) 09:31
No:4577
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Title: Re:宗派の融合
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私はハンドルの通り、天台を宗とするものですので、その立場から。
結論だけ申し上げれば、いわゆる「宗派」とは祖師の修行法および依拠とする教典の相違によって成立したものにすぎませんから、仏教が「釈尊その人の教え」に基づき「覚り/悟り」を得ることが目的である以上は、最終的に「融合」することが自然なことといえます。
ただし人間存在は多様なものですから人間存在に適合する修行法も多様であってしかるべきでしょうし、そのうえでは多様性につきものの「相違」は「優劣」や「正邪」などとは別次元の問題ということは覚えておいて損はありません。
※
私の宗たる「天台宗」は天台大師智が『法華経』を基に仏教を再構成した仏教理解の哲学体系を示しています。 歴史的には、中国天台宗は密教が中国に渡来する以前に成立したシステムですから、その教学体系には密教は存在しえません。しかし、日本天台宗は『法華経』中心の顕教システムに密教を融合させたところから始まっています。 いわゆる日本的な仏教、すなわち浄土宗(含む真宗)・禅宗(臨済・曹洞)・日蓮宗(除く日蓮以降の分派)は、天台宗の四宗兼学(顕密禅戒)の結果として発生したことは明らかです。いってみれば、天台宗という総合的な総合大学を卒業した後に、それぞれの御祖師方が専門大学院を設立なさったというわけです。
(註:ところで「密教」とは実際に修法を行うことで大日如来との一体化(=成仏)を求める「やらなきゃわからない」修行体系といってよく、対して、経典や論書によって仏教を主知的に理解しようとする「読めばわかる」修行体系と対照される。私自身の体験では、密教の修法とは本尊(大日如来や不動明王)との一体化をイメージする動的な作業であり、座禅止観は釈尊その人の「覚り/悟り」の追体験をイメージする静的な作業である。禅密の基底には、観想というイメージトレーニングの性格があり、この共通点から天台宗の密教化が可能となったと考えられる。)
※
司馬遼太郎によれば、昭和20年代に南都の僧侶が「最近の新興宗教は」というので、よくよく聞いてみると平安仏教である天台真言の批判をしていたそうですが、宗派の正統性などはその程度のものです。 大切なことは、個々人が釈尊その人の教えを知ったうえで、その上で各祖師がなぜそのような修行を選ばれたのかを主体的に判断するということです。その意味で「読書が修行になる」とする顕教の役割は少なくありません。釈尊その人の教えを知るには、中村元の訳による『ブッダの言葉』(岩波文庫)のシリーズを通読することは最低限の教養でしょう。
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Name: 博峰
Date: 2012/01/04(水) 12:18
No:4578
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Title: Re:宗派の融合
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法体系を厳密に述べるなら、 釈迦仏教、上座部、顕教 を理解しなければ、密教は お奨めできません。
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Name: アルジュナ
Date: 2012/01/04(水) 20:00
No:4580
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Title: Re:宗派の融合
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ご回答ありがとうございました。アルジュナです。帝釈天にむかい真言を唱え5年程でしょうか。「あぁ!これはもう自分でやらなきゃ分からないんだな。」そんな気持ちで天に言葉をぶつけました。勤行ですら難しい。それが今の気持ちです。(笑)神仏をダイレクトに感じたい。つながらなければ!本当に苦しみの中で思いました。真言はそんな自分にぴったりでした。でも、本当に抜け出しはじめたのは自分を見つめ直し始めてからのような気がします。(しかし、三十六童子の名を唱えた時は効いた。(゜Д゜)祀らなくても助けていただいた。そんなものかもしれませんね。)いってしまえば自分には真言も日蓮宗もありません。どちらも大切です。だから、自分の形を作りたかった。まだまだ形にとらわれていたのかな・・・。素直な気持ちで神仏にむかってみようかな。またインスピレーションあるかもしれませんね。もう少し話したいですね!勉強になりました。おっしゃる通りです。それに実際の話し、勿論オカルト話しじゃありませんが、それなりにあります!あったりします。神仏に向かってると・・・。こんな素人も時には守りながらって思う事もあります。出来ればよろしくお願いします。
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Name: 博峰
Date: 2012/01/04(水) 21:40
No:4581
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Title: Re:宗派の融合
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勿論、在家としてマントラやダラニを唱え金剛合掌し降神印等を結ぶ、み仏さまの お慈悲や力を心に映す。 ご自身の身の周りの全てに感謝、反省の祈りを捧げ、心の奥底と神仏を同調させること。
なかなか出来ない、立派な心がけだと思います。
合掌十拝
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Name: 博峰
Date: 2012/01/04(水) 21:54
No:4582
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Title: 補足
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もちろん私自身も、お大師さま(空海)VS最澄さま の誤解論争の当時に 戻らない様、努力しつづけたいと 誓っております。
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Name: きなこ
Date: 2011/12/26(月) 19:23
No:4546
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Title: 無縁仏さまのご供養について
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はじめまして。
無縁仏の方のご供養をしたいと思っておりますが、どのようにしたら良いかわかりません。
一人きりでする(無縁供養)と頼られすぎてしまうと聞いたことがあります。
今はお墓参りにいった時、無縁仏があればお花とお線香をすこしあげる程度です。
なぜかと言いますと、もし自分が無縁仏になったとしたら、供養してくれる人がいたら、とても嬉しいかなと思ったのです。
どのような方法があるでしょうか? よろしくお願いいたします。
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Name: 仏教徒
Date: 2011/12/29(木) 17:22
No:4547
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Title: Re:無縁仏さまのご供養について
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こんばんは。
きなこさんのやり方で良いと思います。 頼られ過ぎるという事もありません。
死んで仏になっている者が、なぜ供養してくれる者を苦しめたりするでしょう? ですから大丈夫ですよ。
優しい心を持ってらっしゃるのですね。
合掌。
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Name: 霊能僧侶
Date: 2011/12/31(土) 00:19
No:4548
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Title: Re:無縁仏さまのご供養について
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死んだ者全員が成仏してるとは、限りませんよ?
素人さん、ご注意を・・・
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Name: タタータ
Date: 2011/12/31(土) 07:16
No:4549
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Title: Re:無縁仏さまのご供養について
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然り、同情は危険です。 優しいことと同情は違います。 同情はエゴによる共依存(甘やかし)で、本当に優しい人は厳しいです。
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Name: 仏教徒
Date: 2011/12/31(土) 14:13
No:4550
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Title: Re:無縁仏さまのご供養について
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様々な意見があるとは思いますが、 「あぶないかな?」 と思う人は、あぶないし、 「大丈夫。」 と思う人は大丈夫なものです。 その理由は、『見えない世界は心で作るものがほとんど』だからです。
霊云々と邪心を持つ人には低級霊が憑くかも知れませんが、清い心で行うのなら大丈夫です。 悪いことにはなりません。
合掌。
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Name: Net-Surfer
Date: 2011/12/31(土) 15:56
No:4551
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Title: 仏教徒さんは、
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危ないね・・・
これ、本当。
相手を諭す力が足りない場合、その相手が生きていようと亡くなっていようと関係なく、足掬われ引っ張られますよ、邪悪想念に。 宗教や信仰以前に、心理学も学んで回答してくださいね。
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Name: きなこ
Date: 2011/12/31(土) 16:20
No:4552
| 解決
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Title: Re:仏教徒さんは、
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いろいろありがとございます。
う〜ん、むずかしいですね。
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Name: 博峰
Date: 2011/12/31(土) 16:49
No:4553
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Title: きなこさん、
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はじめまして、高野山僧侶の博峰と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
確かに難しい問題ですね・・・
霊や魂云々の前に、その切れ端である、いわゆる "残留思念"の問題もありますし、さらなる科学での解明と発展を祈ります。
ただ、生きている人々を説得できるだけの力を持つ方なら、亡くなって迷っている人や邪悪な者を諭す力もあるはずです。
釈迦は、神や霊魂の存在を否定したのではなく、間違った信仰であるバラモン教を否定する為、そして智慧の獲得に邪魔になる為、スルーしただけですからね。これ、仏教全てをよく研究すれば、わかります。
優しさとは、弱さとは違いますから 想念にも、その質とパワーが必要となります。
合掌十拝
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Name: アルジュナ
Date: 2012/01/02(月) 21:50
No:4562
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Title: お礼
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あれれ…?すみません!先ほど投稿したアルジュナです。さっそく回答をいただきました。携帯ですが、お礼の書き込み方が分からなかったので、再度・書き込みしました。見ていただいておりますでしょうか?回答ありがとうございました。誰かからの言葉があれば安心します。少し気にかかっている事もあり、よろしければ又、書き込みさせていただきます。
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Name: 博峰
Date: 2012/01/02(月) 22:15
No:4564
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Title: Re:お礼
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?新スレッド立てられたんですね(笑) 下記の【#返信投稿】をクリックすれば 返信できます。
どうか、信仰が原因で、悩まれないでください。 信仰は、悩みを無くする為、幸せになる為のものなんですから・・・
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Name: 臨時
Date: 2011/12/22(木) 11:38
No:4540
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Title: 真言宗の通夜・葬儀の式次第
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友達の父が他界され、金欠のため私が通夜・葬儀の司会をすることになりました。宗派は高野山真言宗です。 以前葬儀社に勤めていて司会の経験はありますが浄土真宗ばかりで真言宗の式次第がわかりません。 どなたかお教えいただけないでしょうか?
23日が通夜、24日が葬儀です。よろしくお願いします。
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Name: 臨時
Date: 2011/12/22(木) 12:34
No:4541
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Title: Re:真言宗の通夜・葬儀の式次第
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追記 導師の住職が法務多忙のため一切連絡がとれないとのことです。当日に数分の打ち合わせくらいしかできないとのことです。
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/22(木) 13:07
No:4542
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Title: Re:真言宗の通夜・葬儀の式次第
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それは寺によって違うし、地方に拠っても違うので、「こうですよ」というのは難しいかと…。どの次第を使っているのかにもよりますから。 私の場合は、とにかく着座したら合掌礼拝を司会に言って貰って、あとはずっと作法・読経やって、30分〜40分後くらいに諷誦文を起立して読むので、それが終わったら弔電・喪主挨拶・焼香…という流れです。全体で50分前後。 司会の人は最初の合掌礼拝と、弔電報から焼香までの案内、最後の合掌礼拝。そのくらいです。それ以外は黙っててもらいます。
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/22(木) 13:08
No:4543
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Title: Re:真言宗の通夜・葬儀の式次第
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通夜に関しては、最初と最後の合掌礼拝、それと焼香の案内だけですから、焼香のタイミングだけ聞いておけばいいと思います。
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/22(木) 13:10
No:4544
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Title: Re:真言宗の通夜・葬儀の式次第
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ただ、地方にもよるのですが、うちの場合は昔ながらの葬列を組むので、そのあたりは確認しておく必要があります。地方の習慣、特に真言宗は古い習慣が残っている場合がありますので。
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Name: mori
Date: 2011/12/20(火) 20:43
No:4537
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Title: 一周忌
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相談があります。 もうすぐ、ある方の一周忌があります。本来はお墓に出向きお祈りをしたいのですが親族でもなく、距離があるなど諸事情により出来ません。その方への思いが強くぜひお祈りしたい気持ちがあり、また今後もその方への思いを忘れない為に何らかの形で示せればと思っています。自分で考えたのが、お寺へ出向き御祈りするということなんですが、その方法があっているのか。他に方法があったりするのか教えていただけないでしょうか。他のサイトで実は問い合わせたのですが、形式にこだわらず思う気持ちがあればいいのではと言われました。しかし、正直にいえばその方への強い気持ちとは謝罪であって、この気持ちを決して忘れてはいけないと思っています。だから形式化して忘れないようにしたいのです。
もしこの場にふさわしくない質問でしたら申し訳ありません。 宜しく御願い致します。
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/21(水) 10:28
No:4539
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Title: Re:一周忌
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自分の菩提寺があるのなら、事情を話してお経をあげてもらう、という方法もアリかと思います。形式化したいということでしたら、この方法がもっとも良いでしょうね。 まぁ、自分の家の仏壇でお経を自分であげても良いとは思いますけれども。つながってますから。
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Name: help30
Date: 2011/12/20(火) 02:32
No:4535
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Title: 般若心経の写経について
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般若心経の写経を送られてきました… 墨汁で書かれており、作文用紙が108枚あります。 どのように処分したらいいのか悩んでいます。
送り主は、以前交際していた男性です。 しつこく押しに押され、お付き合いしてみたのですが… 私はその男性が本当に嫌いで、 やっと別れられたというき持ちでしたし… 今でも二度と会いたくないという気持ちなので… 写経を早く手放したくて仕方ありません…。
私自身、その様なものに対しての知識が全くなく…。
その相手が、気持ちを込めて108枚も書いたかと思うと 怨念がこもってそうで、一刻も早く手放したく思っています。
手紙が同封されており、 「貴方の幸せを願い、毎日一枚ずつ書きました。気持ちが伝われば十分なので、見たらゴミ箱にでも捨ててください」 …と、書いてありました。
知識が無い私ですが、般若心経とは神様に関わる大切な何かだと思うので… ゴミ箱に捨てるとバチが当たりそうで、とてもできません。
本当に困っています。 どなたか、よきアドバイス よろしくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/12/20(火) 16:47
No:4536
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Title: Re:般若心経の写経について
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この時期になりますと神社仏閣で旧年のお守りやお札のお焚き上げを始めますから、ご近所の寺社でそのようなことをしている場所を見つけてお納めして(燃やして)もらうのが最善ではないでしょうか?
境内の隅に「お焚き上げ所」という一角が用意されていて、そこに納めるというよりも放り捨てるという形式をとるところも少なくありません。そういった場所ならば、変な話ですが、納経料なども必要ないのでよろしいかとおもいます。
※
例えば「大怪我をしそうな状態でも無事で済んだので不思議だとおもったら守り札が割れいていた」などという話があります。これは「お守り」や「お札」は持っていた人の災厄を肩代わりしてくれる、という宗教的な意味を表しています。 お正月に新しいお守り(お札)を入手して古いお守り(お札)を返すのは、古いお守り(お札)に旧年の嫌なこと悪いことを依らしめて、それを神仏のもとに送り嫌なこと悪いことがなかったことや、そういったことが二度と起こらないようにするための儀式というわけです。
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Name: help30
Date: 2011/12/21(水) 00:32
No:4538
| 解決
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Title: Re:般若心経の写経について
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天台沙門様
ご丁寧なよきアドバイスをありがとうございます!!
さっそく、近いうちに神社に持って行こうと思います。 料金もかからなく、良かったです!
早くのアドバイス、本当にありがとうございました。
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Name: ryo
Date: 2011/12/06(火) 03:28
No:4528
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Title: 一字金輪法について
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日本中の修法の効果を消してしまうという、一字金輪法というのがあると本で読んだのですがこの修法を行うと自分の積んだ功徳も消えてしまうのになんでこのような修法を行うのでしょうか?長年の修行の成果を消してまでやるようなものなのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/12/07(水) 17:01
No:4529
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Title: Re:一字金輪法について
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一字金輪法と同時に行われている他の修法の効果が消えるということは、その修法の功験が偉大であるということの表現と理解すべきでしょう。ちょうど、昼間は太陽の光が強く他の月や惑星や恒星の光が見えなくなることと同じです。 ことほどさように強力な修法だからといって、それ以前や以降の修法の験が失われるわけではありません。ご存知の通り、日中でも見えないだけで太陽以外の星々は厳然として存在しております。
また、強大な功験を得る代償として修法者の功徳が失われるというわけでもありません。その修法者の功徳が高ければ、より高い尊格の神仏に祈りが届きやすいということで、ゲームで「魔術」を使うために「魔力」を消費せねばならないように「功徳」を消費せねばならないというわけではありません。
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Name: ryo
Date: 2011/12/10(土) 16:17
No:4534
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Title: Re:一字金輪法について
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お返事ありがとうございました!
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Name: ソフト
Date: 2011/12/08(木) 07:46
No:4530
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Title: 本尊不在2
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前回は水波房様ありがとうございます。水波房様はじめ、詳しい方にお聞きしたいのですが、新たに本尊を招く場合、どこかのお寺の檀家にならないとダメなのでしょうか?例えば好きな本尊を購入し、その本尊を崇敬するお寺で料金(というのは不謹慎ですが)を払い、開眼をして頂く(だけ)というのは不可能なのでしょうか?
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/08(木) 21:39
No:4531
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Title: Re:本尊不在2
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>好きな本尊を購入し、その本尊を崇敬するお寺で料金(というのは不謹慎ですが)を払い、開眼をして頂く(だけ)というのは不可能なのでしょうか?
問題ないですよ、全然。 まぁ料金ではなくて、布施ですが。 布施はお気持ですけれど、開眼なら一万円くらいを包まれる方が多いと思います。もちろんそれより多くても少なくとも、それは布施ですから問題ないんですが。
ちなみに私は、水波「坊」です(笑
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Name: ソフト
Date: 2011/12/09(金) 00:02
No:4532
| 解決
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Title: Re:本尊不在2
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水波坊様ありがとうございます。御名前を間違え、失礼致しました。安心しました。
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Name: キョン
Date: 2011/11/27(日) 03:02
No:4512
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Title: 施餓鬼について(密教)
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密教宗派で施餓鬼をしているお寺がありますが、先祖供養で行っているとは思うのですが亡霊や悪霊などを呼んでしまい憑りつかれたり障碍が起きたりすることはないのでしょうか?
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/27(日) 16:46
No:4514
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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ありません。
大体、テキトーにやってるような坊さんだとすれば、そもそも形だけですから、餓鬼も何も来ません。単なる伝統芸能の所作です。毒にも薬にもならない、ということ。 で、真面目に真剣にやってる坊さんの場合、きちんと施餓鬼になっていますから、障碍はないです。ですから大丈夫。
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Name: キョン
Date: 2011/11/28(月) 00:44
No:4519
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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お返事ありがとうございます。 もし初心者の僧がうっかり悪霊を呼んでしまったりすると憑依されたり、霊障になったりするのでしょうか? 教会の悪魔祓いとかエライことなってますよね。
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/28(月) 11:27
No:4521
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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そんなことはないです。 もしそうだとすれば、どこもかしこも悪霊の巣窟でしょう。 教会の悪魔祓いに関してですが、まぁ、あれもねぇ…。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/28(月) 13:30
No:4522
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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>亡霊や悪霊などを呼んでしまい憑りつかれたり障碍が起きたりすることはないのでしょうか?
ご心配なく。そうういったことは、ありえません。
※
そもそも「餓鬼」とは、インドの「プレータ」が原意とされています。これは「亡者」という程度の意味ですが、大乗仏教的には「欲望の応報として餓鬼道に堕ちた霊魂」という限定した意味となりました。これが漢語に翻訳された際に「満たされることに餓えている霊魂」という意味で「餓鬼」という訳語をあてられました。
日本でおこわなわれる施餓鬼法の根拠となっている教典はインド起源のものではなく中国で撰述された偽経ですから、そこには中国的(儒教的?)な「孝」の思想が基底にあります。先祖の霊魂に回向するための善行の一種として、本来は救われない餓鬼を救って功徳を積もう、ということです。もちろんそこには我々が供養をし忘れてしまっている先祖に対して供養をするという意味も含まれています。
これが日本では「先祖供養」という意味のほかに「怨霊供養」という意味が取り込まれます。 「怨霊」とは「不幸な死に方をした人の霊魂」であったり「祀られない神霊」であったりするのですが、どちらも共通点として「人に祟る」のです。その「祟り」を避けるにはどうすればよいか、というと、なんということはなくお祀り(祭)をしてさしあげればよいのです。つまり、「施餓鬼=餓鬼に施す』という仏教儀式の深層には、祀られずに祟る神霊がいるから、その神霊を祀って祟られないようにしよう、という日本古来の宗教意識が存在しているのです。 したがって、施餓鬼の場に亡霊や悪霊が来たとしても、供物を捧げて祀ることで祟りを防いだわけですから、憑かれたり障碍が起きたりはしえません。逆に言えば、施餓鬼の場にたくさんの亡霊や悪霊が来て施物を受けていただくほうが人にとっては幸いといえます。
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Name: キョン
Date: 2011/12/01(木) 03:22
No:4523
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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お返事ありがとうございます。 施餓鬼はそんなに恐ろしいものではないのですね。 餓鬼というからには怨念を残して亡くなった霊を相手にするので大変なことかと思いました。
ある僧のブログで、修行中は施餓鬼は毎日やるものということなのですがお坊さんは皆、毎日やってるんでしょうか? 修行を終えるとあまりやらなくなるものなのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/12/02(金) 11:01
No:4524
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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私の場合は、お盆の時期の施餓鬼法要をしますが、毎日の行として施餓鬼法を修すということはありません。
もっとも比叡山での修業中は、毎日(毎食後)に略式の施餓鬼法をしていました。「生飯(さば)を取る」と称するのですが、自分が食べるご飯から餓鬼のために数粒をとりわけます。そして食後に全員の分を屋外の施餓鬼檀に供えて略施餓鬼法を修するのですが、その施餓鬼檀の実際は野鳥の餌場ですから、まあそういうことです。
山の中ですから鳥の餌にするのが自然なので、寺院の立地環境に応じて生飯の扱い(取るかどうかも含めて)は色々だとおもいます。ちなみに私は、この意味でも毎日の施餓鬼法はしておりません。
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/02(金) 11:52
No:4525
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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私はしてます。略施餓鬼ですから、短時間ですけれども。 真言宗の寺院でも色々でしょうが、やってる僧侶も多いですよ。略施餓鬼くらいは大抵の真言宗僧侶はすべて暗誦できると思います。
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Name: キョン
Date: 2011/12/02(金) 15:41
No:4526
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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なるほどです!毎日やってるのでは、亡霊よってきたら巣窟になってますよね。 いろいろと教えていただきありがとうございました!
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Name: 水波坊
Date: 2011/12/02(金) 16:22
No:4527
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Title: Re:施餓鬼について(密教)
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だから、
寄ってこないって(-_-;)
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Name: ソフト
Date: 2011/11/26(土) 13:53
No:4511
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Title: 本尊不在
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今まで、ある新興宗教に属していました。しかし、周りの悪評判や、何より自分自身の体感から、これは辞めたほうがいいと思い、その新興宗教にかかわる仏具すべてを排除しました。結果、仏壇には先祖の位牌しかありません。そこで質問ですが、何らかの宗派に属していない現在、例えばどこかの宗派に属して、先祖の御霊を見守る本尊を早急に見つけるべきでしょうか?それとも、本尊不在の仏壇に先祖の位牌を安置し、手を合わせるだけでも良いのでしょうか?また、うちには神棚があり、神様も崇拝しています。先祖の御霊をどのように扱えばよいのか、アドバイスよろしくお願い致します。
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/27(日) 16:53
No:4516
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Title: Re:本尊不在
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位牌の歴史的な由来が云々…というと話が際限なくなりますので、ここはそれは脇に置いておくとして。
基本的に、仏壇は本尊を祀る為のものですから、本尊はあったほうがいいと思います。 涅槃図ってありますよね。 簡単に言うと、本尊が涅槃の釈迦如来で、位牌はその周りにいる有情です。有情だけでもそりゃ、突き詰めればみんな仏性の存在ですから良いんでしょうが、でも、やっぱり釈迦如来あっての涅槃図ですよね。同じように、本尊あっての仏壇です。
まあしかし、大切なのは拝む人の信心の問題ですから、形式上のことだけ、という話であれば、どっちでもいいと思います。 しかし原則的に、仏壇は家庭内の寺院ですから、本尊はあって然るべきでしょうね。
神棚は神様ですから、先祖供養の問題とはまた別の問題ですので、今回はリンクさせて考えなくていいかと思います。
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Name: ソフト
Date: 2011/11/27(日) 22:45
No:4518
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Title: Re:本尊不在
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水波房様ありがとうございます。たしかに、おっしゃる通りだと思います。位牌だけの仏壇に、なんとなく違和感がありました。しかしどの仏様を本尊したらよいのか、新たに宗派に入らなければならないのか、まるでわかりません。個人的には禅宗に惹かれるところがあるのですが…
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/11/28(月) 11:26
No:4520
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Title: Re:本尊不在
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宗派は人間の側の作為ですが、仏の関知するところではありませんので、どれでも、自分に縁があると感じた本尊でいいと思います。「感応」といいますが、我々ひとりひとりの「機根の感」に「応じ」て仏は現れますので、「みんな一律にこれでなくては」というものでもないでしょう(「宗派」によってはこういう考え方に否定的な流れもありますが、私個人としては既述の通り、宗派の別は人間の作為分別ですから、それで真如・仏の世界を限定的にしてしまう必要はないと思っています)。いずれにしても一真如の顕現です。
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Name: きん
Date: 2011/11/27(日) 12:00
No:4513
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Title: 仏具について
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今回、新しい仏壇を入れました。 家は、曹洞宗なのですが、仏壇の仏具、5具足を金色が明るい感じがしたので、金色にしました。 金色の仏具は、他の宗派で使っていますが、曹洞宗で使っても問題ないのでしょうか? よろしくお願いします。
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/27(日) 16:48
No:4515
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Title: Re:仏具について
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基本的に金は仏性の輝きを顕すんでしょうから、問題ないのでは? 仏像が金なのと一緒で。あれは毛孔から光を出しているわけだし。 宗派独自の規制があるのなら知りませんが、一般論として、金を使うのは普通の事と思いますよ。仏光の表現ですので。
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Name: きん
Date: 2011/11/27(日) 19:06
No:4517
| 解決
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Title: Re:仏具について
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水波坊様 早速のご回答ありがとうございました。 大変参考になりました。
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Name: hotoke
Date: 2011/11/13(日) 20:02
No:4496
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Title: 読経の意味
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子供みたいな質問で申し訳ありません。 葬式や法事などで何故、お経を唱えるのでしょうか?
実は義父から「自分が死んだら仏壇の前で南無阿弥陀仏を十回唱えるだけでいいからな。それ以外の難しいお経は何を言っているのかさっぱりわからんから無駄だよ。」と言われました。
確かにお経には有難い言葉がたくさん書かれていますが、亡くなった人がお経の意味もわからないまま亡くなったのでは、義父の言うように無駄なのではと思ってしまいます。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/14(月) 12:15
No:4497
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Title: Re:読経の意味
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本質的には、人の死にあたり釈尊の教えを聴くことによって、理知的に「死」を受け容れたり乗り超えたりする一助にすることが読経の目的です。 ですが、アタマで「死」を受容しても、ココロが「死」を納得するかどうかは別の話です。ココロの納得のためには儀式というものが必要であり、読経を荘厳に行うことで儀式が成立しているといってよいでしょう。
ですから、「お経を唱えること」が「善い事」だから、ということになってしまいました。その「善い事」を故人のために行うことで、故人がしたくてもできなかったかもしれない「善い事」に替えて故人の来世がより安穏であることを願うためです。これを「回向=功徳を故人のためとして回し向けること」と呼んでいます。 (註:もちろん読経は善い事である。読経に限らず宗教的行為一般が実践されている空間では具体的な悪事の実行が抑制される。)
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Name: hotoke
Date: 2011/11/14(月) 13:51
No:4499
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Title: Re:読経の意味
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ご回答ありがとうございます
お経は亡くなった人のためではなく、自分のために読むものなのでしょうか?
意味がよくわからず?です。
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/14(月) 14:50
No:4500
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Title: Re:読経の意味
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供養・回向の場において読経は亡者のためです。当たり前ですよ。 http://blog.goo.ne.jp/harch75/e/b57dda4b7b422ef8e1cb79f027baf1d7 少なくとも私は、遺族の癒しのため、などという気持ちで回向の読経をしたことはありません。癒しになるかならないかは、結果論ですし、もちろん色々な場面で寺がそういう役割を果たせれば…とは思いますが、しかし、読経に関しては、あくまでも亡くなった方のためです。 確かに人によっては「そうではない」という立場もありますが、その場合は親鸞聖人のように、葬儀そのものをしないのがその立場だと思います。
「意味もわからずに〜〜」ということに関してですが、色々な考え方が可能です。
そもそも読経について言うならば、インドであれ中国であれ、基本的には「読んでわかる」ものでした。しかし日本では漢文そのままを利用したため、一般には読経してもわからない、ということになってしまっています。 しかし少なくとも、読んでいる坊さんはその経典を理解して読んでいます。逐語的に読経と同時に…でなくとも、少なくとも内容は知った上で読んでいます。 もちろん一般の方も、「わかって読む」「わかって聴く」のがベストだというのも事実です。 それを前提に。
さてまず、仏教の究極・真如というものは本来、言語道断の世界ですから、言葉以前の世界の事です。それを敢えて言葉にしたものが経典であり真言ですので、そういう意味で「経典は言葉以前のところを示すものだ」と思い、意味がわからなくても「信仰で」捉える、という立場がひとつ、あると思います。 もうひとつは薫習といいますが、たとえば「線香の香」は、その成分や製造過程を知らずとも衣に移ります。読経も一緒だと考え、仏の音声を理性以前のところに薫じる気持ちで捉える。それもひとつの立場。 また、亡くなった方は現世的な分別理屈の世界(妄念の世界)を脱した仏の世界に結縁するのだから、経典の文句の一々がわかるわからないということではなく、その本質的意味・言説を超えた真如法身の説法そのものをダイレクトに聞くことができるから、生前に漢文がわかるわからないは関係ない…と信じる。そういう捉え方。 他にも色々な考え方があるかも知れません。 ただいずれにしても、私たちの分別・妄想心の判断とは別次元の考え方で、それらは行われているのだ…ということが前提です。それを無理に「合理化」したところで、それは世間妄念の枠内での事に過ぎません。
いずれにしても読経の声は「僧侶の声」ではなくて、仏界からの「仏の声」であり(坊さんはスピーカーとして仏に口をお貸ししているだけ)、それは意味分節を超えたところの本源的な「力」だと信じて手を合わせるのが、私はいいと思いますよ。
以下は一般論ですが…。 自分の経験範囲の狭い了見で四の五の言う前に、素直に感性で読経を「感じてみる」という姿勢も大切かなぁ、と。 同時にまた、「わからない」なら「学んでみる」という気持ちも大切なのではないかと思います。今の時代、ちょっと勉強する気があれば、経典の解説書や現代語訳などいくらでもあるわけですから。
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/14(月) 15:00
No:4501
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Title: Re:読経の意味
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因みに、
>私たちの分別・妄想心の判断とは別次元の考え方で、それらは行われているのだ
とは言っても、いわゆるカルト的な意味ではありません。 意味もわからず盲信してやれ、というのは仏教ですらないです。 あくまでも、分別妄想の心=生滅心の次元ではなく、言語不達の不二真如の根源において、という意味です。
仏教では、すべての迷い・苦は、「分別心・主客相対の心」から起こる、つまり「言葉の世界・論理の世界」は仮には成立していると必要だけれども、究極的にはそれらはどこまで行っても「迷いの分際」ということです。 いくらテレビ画面に映るものが素晴らしくとも、ハイビジョンでいくらキレイになったとしても、それらは電気信号でしかないし、幻のようなものでしかない、ということです。言葉・論理も、どこまで精密にしても、どこまでやっても、それは「妄想」です。 そういう妄想次元のものも、「本物」を指し示す「縁」にはなりますから、大切なものです。テレビがあるから、外国の事も学べます。でも、それ自体は幻です。 言葉とはそういうものですから、読経についても、その応用として、ご自身で考えてみてください。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/15(火) 09:59
No:4503
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Title: Re:読経の意味
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>お経は亡くなった人のためではなく、自分のために読むものなのでしょうか?
拍手は片手では鳴らないように、「故人のための読経」であることと「自分のための読経」であることは矛盾しません。 それが通夜葬儀の場での読経であっても、僧侶本人にとっては自分自身の修行のための読経です。通夜葬儀という場で読経を聴くことは、その場の人にとって仏法を知る自分自身の修行といえます。儀式に集ったことを機縁とした方々が故人を悼むことは故人のためです。 どれかひとつだけが読経の目的なのではなく、どれもすべてが読経の目的なのです。
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Name: hotoke
Date: 2011/11/15(火) 15:51
No:4505
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Title: Re:読経の意味
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ご回答ありがとうございます。
> また、亡くなった方は現世的な分別理屈の世界(妄念の世界)を脱した仏の世界に結縁するのだから、経典の文句の一々がわかるわからないということではなく、その本質的意味・言説を超えた真如法身の説法そのものをダイレクトに聞くことができるから、生前に漢文がわかるわからないは関係ない…と信じる。そういう捉え方。
真如法身の説法そのものをダイレクトに聞くことができる? あの世に行けば、お経の意味を理解することができる?と考えてよろしいのでしょうか?
たとえ無宗教で神仏を全く信じないで亡くなった人でも、読経して供養することには意味があると考えてよろしいのでしょうか?
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Name: 水波坊
Date: 2011/11/15(火) 16:56
No:4506
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Title: Re:読経の意味
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http://blog.goo.ne.jp/harch75/e/b57dda4b7b422ef8e1cb79f027baf1d7 ↑に書いていますが、私としては、【法事とは、他の波、この場合は故人という波が本来は「海と同一である」ということを、「自己を通して知らしめる」という「伝道」「法施」そのもの】と思っています。
亡くなったとしても、その人の生前のカルマは残っているわけで、つまり「死んで海中に没しても、生前の波としての力は潜在力として不可視ではあっても、ひとつのまとまりとしては存続している」、つまりその「まとまり」を俗に「魂」などと言うんだと思いますが、それに対する働きかけは、もちろん可能だと思います。
読経あるいは供養というのは、故人が悟りに至る・仏となるための「因」にはなりませんが、「縁」にはなります。その「縁」を受けるだけの機根が故人にあれば、良い結果を産むでしょう。 そして、どのような人であれ、機根自体は持っていると言うのが、大乗仏教の考え方と思います。
あとは故人のカルマの問題と、どのような縁を回向するのかということと、そういう色々な絡みの問題ですが、少なくとも「縁」がなければ「因」は「因」のままです。 火打石は「火という因」を持ちますが、「叩く」という縁がなければ「火」という結果は生まれません。それと同様です。
ちなみに仏教には内薫・外薫という専門的な言葉があるのですが、内薫というのは本人の「機根」究極的には「仏性」のことですが、外薫というのは「縁」特に「仏縁」です。 読経する・回向するということは、故人にとっては外薫に相当するものです。
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/11/24(木) 09:37
No:4509
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Title: Re:読経の意味
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hotoke様へ 本当はプロである僧侶自体もお経に書かれている内容をどれだけ理解しているか疑問なのですが、大まかにお話をしますと人が生きているときに「しなければいけない事」や「してはいけない事」が書かれています。この様な事をお釈迦様や仏様がお話になられましたと言う様な事が書いてあります。仏前でお経を御唱えするのは「この様に正しき行いを約束いたします。ご先祖様、仏様も証人になってください」という意味なのです。お経はご先祖様へのお供えではありません。あえて申し上げるなら「お経を唱え正しき行いと感謝の気持ちがご先祖様への供物と言えます。
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Name: 猿田坊
Date: 2011/11/24(木) 23:06
No:4510
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Title: Re:読経の意味
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hotokeさん、突然ですがお子さんはいますか? お子さんがいるなら、学芸会や発表会のとき、お子さんが頑張ってしっかりやれていて楽しんでいれば嬉しくはなりませんか。
お経を読むことは、仏教的には尊い言葉を読んで学ぶ行為ですから、それを"自分のためにやってくれている"(回向)となるとご先祖が嬉しくなるわけです。 他者の善い行為を喜ぶ気持ちは清らかな心ですから、その清らかな気持ちによってご先祖様自身が救われるわけです。だから、たとえ意味が分からずとも、清らかな行いを喜ぶ気持ちにこそ意味があるので、読経して回向することに意味はあると思われます(回向がポイントです)。
なお、有名な話ですが、池に大きな石を放り込み、「浮かべ、浮かべ」と祈祷したところで石は浮かぶだろうか? と問いかけたお釈迦様の話があります。 当然、石は浮かんできませんね。亡くなったあとに祈祷しても「石」を動かすことなどできませんが、「石」自体のチカラで浮かんでくるなら話は別です。
在家仏教信者の回答でした。専門家の皆様、お邪魔しました。
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Name: きい
Date: 2011/11/19(土) 11:05
No:4507
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Title: 霊友会の先祖供養
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うちの母は霊友会の会員ですが、母方と父方の先祖を奉り、お経を唱えることが、先祖供養だと言うのですが、普通は母方と父方の先祖供養は別々にするものではないのでしょうか?
また、霊友会のように同じ仏壇に母方と父方の先祖を奉ってもよろしいのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/21(月) 11:19
No:4508
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Title: Re:霊友会の先祖供養
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結論から申し上げれば、「普通は母方と父方の先祖供養は別々にするもの」なのかも知れませんが、しかし「同じ仏壇に母方と父方の先祖を奉っても」なんの問題もないと考えられます。 その最大の理由は、個々人の先祖は父方だけではなく母方にも存在することが厳然たる事実であるにもかかわらず、母系先祖と父系先祖とを区別せねばならない確固たる理由がないということです。また、仏教儀礼などの(その理由が忘れられてしまった)習俗における「普通」ということが本当に「普通」なのか疑わしい、ということもあります。
※
私はハンドルの通り天台を宗とする者ですから、霊友会さんの教義に関しては言及しません。ですから、以下は「仏教」という大枠の中での「先祖供養」に関する概説とご理解ください。
※
厳密にいえば、仏教の教義そのものには先祖供養という考え方は存在しません。釈尊その人の教えは、あくまでも自分自身が苦から自由になること(解脱)にあり、自身の解脱と先祖霊とは関係がないからです。なおかつ、仏教が誕生したインド文明では中陰を経た霊魂は新しい肉体を得て転生していると考えますから、崇敬の対象とはなる先祖霊自体が存在しえないのです。 仏教に先祖供養という考え方が取り込まれるのは仏教が中国化してからのことで、そこには儒教の「孝」の概念が基本にあります。日本の仏教は中国化した仏教ですから、もとから仏式儀礼による先祖供養が含まれていたうえに日本独自の祖霊信仰が習合して現在に至っております。
実は、母系先祖と父系先祖とを一緒に祀らない習俗は神道に起源があるとされています。 いわゆる「氏神」は名の通りに「氏=一族の神」であるから他の一族はみだりに祀るものではない、ということが理由です。端的な例が伊勢神宮でして、中世以前は皇室宗家(天皇・皇后・皇太子)のみが参拝できる場所でした。中世以降の伊勢神宮が皇室の氏神でなくなったように、一族の神である氏神と地域の守護神である産土神とが混同されるようになり族外者の参拝禁忌は廃れましたが、本来は他族(他家)の祖霊をみだりに祀ってはならず、よって母系祖先と父系祖先を一緒に祀らないという習俗だけが残ったと想像できます。
というわけで、仏教における先祖供養は仏教本来のものではなく儒教や祖霊信仰との習合の結果なのですが、釈尊その人の教えから先祖供養の必要性を導くことも可能といえば可能です。 釈尊その人の教説は「縁起説」に集約されますが、これを具体的にいえば「すべての存在は因と縁による関係性のなかに存在しており、その意味で固定かつ独立した実体はありえない。よって、苦にも実体はないし、苦の原因を知ることで苦を除くことができる」というものです。本来的には「縁起説」とは西洋哲学でいう認識論に属する事象ですが、これを存在論に適用すれば「自分自身の存在は、父母という因とそれ以外の人間関係という縁によって存在しており、個別独立した自我は存在していない」ということになります。
つまり、自分自身について考えることは自分自身を取り巻く人間関係について考えることにほかなりませんし、逆もまた然りでしょう。その人間関係の中で最も根源的な関係が父母とはじめとする血縁関係ですから、自分の血縁に属する誰かを代表者として「供養」することは自分に縁のあるすべての人々を「供養」することになるのです。もっとも、それを意識するかどうかは別の話ですが。
顔も知らない父方の曽祖父のご供養と、世話になった母方の伯母のご供養と、どちらが大切におもえるかを想像いただければよいのですが、私は故人を偲ぶにあたり母系・父系という区別をすること自体に不自然さを感じます。
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Name: ひろゆき
Date: 2011/11/07(月) 15:39
No:4494
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Title: 遠方の祖父母,伯父の位牌について
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関東在住の52歳男性です。私の伯父(高知県在86歳)が危篤で年は越せないと思います。伯父には子供が居ないため遺言で私が相続人に指定されており、先祖の祭祀も私が行うこととされています。伯父は長男のため伯父宅に祖父母の位牌と伯父妻の位牌があります。 伯父死去後は、祖父母の菩提寺(高知県土佐市真言宗豊山派)に位牌を全て託し永代供養をお願いしたいと考えておりますが可能でしょうか? また可能ならば布施はどのくらいを考えたら良いでしょうか? 墓は寺墓地ではなく祖父母宅近くの所有地にあり伯父は祖父母と共にその墓に入る予定です。 私の父は7年前に死去し、祖父母の墓に入れないか高知の菩提寺に相談したところ"若くして高知を離れているので高知の墓に入るべきでない"と住職様に言われたため、神奈川県の公営墓地に墓を作り、私および私の長男含めその墓に入る予定のため、高知の墓に入るのは伯父が最後となります。
伯父位牌含め私宅に引き取ることも考えましたが、私は将来高知に住むことはなく、伯父や祖父母が生まれ育った高知から関東へ位牌を持って来てしまうのはいかがなものか、と思い先祖代々お世話になっている菩提寺で供養していただけたらと考えました。
祖父母、伯父の法要は私が高知に出向いて可能な限り執り行う所存でおります。
位牌をどうするべきか、で悩んでおります。
アドバイスよろしくお願いいたします。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/15(火) 10:24
No:4504
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Title: Re:遠方の祖父母,伯父の位牌について
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位牌を菩提寺に預けて永代供養を依頼する、ということは可能です。その費用については、寺そのものだったり地域の習慣という点が強く働きますから菩提寺さんにご相談いただくのが最善です。
位牌についても色々な習俗があります。 会津地方と記憶していますが、こどもそれぞれが親の位牌を持つ「位牌分け」の風習があります。対して「人の体がひとつであるから霊魂もひとつであり、だから位牌もひとつでなければならず位牌分けなどもってのほか」という考え方もあります。 私は「人の魂は死によって肉体という束縛から自由になり大日如来と一体化する」とか「阿弥陀如来の本願によって西方極楽浄土に往生している」という考え方から、位牌を一基に限定することはないという考えをとります。
ですから同様のご相談をいただいたときには、位牌が手元にあれば亡くなった方が身近にいてくださる気分になるので、そのほうがよろしいとおもいますよ、とお勧めをしております。墓所が高知であっても、日々ご自宅のお位牌に手を合わせて故人を偲ばれることは善いことと考えます。
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Name: 貧乏人
Date: 2011/11/13(日) 14:59
No:4495
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Title: 檀家一軒当り60万円!
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横須賀にあるお寺から「寺院建物老朽化に伴なう建替え費用として、檀家一軒当り60万円以上払え」という案内がきました。 私は檀家の一人ですが、そんな大金はとても払えません。 先日は住職と世話人2名が自宅まで支払い催促に来ました。怖いです。 檀家の会みたいなものも無く、誰に相談すればよいか困っています。 どなたかアドバイスを頂けたらと思います。 12月3日(土)午後2時から説明会があるのですが大荒れしそうです。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/14(月) 12:56
No:4498
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Title: Re:檀家一軒当り60万円!
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そもそも建替そのものには賛成なさっても、寄付金額や金額決定過程に疑念をおもちなのでしょうか? それとも建替そのものに反対なのでしょうか? それによって回答の内容は変わってきます。
※
さて。 私は寄付を求める(寄付をいただけるよう説得する)立場の側ですから、その観点で「こうやって説得する」というシナリオを書いてみます。
(1)建替計画の必要性を説明する。例えば、耐震検査の結果を提示して補強工事よりも建替工事のほうが合理的であることを示す、など。 (2)建替後の仕様の必要性を説明する。例えば、本堂や客殿までを一体化したバリアフリー計画に基づき、かつ本堂そのものの荘厳さを維持するなど必要充分の計画であることを示す。 (3)費用総額の合理性を説明する。ゼネコンから地元の業者まで、複数の業者から見積の提示を受け、かつ専門家の視点からの助言を受け入れて設計しての価格であることを示す。 (4)檀家それぞれの分担額の決定過程を説明する。例えば、宗教法人が25%・住職個人が25%・大口の寄付(確定額)が25%、よって残りの25%相当を檀家の皆様で負担して欲しい、などの基準を明らかにする。 (5)以上の計画の策定にあたった住職以外の人物(世話人)や設計コンサルタントが建設会社とは独立していることを明らかにしたり、住職がそれらの助言者を選任した理由を述べる。
※
これに対して、寄付を必要とする建替計画そのものを放棄させる、という立場での反論を考えてみました。
(1)建替よりも安価かつ効果的に補強が可能ならば、檀家に負担を求めてまで費用を投下する必要はない。 (2)バリアフリー化も同様で、必要充分ではなく必要最小限の工事で済ませることが適当である。 (3)建替計画そのものが合理的でないから、建替を前提とした費用算定は意味がない。 (4)そもそも予算の75%が確保されているなら、計画そのものが75%金額で見積もられるべきである。 (5)この説明会そのものを檀信徒が全体で意思決定できる機会としてとらえ、この場で建設委員会を公募すべきである。あくまでも、その委員会において建替の是非から議論されねばならなず、かつ議論はすべて公開されねばならない。
再反論も可能ですが、ご参考までに。
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Name: 貧乏人
Date: 2011/11/14(月) 19:12
No:4502
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Title: Re:檀家一軒当り60万円!
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大変貴重なアドバイスを頂きまして有難うございました。 是非参考にさせて頂きます。
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Name: もも
Date: 2011/10/30(日) 20:14
No:4489
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Title: お墓をまとめたいのですが…
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主人の実家は、かなり古くから続く農家で、お墓が多数あります。しかも、土葬の頃のお墓(地面の上に石のみ)もあり、場所も、お寺の墓地や山の上など、点在している状態です。その上そこは、交通の不便な、過疎の山の中の町です。
これから先、私達の子孫凄くが大変な思いをして、ご先祖様の供養をしなくても良いよう、私達が墓守りになった際にもれなくご供養できるよう、お墓をまとめたいのですが、大きな問題があり悩んでおります。
実は、お寺が一度火事に遇い、過去帳が焼失したため、それ以前の情報がわからず、どこにどなたが埋葬されているかすら、わからないらしいのです。古くから続く農家といっても、地元に記録が残るようなお宅でもないので、お手上げ状態らしいのです。
こういった場合、お墓をまとめることは、出来ないのでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/11/02(水) 15:09
No:4492
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Title: Re:お墓をまとめたいのですが…
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可能です。 ご質問によりますと、いろいろな場所に墓石が点々と所在しておられるようですから、一箇所の墓所に整頓なされることはよいことと考えます。
まず順序としては、それぞれの墓地の管理者に移転の許可を得てください。お寺の墓地ならば面倒がないのですが、地域の共有地だったり個人が所有する山林に墓所があることも場所によっては珍しくありません。 また、墓石だけなのか、墓石と遺骨が一緒なのかを調べておく必要があるでしょう。墓石だけならば墓石を移すご供養だけで済みますが、遺骨とあわせて移動するとなると法的な手続きが必要となります。
いざ墓所の整頓を始める際、そこに祀られるすべての方々の個別具体的な戒名が判明するにこしたことはありませんが、そうでなかったとしても「○○家先祖代々各霊」を墓誌の筆頭に記して、あとは戒名のわかっている方々を寂年の古い順に並べておくという方法があります。過去帳だけではなく墓石そのものから読み取ることもできるかもしれません。物理的空間によりますが、できるだけ墓石を新しい墓所に移してさしあげることがよいでしょう。
こうでなければ正しくない、ということはありません。しかし、葬礼の方法には地域の習俗というものが強く働きますから、ご主人のご実家の菩提寺さんとよくご相談いただくことをお勧めします。
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Name: もも
Date: 2011/11/03(木) 13:33
No:4493
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Title: ご回答ありがとうございます。
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天台沙門様、ご回答、ありがとうございます。
墓石…といっても、河原にありそうな石が地面に置いてあるだけ…というのも、今までお墓の石として存在していたものなので、墓石として扱って良いのですよね?
言い出しにくいですが、次回の帰省時に、主人に少し話題にしてもらいます。
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Name: dan
Date: 2011/10/30(日) 06:44
No:4488
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Title: 先祖の仏壇
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分家初代です。まだ仏壇はございません。
先祖回向の本尊と持念仏の本尊は別々の仏壇にしたほうがよろしいのですか?
天台では先祖の仏壇にはお釈迦様か阿弥陀様となってますね 、私の自念仏は決めておりませんが胎蔵の大日様か十一面観音様にしたいと思っております。ご先祖さんにも同じくお祀りしてお守りいただきたいと考えております。
やはり天台ではお釈迦さまか阿弥陀様がご先祖さんに良いのでしょうか。 宜しく御願い致します。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/10/31(月) 11:28
No:4490
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Title: Re:先祖の仏壇
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結論から申し上げれば、先祖回向の本尊と念持仏(現世利益)の本尊とを別々にする必要性はありません。お好みの仏さまを本尊さんにするのが一番です。ですから、胎蔵界大日如来像か十一面観音像で大丈夫です、という回答になります。
実際問題として、どの寺院でも本尊の如何を問わず先祖供養をしますから、先祖供養の本尊は阿弥陀如来に限定されるということもありません。ただ、この観点からは菩提寺さんの本尊さんと一緒にするのが無難だ、という回答もできますが。 ですから、私がお檀家さんに仏壇の本尊につき訊ねられた場合には「ご自身が好きな(信仰したい)仏さんが一番ですが、とくにないなら、うちの本尊さんの阿弥陀立像をお勧めします」とお答えしています。
ところで、阿弥陀如来は往生を保証してくれる存在なのですが、厳密には座像と立像ではご利益が異なります。座像の場合は極楽にいらっしゃる姿なので極楽往生された方々(ご先祖)の回向の本尊とするのがふさわしく、立像の場合は来迎のお姿なので自分自身の往生を願うための念持仏とするのがふさわしいのです。ですから、ご仏壇の主目的がご先祖の供養にあるのでしたら「阿弥陀如来座像」がもっともふさわしいということになります。 ですが、ほとんどの場合は座像と立像の区別はしません。どちらも「阿弥陀如来」ですから。そういうものです。
※
蛇足ながら、「天台では先祖の仏壇にはお釈迦様か阿弥陀様となって」はいません。仏壇の本尊に釈迦如来か阿弥陀如来をお勧めする理由は「まあ、天台の本尊は久遠実成のお釈迦さんだし、でなければ先祖供養には阿弥陀さんがふさわしいかな」程度でしょう。 それどころか、本尊さんは何でもあり、が天台宗の特徴といえます。事実、延暦寺の根本中堂の本尊は薬師如来、西塔釈迦堂の本尊は釈迦如来、横川中堂の本尊は聖観音です。また、多くの天台寺院で不動明王を本尊としています。 つまり、天台の四宗兼学の意識からすると、釈尊が説かれた教えが人の姿で表現されたものが仏像である以上、釈尊その人の姿を象った「釈迦如来像」をまつることも、「教え」を象徴する各尊像(薬師・阿弥陀・大日などなど)をまつることにも、教学的な整合性があるのです。
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Name: dan
Date: 2011/10/31(月) 13:10
No:4491
| 解決
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Title: Re:先祖の仏壇
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いやいや ご丁寧にわかりやすく簡明にご教示いただきありがとうございました。 個人的に青森の昭和大仏に年に一回必ずお参りにいくものですから・・・・あの大仏さんは胎蔵大日さんなんですね。
家の宗派は天台宗だったもので、質問させていただきました。
誠にありがとうございました。
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Name: ABC
Date: 2011/10/20(木) 20:54
No:4481
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Title: 二つの仏壇について
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私の実家に仏壇があります。父85歳、介護施設に入所の為、実家は空き家同然です。 私は仕事の為別の市に住んでます。母が亡くなった為私の住んでる家に、新しい仏壇と位牌を置きたいと思ってます。 実家の仏壇は父がいる間は残しておきたいとおもってます。 ご相談ですが、お盆の時の、たな経とか、私の家の新しい仏壇だけでしてもらうことでよろしいでしょうか? よろしくおねがいします。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/21(金) 10:25
No:4482
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Title: Re:二つの仏壇について
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仏壇がふたつであること自体は問題ないと思いますが、まず大切な事は、「どこで供養するか」です。基本的に棚行などは一家に一カ所が原則だと思いますので。それを明確にしておくことが第一。 そして、その場所に御本尊とすべての位牌とをお祀りしておくと良いでしょう。 実家の方の仏壇は、現時点では誰もお祀りされないということですから、位牌および御本尊は、ABCさんの新しい仏壇で祀るべきだと思います。実家の仏壇自体は、取り敢えずはそのままで結構でしょう。 まぁ、ともかくも菩提寺の住職に相談されては如何でしょうか?
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Name: ABC
Date: 2011/10/21(金) 20:00
No:4483
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Title: Re:二つの仏壇について
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実家の仏壇、位牌はそのままにして、私の家の新しい仏壇、新しい御本尊と位牌で毎日供養していきたいと、思います。
御返事ありがとうございます。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/21(金) 21:36
No:4484
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Title: Re:二つの仏壇について
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御実家には時々は帰られますか? まったく帰らないのであれば、実家の位牌や御本尊は放置状態となりますが、それはちょっと粗末に扱う事になるかな…と思います。確かにそういう場合もよくあるのですが…。 新しい仏壇にすべて祀るのがベストですが、それが出来ないのであれば、せめて月に一度か二度は帰り、掃除をして手を合わせることはして欲しいな、と思います。 ただ県外の場合それも難しいとなれば、私なら菩提寺に頼んで、せめて実家の仏壇の御本尊の撥遣、俗に言う「お性根抜き」をしてもらいます。 やはりお祀りしているものですから、拝めないのであれば、それなりの対処はしておくべきかと。僧侶としての意見ですが…。
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Name: ABC
Date: 2011/10/21(金) 23:14
No:4485
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Title: Re:二つの仏壇について
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実家の仏壇には、位牌はありますが、何故か御本尊がありません。私が小さいころから無かったのかは、よくわかりません。 実家の仏壇はかなり、古いですが、父の希望でそのままにしています。 私は、実家には月に数回帰っては、仏壇を拝んでます。冬は、雪が降るとなかなかいけませんが、また、私の姉は嫁に行きましたが、市内に住んでおりますので、週一回位は、誰もいない実家に来て、仏壇を拝んでもらってます。がよろしいでしょうか?
位牌のことですが、私の家の新しい仏壇にも実家と同じ先祖代々の位牌と41年前に亡くなった祖母の位牌と置く予定ですが、何か問題はないでしょうか? 両方で拝めるかたちに、したいのですが、 長くなりましたが、よろしくお願いします。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/22(土) 09:21
No:4486
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Title: Re:二つの仏壇について
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週一度でも誰かが行って拝むのであれば、問題ないと思います。 位牌をふたつずつ作るということですか。まぁ、それも問題ないです。実際、うちの地域ではふたつ作りますから。 位牌あるいは仏壇は「窓」です。こちらとあちらを繋ぐ「場」ですので、別にふたつあってダメということではありませんから、それは安心してお祀りください。家に窓がふたつあってらダメだ、ということにはならないですよね? それと同じです。
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Name: ABC
Date: 2011/10/22(土) 10:34
No:4487
| 解決
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Title: Re:二つの仏壇について
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お盆のたな経は、私の家の新しい仏壇であげてもらい、普段は実家の仏壇も出来る限り、拝んでいきたいとおもいます。二つの位牌があっても、問題ないということなので、安心しました。
御返事ありがとうございました。
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Name: 無知
Date: 2011/10/18(火) 11:01
No:4477
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Title: 葬儀翌日のお寺参り
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お寺参りの持物について
遺影・位牌・骨箱・七本塔婆等も持っていくのでしょうか?
その他にも持物があれば教えて下さい。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/18(火) 11:48
No:4478
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Title: Re:葬儀翌日のお寺参り
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地域やお寺に拠っても違うのでしょうが、うちの場合は持って来ていただくのはお布施だけですね。 基本的に遺影や位牌、卒塔婆などは自宅の祭壇にまつってあると思いますから、それはそのままです。 次の日の寺詣りは、お布施を渡すことと、七日参り・四十九日の日程・時間を話し合うことになると思います。その他の相談事やわからないことも、その日に尋ねて解決しておくと良いでしょう。 ただし、地域や寺によっては相当な違いもあろうかと思いますから、直接、お寺に尋ねるのがいいと思います。別に尋ねても良い事柄だと思いますし…。
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Name: 無知
Date: 2011/10/18(火) 19:18
No:4479
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Title: Re:葬儀翌日のお寺参り
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水波坊様ありがとうございました。
地域は、長野県の北部です。 やはり、地域やお寺によって違うのですね。 直接尋ねた方が良さそうですね。
御布施については『遺物料』で良いのでしょか?
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/19(水) 09:28
No:4480
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Title: Re:葬儀翌日のお寺参り
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お布施は「お布施」で良いのではないですか? お葬式に関してのお布施ですよね? 「料」というのは「料金」ということですから、違うと思います。
また、例えば慣例として道具を借りたら「道具料」だの、あるいは「卒塔婆料」だの「お車料」だのと分けている人がいますが、うちの場合はすべて「お布施」で統一してお願いしています。 お寺が受けとるのは「お布施」だけであって、「〜料」というのは何かの対価、つまり「商売」ですから、そういうのは私は受け取りません。
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Name: けんじろう
Date: 2011/10/10(月) 09:57
No:4469
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Title: 処分の方法
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こんにちは 当方の勤務している会社の上司が新宗教に熱心です。 私もお付き合いで入っています。
先日、その関係の「お曼荼羅様」を購入しました。 綺麗にして、水を替えてお経を唱える作法まで 言われ現在飾ってあります。
正直当家の宗派とも違うし、あまり飾る気がしません。 将来的には、処分したいと考えています。
宗教道具を丁寧に、処分する方法を教えてください。 部署の配置換えがあれば、上司に解らないように処分を希望します。本部に返すと上司に伝わるので、返却はできません。
宜しくお願いします。
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/10/10(月) 12:56
No:4470
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Title: Re:処分の方法
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私はいかなるカルト団体のものであれ、信仰の対象を「処分」する、という表現は好きではないのですが、まぁ一般的には、その団体の本部なり支部に返却しますよね。
それが出来ない場合、自分の菩提寺なりに持っていき、その寺でお焚き上げしていただく事が多いと思います(その場合は菩提寺にお布施をしてください)。 その他、焼けない道具等がある場合は、例えば住職に頼んで本部に返却の労を取って戴く、という方法もありますが、これは断られる場合もあるかも知れません。 いずれにしても、きちんと丁寧にお願いしてください。
あとはお祀りしている本尊の大きさにもよりますが、年始あたりに行われている神社のどんと焼きとか、そういう所に持参しても良いでしょう。ただし、仏壇とかは大きいので、それは難しいですけれども…。
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Name: 友
Date: 2011/10/11(火) 08:48
No:4471
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Title: Re:処分の方法
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ごみ箱に捨てて下さい。 私ならそうします。
心配無用です。
どうしても心配なら、 塩をかけて、 ビニール袋に包んで ごみに出して下さい。
オウム真理教の仏具を大事に処分しますか? ブルドーザーで埋め立て焼き払うのみです。
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Name: けんじろう
Date: 2011/10/12(水) 05:46
No:4472
| 解決
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Title: Re:処分の方法
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水波坊様、友様 ご意見ありがとうございます。
物を大事にする気持ちが強くて、相談させていただきました。 また、何かと「気」を感じるものなのでどうすればよいか 困っていました。 ここは、自分のお寺さんに相談して行動しようと思います。
ただし、今の部所から異動してから処分します。 ありがとうございました。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/06(火) 13:36
No:4452
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Title: 逆打ち
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今秋、2度目のお遍路に出かける予定ですが、2度目にいきなり逆打ちをしてもよいのでしょうか? 1度目は順打ちで結願まで達しましたが、主人が来年は閏年だし、逆打ちで行きたいと言っています。 回る予定としては今秋、来春、来秋・・・で一国打ち切りです。 逆打ちはベテランがするものとかいう話もあるようですが、初心者でも構わないのでしょうか? 来年の閏年にちなんで逆打ちツアーというものを企画している旅行会社もあるようです。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/08(木) 17:44
No:4453
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Title: Re:逆打ち
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大切なことは巡礼という行為であって、そのやり方は二の次です。 きっと「初めての遍路が閏年になるのも、お大師さんとのご縁だ」と感じて2度目どころか1度目から逆打ちをなさる方もいるでしょう。ですから、逆打ちに不安をおもちいただくことはありません。
もしかしたら、これが最初で最後のお遍路になるかもしれない人が、お大師さんとすれちがうことを求めて閏年の逆打ちをするかもしれません。そういった可能性を考えない、「ベテランがするもの』という物言いにはうさんくさいものを感じます。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/08(木) 18:59
No:4454
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Title: Re:逆打ち
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ご回答、ありがとうございます。 本などを読んでいると「逆打ちはせめて3度以上順打ちをしてから・・・」という言葉がありましたので、ちょっとびびっていたんです。
あと映画「死国」の影響もあってか、逆打ちは何だか怖いという偏見がありました。 でもあれって作り話、迷信なんですね。
それでは1番〜3番を先に回ってから88番へ行って逆打ちすることにします。 ありがとうございました。
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/09/09(金) 05:15
No:4455
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Title: Re:逆打ち
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hotoke 様 遍路について基本的なことはお判りかと思いますが、まがりなりにも遍路も遍路行と言う修行です。順打ち、逆打ちには意味があります。 逆打ちの始まりの衛門三郎の話を載せておきます。
天長年間の頃の話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし(つかんで地面にたたきつけたとするものもあり)、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。
三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。
三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。
翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/10(土) 04:54
No:4456
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Title: Re:逆打ち
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勝運寺山主様
衛門三郎のお話、ありがとうございます。 衛門三郎については本などで読んだことがあります。 うちの先祖も伊予三島の庄家でお大師さんを信仰していた家です。 お遍路を2度も体験できるのはご先祖様が与えて下さったご縁でしょう。
追加の質問で申し訳ありませんが、巡礼には別格や番外巡礼というものがあります。 そもそも番外にはどのような意味があるのでしょうか?
88番や33番からもれてしまった札所なのでしょうか?
また別格や番外も逆打ちしたってよいものなのですよね?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/11(日) 14:53
No:4459
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Title: Re:逆打ち
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別格や番外が発生した理由は、よくわかりません。 わりあい確からしいものとして、観音霊場は西国三十三箇所・坂東三十三箇所なのであわせて百観音になるように秩父が三十四になったといわれています。
巡礼者を受け入れることが社寺や門前町の世俗的利益になったという点はどうしても否めませんから、各霊場の参拝者を呼び込むために、本寺すじ(四国八十八個所に対する高野山)や著名寺院(坂東三十三箇所に対する善光寺)が繰り入れられたということでしょう。もちろん、より優れた功徳を得るために著名な社寺にも縁を結んで区切りとしようという巡礼者の心情もあったはずです。
四国と高野山については、巡礼の安全を祈願するという意味で最初に参拝し、巡礼が無事に終わったことに感謝する意味で最後にも参拝する、ということもありではないでしょうか。私が比叡山で修行したときも、修行の満行を祈るために比叡山中を参拝して歩き、満行してから感謝のためにもう一度歩きました。 数字にこだわることもそれはそれでおもしろいのですが、だからといってこだわりすぎることもないというのが私の考えかたです。
※
秩父三十四箇所に関する余談ですが、ここは札所の順番に参拝することが少なかったそうです。 その理由は極めて現実的で、最も参拝者の多い江戸から秩父に向かう道筋(現在の西武秩父線)に一番札所がなかったので、大多数の巡礼者が便利な(数字でいうと)途中の札所から巡礼を始めていたからだそうです。ちなみに秩父の一番札所は熊谷(中山道)から秩父に向かう道筋(現在の秩父鉄道)にあります。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/11(日) 16:13
No:4460
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Title: Re:逆打ち
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天台沙門様
ご丁寧なご回答ありがとうございます。 四国巡礼ですと88ヶ所と別格20ヵ所をあわせて108の煩悩・・・というようなことが本に書かれていたような気がします。 ならば108の煩悩を周るのも功徳になりますね。
我が家の場合は近所に東寺がありますので、最初に東寺で道中安全祈願をしてから四国に向かいます。 そして巡礼が終わった後は高野山に向かい、お礼参りをします。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/15(木) 23:17
No:4466
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Title: Re:逆打ち
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どうぞ、お気をつけていってらっしゃいませ。
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Name: 23歳男性
Date: 2011/09/13(火) 17:00
No:4462
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Title: 日蓮聖人の教え
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はじめまして。 私は18歳の時に専門学校のクラスメイトである創価学会に折伏されました。 その後も「身延山の日蓮宗の教えは間違っている。池田先生の教えが絶対に正しいんだ」としつこいのです。
私も実は仏教に造詣が深く、実家の菩提寺は天台宗です。 法華経を中心に据えていることは共通点なのですが、「南無妙法蓮華経」を唱えることにより、大宇宙と同化し、己の仏性が引き起こされる日蓮聖人の教えには惹かれました。 私も南無妙法蓮華経を唱え、自分の仏性を引き起こし、大宇宙と一体化して、不幸ばかりが続く今の境遇を変えたいのです。 しかしその功徳のためには、他の宗教の教え、それにまつわる祭りも邪教、間違った教えだと思わなくてはなりません。 私も功徳は得たいし、仏の教えは素晴らしいですし、研究したいです。 しかし他の宗教を罵ってまで、否定してまで功徳をえたくありません。
私は趣味は寺社仏閣・パワースポットめぐりで、先々の聖地や寺社仏閣に赴くたびにそこの神仏に敬意を払い、心から敬い、拝むのを礼儀としています。 旅先・故郷・居住地の土着の神を敬い、拝むことでパワーを分けてもらっていると信じています。 加えて私の親戚にキリスト教徒がおり、無毛な宗教争いで親族の和を乱したくありません。
しかし創価学会では幸せになる条件として日蓮聖人以外の教えを謗法と考えねばなりません。 これまでの信仰は幸せの代価にすぎないのでしょうか? 幸せとは他宗や他教を排斥しなければえれないものなのでしょうか? また、創価学会についてもあまりいい噂を聞きはしません。 「創価学会の信心を始めて、残業もなくなり給与も増えた」 と信心の体験談を耳にしますが、どうも生理的に胡散臭いと感じせざるを得ません。 財務の件にしても公明党の選挙にしても到底自分の支持できるものではありません。 日蓮聖人の教えは素晴らしいのですが折伏など他の宗教を否定、批判し無理にほかの人を無理やり引き込んでまではしたくありません。
日本の神やキリスト教の神にも敬意を払い、諸仏を信仰して法華経を学び、その功徳にあやかるのは仏陀の説く「極端に走る」「人の存在を否定するような行動をしてはならない」「人は互いに敬愛し、施しあわねばならない」(いずれも無量寿経からの引用です)にかなっているのでしょうか? それとも単に虫が良すぎる話でしょうか? 幸せになるためには他の教えをバカにしたり、敬意を払うななど私にはできません。 そのような人間は幸せに離れないし、功徳も仏性もあったものではないのでしょうか? 南無妙法蓮華経を唱え、信仰したら最後、ほかの宗教に対して批判的にならなくてはならないのでしょうか? 私は他の教えを尊重しつつ、法華経を学び自分の仏性を引き起こしたいのです。 それにはどうしたらいかがでしょう?
よろしくお願いします。
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Name: 早紀
Date: 2011/09/14(水) 01:50
No:4463
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Title: Re:日蓮聖人の教え
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はじめまして。私はお坊さんではありませんが、少し体験をお話したくて口出しさせて頂きますね。私は曹洞宗の檀家から日蓮宗の檀家へ嫁いだ者です。 第一印象は、なんてお金のかかる宗派なんだろうでした。 次に、これは私の理解不足だと思うのですが、自分が苦行をしないと幸せになれないような印象をうけました。
学会については、信心している幼なじみが、熱心になる毎に、夫の不倫から離婚、親御さんの会社倒産、自身の難病等に悩まされています。本人いわく毒だしだそうですが、どれだけ溜めているのでしょう…(苦笑)
以上の点から一くくりにするのも微妙ですが日蓮宗、学会は信心する気になれません。
今、私は現世利益の仏様を信心しています。
が、一般人の考え方として、東京〜大阪に行く方法が沢山あるように、また、移動の度に手段を変えるように捉えるなら、目的地がはっきりしているならパワースポットも含め宗派はこだわらなくてもいいかと思います。 素人の長文失礼致します。
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Name: 宥心
Date: 2011/09/14(水) 17:19
No:4464
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Title: Re:日蓮聖人の教え
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貴方は貴方の信じるやり方で、神仏との御縁を大切になされたら宜しいかと思いますよ。 何をもって『幸せ』とするかは人それぞれですが、幸せは何かを信仰したから与えられるというものではなく、例えば毎日おいしいご飯を食べられる事、1日怪我もなく元気に過ごせた事、大好きな人の笑顔が見れた事…そういう何気ない事を有難いと感じる事が本当の幸せではないでしょうか。 人間は人間だけの都合で生きている訳ではありませんし、様々な生き物や自然の恩恵があってこそ命あるのです。
誰かが偉い、あちらは邪宗…などという狭い視野ではなく、大きな視野で自然や動物に感謝をする。有難いと手を合わせ、今を生かされている事に感謝をする…その感謝の心があってこその幸せなんだと思いますよ(^^)
創価学会の方々は確かに熱心ではあります。 良くも悪くもその姿は、ある意味凄く感心します。
私の周りにもおりますが、自分本人だけ熱心であり、他に強要しないなら、特に個人の自由ですし問題ないと思います。 ただそういう方は稀でしょうから、不快ならそう申されたら宜しいと思いますよ。 ハッキリ断ったからといって誰かが不幸になるなんて事はありませんから(笑)
世の中には様々な宗教があります。 その宗教どれかが悪いのではなく、それを悪いと言ってしまう人の心に問題があるのだと思いますよ。
それを見抜き自分が信じるやり方で神仏との御縁を持てば宜しいかと思います。
ご相談内容とは、少々離れた回答になってしまっているようでしたら、お詫び致しますねm(__)m
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/15(木) 08:54
No:4465
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Title: Re:日蓮聖人の教え(長文です)
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私は、現実社会では某政令指定都市の駅近隣にある檀家寺を預かっております天台を宗とする者です。
結論から先に申し上げますが、「他の教えを尊重しつつ、法華経を学び自分の仏性を引き起こしたい」ならば、創価学会の教義とは離れて一人の法華経信者として生きることを選ぶべきでしょう。そうしなければ、現在の貴方がそうであるように、創価学会の教義そのものが貴方の信仰心における矛盾の原因となり、信仰によって得られるはずの心の平安を失います。 創価学会の内側にあれば、折伏という行為によって世俗の不義理を生じます。創価学会を離れれば、そちらとの不義理を生じます。どちらにせよ、なんらかの不義理は生じるわけで、どちらを選ぶかは貴方ご自身の選択です。
法華経信仰のために家族との葛藤を経験し、最終的には汎宗教的信仰に至った(とおもわれる)宮沢賢治の思想と生涯についてお調べになることが一助になるかと考えます。
※
親鸞さんは「念仏をすれば極楽に往けるのですか?」と問われたときに「私にはわからない。尊敬する法然さんがそうおっしゃったから念仏をしているだけで、もし念仏をして地獄に堕ちても法然さんを恨むこともない」とおっしゃいました。
ペトロさんはローマから逃げる際に、ローマに向かうイエスさんに出会い「どこへ行かれるのですか?」と問います。そして、お師匠が「もう一度、十字架に架けられるためにローマへ」と答えられたので、あえてローマで殉教する道を選ばれました。
お二人とも、尊敬する人の言葉(態度)に従って宗教的態度を選ばれました。その選択の結果が堕地獄であっても殉教であっても、選択は自分自身のものであるとして結果を受け容れているのです。
と、いうことは 尊敬する創価学会の教義が、「幸せになるには日蓮聖人以外の教えを謗法と考え」ねばならないから題目を唱え他宗を排撃するのであって、もしそれで世俗の不義理を生じても創価学会を恨むことこともない。 という気分になってもよいはずです。でも、なにか違和感がありますよね?
※
さて。ご存知の通り『妙法蓮華経』をはじめとする大乗教典は、釈尊その人の教説ではありません。忘れがちなのですが、仏教とはあくまでも釈尊の教えなのです。 誰もが釈尊その人の教えに近づくために、自分ではない誰かの考えかたを手がかり足がかりにしているにすぎません。天台宗は天台智の経典理解に基づく修行の体系を表します。禅宗とは座禅止観に基づく修行の体系を表します。ですから日蓮宗とは日蓮の仏教理解に基づく修行の体系を表しているわけです。
逆説的にいえば、「日蓮宗」という名乗りは「釈尊その人がおっしゃったこと」よりも「日蓮聖人がおっしゃたからこと」を優先しかねない危うい性質を表しているといってよいでしょう、つまり「日蓮が理解した釈尊の言説」ではなく「私(例えば、池田先生)が理解した日蓮の言説」が信仰の関心となり、釈尊その人や日蓮その人から乖離する可能性があるのです。歴史的に日蓮宗の分派活動が盛んなのは偶然とは考えられません。
ですから、近現代に生きる仏教者は歴史上の釈尊の言説をふまえたうえで、伝統的仏教宗派の歴史的仏教理解を批判的に受容したり、近現代の方法論をもって祖師がたの思想・思考を再構築したりしながら、個別の信仰を確立していく必要があります。もちろん、信仰態度として経典一切が真の仏説という点には批判の余地はない、として近代文献学の成果を否定することもできますが、私はこの立場を執りませんし執るべきではないと考えます。
※
貴方の文章から読み取れる(すなわち貴方が理解する)創価学会の教義は、 前提その1:「幸せになる条件」=「日蓮聖人以外の教えを謗法と考える」 前提その2:「日蓮聖人以外の教えを謗法と考える」=「他の宗教を否定・批判し他者を折伏する」 結論:「幸せになる条件」=「他の宗教を否定・批判し他者を折伏する」 という論理構造なのですが、「幸せ」の内容に関する議論が省かれている点から折伏にまつわる問題が発生していると考えてよいでしょう。
「幸せ」が内面的な価値だけを示すなら、それは「他者との関係性」から切り離されて考えてしかるべきです。自分が納得してのことだからそれに伴う不都合は甘んじて受けるというわけで、これは親鸞さんやペトロさんの意識と一致します。また仏教修行における出家や出世間という他者との関係を整理する(執着のもととなりかねない人間関係を必要最小限のものに減らす)行為とも一致します。これらは修行時には他者への働きかけを必要としていません。 しかし「折伏」という行為は、他者への働きかけそのものです。在家信者組織である創価学会が熱心である事実と一致する通り、出家・出世間とは正反対の志向性です。
人にものを勧める際には、その長所と短所をあわせて説明することが俗世の常識となっています。 ですから「信仰面において俗世間と積極的に関わることによって、もしかしたら信仰面での不義理や衝突が生じるが、にもかかわらず我々の信仰によって得られる個人的幸福のほうが豊かなものだから、この信仰を選びましょう」という問いかけが、布教・伝道の際には必要なはずです。 この必要性を創価学会員さんたちが自覚しているかどうかという点に注目すべきと考えます。
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Name: まる子
Date: 2011/08/31(水) 18:00
No:4449
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Title: お位牌
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無知な私に教えて下さい。生前、父がある新興宗教宗教(仏教)を信仰していたんですがその時に作ったお位牌の様な物を処分したいのですが処分方法がわからず困っています。どのようにすればよいのでしょうか。何処かお焚き上げなどをして頂ける機関とかあるのでしょうか。教えて下さい。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/02(金) 06:06
No:4451
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Title: Re:お位牌
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一番簡便な方法としては、ご近所の神社仏閣で「お焚き上げ」を受け入れてくださるところにお預けしましょう。具体的には、11月の「酉の市」、それから年末年始に前年の飾り物・お札・お守を集めてくださるところです。 もちろん、ご自身がご縁をおもちのお寺(菩提寺)さんに頼むことも可能でしょう。
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Name: た
Date: 2011/08/25(木) 19:42
No:4443
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Title: 無題
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はじめまして。 先日、母が亡くなりました。 何とかお葬式は挙げられましたが貧乏なのでお坊さんを呼べませんでした。 なので戒名も付けられませんでした。可哀想な気もしますが仕方がありません。 戒名が無いとあの世に行った母はどうなるのですか?
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Name: 貝塚
Date: 2011/08/26(金) 00:20
No:4444
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Title: Re:無題
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私の親類は一切戒名は付けません。これは某お寺さんの助言によるもので、生前本人が大切にしてきた名前を、亡くなった後も大切に使わせるのが自然じゃないか、という話しに共感したからです。
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Name: た
Date: 2011/08/26(金) 01:29
No:4445
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Title: Re:無題
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貝塚さま、回答ありがとうございます。 自分も母の名前が好きなので、名前のままでもいいかなとも思います。特に信仰している宗派も無く、お墓も霊園なので名前のままでも問題はありませんが、お坊さんを呼んでお経ぐらいはあげてあげたかったです。 しかし、戒名とお経で50万だなんて、とても無理です。 貧乏な自分を責め、母に詫びることしか出来ません。 情けないです。
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Name: なお
Date: 2011/08/26(金) 06:51
No:4446
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Title: Re:無題
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おやさしいあなたの気持ちは、きっとお母様の魂に届いていると私は思います。供養って人それぞれで 僧侶を何人も呼んで多くの人と賑やかに供養するのも、たった一人でも気持ちを込めて手を合わせるのも 同じ供養だと思います。
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Name: た
Date: 2011/08/28(日) 00:15
No:4448
| 解決
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Title: Re:無題
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貝塚様、水波坊様、色々とありがとうございました。
納骨の時かもっと先になるかは判りませんが、余裕が出来たら、お寺さんに頼み、お経を挙げて頂こうと思っています。
母は今まで苦労してきたのでせめてあの世では楽してほしいと願っております。 人の死ってつらいですね。 母に対してはもっと優しくしてあげれば良かったと後悔ばかりで心が折れそうになります。
色々とありがとうございました。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/13(土) 10:30
No:4421
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Title: お墓にあった白いお位牌
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今日お盆で墓参りに行きました。今まで気付かなかったのですが、親戚のまた親戚の墓に行ったら墓石の下に数年放置された白い木のお位牌があるではありませんか!家族に「よくわからないけど、これってまずいよね!?」と言いましたが、家族全員そのようなことは疎くて誰もわからず、その故人は最終的にはお墓に入っているようです。 どこでどうなってしまってそんなことになったのかわかりません。その代で家系は終わりで関係者も他界したので詳細を知る人はいないそうです。 白いお位牌が出来た後の流れはどのような感じになっておりますでしょうか? お盆時期のお忙しいところ申し訳ございませんが、宜しくお願い致します。
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Name: 一九
Date: 2011/08/15(月) 08:02
No:4423
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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最近この板の返事遅いんですよ。^^ 白木の位牌だと思いますが、お寺で作ってもらって四十九日法要で黒塗りの位牌と入れ替えします。 http://www.shidty.com/sirakiihai/
私の場合白木の位牌は、四十九日のときお寺で引き取って焚きあげをしてもらいました。 他のお寺、他地域のことは知りません。 無縁墓であれば、管理者に伝えてお任せするのがよいと思います。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/15(月) 12:33
No:4424
| 解決
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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再び一九様、お忙しいところ申し訳ございません、返信ありがとうございましたm(_ _)m !ということは四十九日法要をやっていないかもしれないのですね。 色々お墓の管理のお寺に確認してみます、どうもありがとうございました(^-^)
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Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:50
No:4434
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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「解決」扱いになっていますが。
これは「野位牌」と称される風習と考えられます。かつて土葬が一般的であったとき、墓石や角塔婆を建立するまでの間、白木の位牌を墓標としていた習俗の名残です。
現在でも、通夜葬儀時に大小二種類の白木の位牌を用意することがあります。大きい方を祭壇に、小さい方を会葬者焼香台に、それぞれ安置する使い分けになっていますが、小さい方が「野位牌」です。 野位牌は納骨時に一緒に埋納したり、納骨時期と関わらず葬儀が終わると墓所に安置して四十九日に回収したり、略式であっても墓標であるのでそのままにしておいたりするようです。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/18(木) 11:18
No:4436
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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天台沙門様 ご回答ありがとうございました!それは知らなかったです、お勉強になりました! ただ気になりましたのが、「置いてある」よりも「捨ててある」感の方が強かったものでして(((・・;) 雨さらしになっていてもう腐食が進みかけておりますが、(ちょっと不気味な感じデス)親戚が野位牌としておいたのであれば、位牌がズタボロになるまで置いておくものなのでしょうか? 見切りをつけて墓地の管理寺さんに持って行った方がよいのでしょうか? お忙しいところ申し訳ありませんm(_ _)m
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Name: つき
Date: 2011/08/18(木) 21:50
No:4438
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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私の地域では、天台沙門様も仰ってますが、野位牌は土葬であった時の名残で本来は朽ちて土にかえる迄置いておくそうです。 今はお墓自体が全部石で出来ている所が多く、土にかえす事も長い時間がかかり難しいので、もし粗末にしていると思われるようなら菩提寺のご住職様に相談なさった方がいいと思います。
墓地の管理寺さんが菩提寺であれば問題ありませんが、違うのであれば寺によって考え方ややり方が違うかも知れませんので、注意が必要だと思います。
何にせよ、ここでの意見だけを聞いて決断せず、参考にして最終的には菩提寺にご相談されるのが良いと思います。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/19(金) 07:59
No:4439
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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つき様、ご回答ありがとうございました! そうだったのですね、さらにお勉強になりました。 そこの霊園は畑のど真ん中で色んなお寺さんが入っているところでした。 お寺さんに問い合わせてみますm(_ _)m
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