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Name: hotoke
Date: 2011/08/16(火) 08:50   No:4425
      
Title: 宗派替えについて    
我が家の宗派は現在、浄土真宗ですが、祖父の代までは真言宗だったようです。

しかし今から23年前、祖母が亡くなった時に家の近くに真言宗のお寺がないという理由で真宗に変えられてしまったとか・・・。
真宗では宗派替えは認められているようですが、他の宗派になると「家の宗派は絶対に変えてはいけない」ときつくいう方もおられます。

現在は義父が家の仏壇を見ていますが、今後、私どもの世代になった時、ご先祖様に対してどのような供養をすればよいのでしょうか?
そのまま真宗を受け継ぐのか?
それとも真言宗に戻すのか?

家の仏壇は祖母が亡くなった時に真言宗から真宗の仏壇に新調されて、古い真言宗の仏壇はどこかで処分されてしまったようです。

尚、仏壇は祖父の代まで真言宗でしたが、仏様の戒名は曾祖母から祖父まで真宗の戒名になっています。(5人のご先祖様が真宗の戒名になっています)

すなわち曾祖母が四国から大阪に移り住んだ時、家の近くに真言宗のお寺がないという理由で、葬式は真宗のお寺でしたものの、仏壇はそのまま真言宗のものにして残したおいたものと思われます。

大変複雑な家庭で申し訳ありませんが、今後はどのような方法で先祖供養をしたらよろしいのでしょうか?



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/08/17(水) 01:59   No:4427
    
Title: Re:宗派替えについて    
hotoke様
大阪地方でも真言宗のお寺は多いですよ。
転派につきましては貴家の自由かと思います。


Name: hotoke
Date: 2011/08/18(木) 09:14   No:4431
    
Title: Re:宗派替えについて    
失礼ですが田舎者さんはあの世の人ですか?
それともこの世の人だけれどあの世を見てきた人ですか?
神仏のことについて「絶対」という言い方はどうかと思います。
こちらのお寺ネットは、いろんな人が書き込んでくるようですが、何かと問題になっていませんか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:19   No:4432
    
Title: Re:宗派替えについて    
大前提として「家の宗旨」と「個人の宗旨」は別物ですし、宗教と信仰とは別物ということをおさえておくべきです。

現代でも、江戸時代の寺請制度(非キリスト者であることの証明)の影響で、菩提寺の宗旨と檀家の宗旨が一致することが当然と考えています。しかし、寺の宗旨自体も変化しうるという事実や、異なる宗旨の檀家に嫁・婿に行けば「実家の宗旨」から「婚家の宗旨」に自動的に宗旨替えが行われる事実を踏まえれば、個人の宗旨替えそのものは咎められる筋合のものではないことが明らかです。

私は、生者が死者を弔うためにどのような方法をとってもかまわない、という立場をとります。それが無宗教的な行事であっても、特定の宗教に基づく儀式であっても、故人を偲ぶという目的であれば、生者が自由に選択して許されるべきことです。

教学的(理論的)なことを考えれば、真言宗(=密教)における弔いは「成仏」を目的とするに対し、真宗(=浄土教)における弔いは「往生」を目的とします。具体的には、「成仏」とは大日如来との一体化を示し、「往生」とは阿弥陀如来の本願による極楽への生まれかわり(≠輪廻転生)ことを示します。ですから、密教な回向供養と浄土教的な回向供養では、まったく意味が異なるので教学的観点では「宗旨替えをすると意味がない」という主張が成り立ちます。

ですが、こういった理論的なことを説明されたうえでの宗旨の選択が行われているでしょうか?
もちろん、行われていません。あくまでも「家の宗旨」だから、という理由だけで宗旨が決定されています。そうである以上は、理論的なことは宗旨替えを否定する理由にならない、というものが私の理解です。それに密教的思想と浄土教的思想と、どちらかが正しいのではありません。どちらも正しいのです。

ですから、弔う側が故人を偲ぶという目的にそって納得して行うのであれば、その形式は自由に選択して許されるべきなのです。




Name: シエラ
Date: 2011/08/16(火) 14:50   No:4426
      
Title: 形見の行方    
初めまして。
北海道に住む主婦です。
大事な悩み事があるので聞いて頂きたくメールいたしました。

両親がもう高齢です。
私は母から大事な母の着物を預かっておりますが、私たち夫婦には子供がいなくて、私にもし何かあったとき、その大事な着物をどうするかと言うことを今から決めておく必要があると考えております。

着物は母の身分、あるいは私たち家族の身分を表す大事なものです。姉には子供がおりますが、二人の子供はどちらも病気を患っており、結婚できるかも分からず、着物を持たせることは敵わないと思います。
たぶんそれで、母は次女の私に大事な着物を託したのだと思います。
父も母もまだ健在ですが、母の元気なうちに大事な着物の託せるお寺を探したいと思っております。

母は浄土真宗本願寺派でなくては困ると言うことを、信念を持って言っております。
大事な理由があると思われます。
どのように取りはからうべきでしょうか。
お返事待っております。



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/08/17(水) 02:11   No:4428
    
Title: Re:形見の行方    
シエラ さま
身分制度が無くなった現在では余り貴家以外では意味を成さないものかと思います。
浄土真宗本願寺派にまつわる重要な物でしたら檀家寺へ寄贈されるのも一つの方法です。


Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:58   No:4435
    
Title: Re:形見の行方    
お母様のご希望の通り、西本願寺さん(またはお母様やご自身に縁のある本願寺派寺院)にご寄贈なさるのがよろしいと考えます。

お母様に、その理由をお聞きになったうえで、寄贈を受け入れていただけるかどうかという点から西本願寺さんにご相談なさることをお勧めします。




Name: nyoi
Date: 2011/08/01(月) 17:09   No:4420
      
Title: 位牌の安置場所について    
先日に祖父が亡くなりました。
49日の法要が昨日終わり、納骨が半年後予定です。

本来、位牌は仏壇に収めるものですが、
祖母は「位牌は遺骨と一緒において置きたい」と強く希望しています。
それは可能なのでしょうか?

ちなみに、先祖の遺骨を祭っている仏壇があります。



Name: 一九
Date: 2011/08/15(月) 07:57   No:4422
    
Title: Re:位牌の安置場所について    
1週間経ちますね。
私は素人なのですが、遺骨は普通墓地に埋葬して、位牌を仏壇に収納します。
遺骨の埋葬には埋葬許可が必要ですから、遺骨を仏壇に置いておくのは厄介ですよ。
分骨して一部を仏壇に残す人もいますが、長い目でどうなのでしょう?
粗末にできませんし、犯罪と区別できませんからね。

死者の魂は位牌や写真に宿るとされ、基本的に死者が遺骨にこだわることはないようです。
最近は散骨もはやっています。
日本仏教の正しい答えがあるらしいので、仮のお返事です。


Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:39   No:4433
    
Title: Re:位牌の安置場所について    
>祖母は「位牌は遺骨と一緒において置きたい」と強く希望しています。

それは「納骨をせず将来にわたって一緒に生活なさりたい」という意味なのでしょうか?
それとも「納骨までは、位牌を仏壇の中に置くのではなく、遺骨と一緒に置いておきたい」という意味なのでしょうか?

以上が明確でないので大雑把に申し上げます。


前者の場合、昨今では「手元供養」と称する形式になります。納骨先が菩提寺さんであれば、住職さんにご相談いただくこと、また非宗教的な施設であっても施設管理者にご相談いただくことが第一です。これは、遺骨の手元供養の場合、将来的に「やはり納骨する」ことにしたときの扱いを明らかにする必要があり、その場合の法的な手続きとして「埋葬許可書」をどうするかという手続き上の問題が発生するからです。

後者の場合、これは自然な作法です。習慣では、葬儀から四十九日までは白木の位牌を用い、四十九日以降は白木ではない位牌に作り替えます。白木の位牌を仏壇に納めることはありません。




Name: hiro
Date: 2011/07/29(金) 16:17   No:4418
      
Title: 過去帳の表題について    
過去帳の表紙に表題を書く四角の欄がありますが、ここには何と書けばよいのでしょうか。また、宗派によって書き方に違いなどはありますか。


Name: 沙羅
Date: 2011/07/30(土) 11:14   No:4419
    
Title: Re:過去帳の表題について    
そこには『○○家先祖代々の霊位』とか『○○家』とか書かれれば良いと思います。

宗旨によって…とありますが、そうなるとお寺様に頼んで書いていただかねばならないでしょうから、もしご自身で記入されるのでしたら、上記のように書かれれば良いと思います。





Name: あむ
Date: 2011/07/21(木) 21:30   No:4412
      
Title: 供養について    
訳あって悩んだ結果中絶をする事になりました。
供養はちゃんとした方がいいですか?
あと、最近嫌な事が続いてます。仕事も決まらず…何かあるのでしょうか?



Name: ココロ
Date: 2011/07/22(金) 02:04   No:4413
    
Title: Re:供養について    
とても厳しい言い方になりますが…。

悩んだ末に中絶をされた。
何があって、どんなに苦しんで出した結論にせよ、授かった命を葬った。
その心情は計り知れない。

ただ、どういう経緯かにもよりますが。


・愛する人との間に出来た子を中絶したのか?
・無防備な性交渉によるものなのか?
・不注意で流産したのか?
・乱暴されたことによるものなのか?


あなたの文面から推察するに、どうやら流産や乱暴されたのではないように思われます。
もし流産や乱暴されたのだとしたら、精神的ショックが大きくて大変苦しまれます。
ご自身のツイてないないこととの因果関係などだせないはずです。

供養した方がいいか、供養しなくてもいいかということは、本来尋ねるまでもないこと。
供養しなくてもいい仏さまなど一つもないと思います。

中絶したことで、ツイてないことばかり起きている…。
そう感じるということは、あなたの心の中で、妊娠中絶したことに対する何かしらの感情(罪悪感とか、無防備な肉体関係を結んだとか…)があるから、それと現状を結び付ける。

中絶とツイてないこと、因果関係があると思えばある。→軽率な行為をしたことに対するバチがあたった。自業自得、因果応報。

因果関係はないと思えばない。→仕事が決まらないのは、中絶したからではなくあなた自身の努力や取り組み方に問題がある。

結局のところ、どちらであっても、穏やかにはならない。
ということは、つまり、ご自身のツイてなさを中絶したことに結び付けようとする前に、まず真っ先にすることがあるのでは?

水子さんを供養し、手を合わせるのが先だということ。

こちらのサイトでは、中絶したことを告白された方々が大勢おります。
本当に嘆き、悲しみ、自らを責めている方々がたくさんいます。
お子さんを授かりたくても、授かることのできない方々もたくさんいるのです。

もう少し、自分自身を見つめ直した方がいいのでは?

「人のこと、よく知りもしないくせに」と、思われるかもしれません。
不愉快にさせるつもりはありません。
文面だけからしか判断できないのも事実です。

あなたのお子さんとして、この世に生まれくることができなかった赤ちゃんが、その命をもって、あなたに大切なことを教えてくれたのです。
その教えを生かすも、台なしにするのもこれからのあなたの生き方次第と思います。

不愉快にさせたのだとしたらすみません。



Name: 夏空
Date: 2011/07/23(土) 11:49   No:4415
    
Title: Re:供養について    
水子の祟りなど百パーセント存在しないと、私の崇敬する祈祷師の方が断言していました。その方は神道の方ですが、仏教の世界にしたって、はじめに如という原子の世界があると説いて、如が結合して形ができる(生=如来)、そして死によって形が無くなりまた原子の世界の如に去る(死=如去)、と説くわけで、如から来て如に去るわけですから、増えもしなければ減りもしないわけです。仮に中絶しても、如の世界には中絶した子が存在しているわけです。思いがあれば、話しかければ届きます。



Name: くー
Date: 2011/07/14(木) 23:53   No:4409
      
Title: 行方不明者の葬儀について    
初めまして。今回の震災で夫が行方不明になりました。働き盛りの年代で、私は早いうちに葬儀をして、皆さんに送ってもらった方がいいのかと思いますが、家族は見つかるまで待ちたい様です。また、実際葬儀をして、心だけでちゃんと送ってあげられるのかと、少し不安です。通常行方不明になった方の葬儀は、どんなタイミングで、どうやって行うべきなのでしょうか。どうか教えて下さい。よろしくお願い致します。


Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/07/19(火) 05:36   No:4411
    
Title: Re:行方不明者の葬儀について    
くー様
行方不明者の葬儀に関しましては家族の方の意思を尊重してください。




Name: パンダ
Date: 2011/07/10(日) 22:20   No:4408
      
Title: 四十九日法要前日の訪問    
今週田舎に遠出することになりました。
その際、最近亡くなられた親戚の所へお参りに伺おうと思ったのですが、その方の四十九日法要の前日、当日になるみたいなのです。
こういった場合、前日、当日どちらに行った方が失礼にあたらないのでしょうか?
どちらも伺うのは非常識でしょうか?



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/07/19(火) 05:32   No:4410
    
Title: Re:四十九日法要前日の訪問    
パンダさま
もし貴方が遊びや仕事で田舎へ行かれるのでしたら前日、当日は施主家は準備で忙しいと思います。出来ればお参りは避けられた方が良いでしょう。もし御参りをされる場合もあらかじめ先方に伺う日時を連絡の上、親戚の都合の良い時間を聞いてから伺うようにしてください。四十九日法要の当日参列されるのであれば前もって親戚の方に連絡の上それなりの準備が必要です。片手間、や用事の序ででのお参りは失礼になりますので避けてください。




Name: パンダ
Date: 2011/06/30(木) 18:00   No:4365
      
Title: 位牌について    
位牌について質問です。
姉妹の四十九日法要と納骨が近々あります。
しかし位牌がそれまでに出来上がりません。

その場合どのようにしたらいいのでしょうか?
をよろしくお願いします



Name: 尊明 [URL]
Date: 2011/07/02(土) 08:09   No:4366
    
Title: Re:位牌について    
間に合わなければ、後日お寺に持参し、位牌の開眼法要を別にしていただく形になります。

手間はかかることになりますが、この先のためにもちゃんとされておかれることをおすすめします。

49日を厳修鵜してくださる和尚様に早くご相談になってください。合掌


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/02(土) 09:08   No:4367
    
Title: Re:位牌について    
四十九日に行うのは「一般的にはそうだ」というほどの基準です。
御位牌を新調なさってから、百か日なり秋彼岸なりの折に開眼法要をなされればよろしいでしょうし、そういった特定の日取りにこだわらず位牌の新調しだいすぐ、でもよいでしょう。


Name: パンダ
Date: 2011/07/10(日) 22:10   No:4407
解決     
Title: Re:位牌について    
尊明様、天台沙門様お返事ありがとうございました。




Name: JUN
Date: 2011/07/05(火) 12:20   No:4385
      
Title: 無題    
以前、真言の件で皆様にお世話になった者です。木造の仏像を購入しておがんでますが、特にお寺で「心」入れしてもらってないのですが、拝んでも効果があるのでしょうか?
無意味?なのでしょうか?
ある方に「心」が入ってないのでただの空の仏像だと言われて・・・このまま拝んでいても大丈夫なのか心配です。



Name: 天台沙門
Date: 2011/07/06(水) 06:01   No:4391
    
Title: Re:無題    
私は開眼供養をすることお勧めしていますが、しかし儀式は充分条件にすぎません。ご安心ください。

たとえば、奈良の三輪山などは山体そのものが「神」とされております。三輪山が信仰の対象となる際に、誰かが「心」を入れたのでしょうか?
違いますね。

それに畏敬の念を感じたり「それを信じたい」という人の心があってこそ、信仰の対象が「神」であり「仏」になるのです。逆に言えば、どんな儀式をしようと信ずる心がなければ、ただのモノです。

展覧会で展示されている国宝・重文級の仏像は、過去に(現代よりも誠実かつ厳粛に)開眼供養がなされたものですが「展覧会」という場では基本的に「美術品」であって信仰の対象とはみなされません。
そういうことです。


Name: JUN
Date: 2011/07/06(水) 17:22   No:4396
    
Title: Re:無題    
天台沙門様、田舎者様ありがとうございます。
2年間毎日その仏像に拝んでいたので・・・急になにもしなくても大丈夫なんでしょうかね(汗)般若心経も唱えてお線香も焚いて・・・自分は霊感は全然ないですし霊媒体質でもないです。あと氏神さまのお守りとお札にも祈願してます。
毎月1日、15日は氏神様に参拝に行きます。
今まで拝んでいた仏像は置きっぱなしで大丈夫か心配です・・・・(>_<)


Name: JUN
Date: 2011/07/08(金) 20:51   No:4405
解決     
Title: Re:無題    
田舎者さま、ありがとうございます。
仏像は自分の寝室の北側に(北の守護神なので)観賞用として
置いておくことにしました。今までのお礼を伝えて。
氏神さまのお札はリビングにありますので、今まで通り
朝晩祈願していきたいと思ってます。氏神様のお守りも財布に入れて持ち歩いております。
天台沙門さまと田舎者さまのお陰で気持ちが楽になりました。
本当にありがとうございました。<(_ _)>




Name: マルモ
Date: 2011/07/05(火) 22:35   No:4389
      
Title: 信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
私の家のお寺は、日蓮宗のお寺になります。
総本山は身延山久遠寺の流れの日蓮宗のお寺です。

お墓には、祖父母が眠っています。
どうしてこのお寺にしたのか?というと、祖母が仲の良い友達と一緒のお寺さんにしよう…というようなことで、このお寺で墓地を購入し壇家となったようだと、親から聞きかされました。
明治生まれの人ですし、生きてきた時代背景もあったかと思いますが。

人それぞれ、宗教観や信仰、ひいては宗旨のイメージなどさまざまあるかと思います。
また、我が国では、信仰の自由が憲法で認められています。
日蓮宗(いわゆる法華経)というと、ある種の色眼鏡みたいな見方で受け止められることが、何度かありました。

どの宗派や宗旨がいいとかわるいとかいうつもりはありません。

私自身、家の菩提寺が日蓮宗のお寺である以上、それを信仰とするのが自然なことだとも思います。

しかし、仏教の教えに触れていく中で、菩提寺を下にする信仰とは別に、自身の宗教観というか、教えというか、いわゆる導きといったものは、さまざまな宗派の垣根を越えたような触れ方でもいいのだろうかと思うことがあるのです。

言葉は適切かどうかわかりませんが、良いとこ取りみたいな…。

でも、それをつきつめれば、行きつく先はどの宗派も同じところのようにも思います。

だから、いろいろな宗派の教えに触れること、またできることを実践することはしてもいいのではないかと…。

菩提寺はしっかりありながら、こういう八方美人的なものの見方、教えに触れるというのは好ましくないものなのでしょうか?




Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/07/06(水) 10:08   No:4393
    
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
本来、宗教あるいは仏教というのは、個人個人が「どう生きるべきか」を考えて、それを歩むものです。家の宗教、というのは、まぁ確かにどこにでもあります(欧米にもあります)。
が、自覚的に学び実践し、「これだ」と思えるものが見付かれば、人はそれに従って信仰をしていくのは自然な事で、「でも家の宗教は…」というのは、ナンセンスでしょう。生きているのは家ではなくて、あなたですから。

あと、日蓮宗が色眼鏡で…ということを気にされているようですが、それは主に富士山方面から出た某団体関係が原因だと思います。それ自体はあまり気にしなくていいと思いますよ。大切なのは、あなたがどう、それを受容できるのか、それを信じて歩めるのか、ということですから。


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/06(水) 10:10   No:4394
    
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
私見ながら、純粋な信仰のほうが「正しい」とする意識は一神教に基づく西欧の宗教学の影響下で生じたものであり、これは日本の伝統的な信仰感覚(神仏習合)とは異なっていると考えます。

純粋(単純)であるほうが正しいという宗教観は、「お念仏」や「お題目」という易行(これだけやっておけば間違いない)を旨とする法然さんや日蓮さんの思想と類似しているので、日本の近代化の途上で「正しい仏教」というイメージが定着します。面白いのは、けして易行とはいえない禅宗も座禅一筋という点から「正しい仏教」というイメージをもたれているところでしょう。

私が宗とする天台は、顕・密・禅・戒の四宗を兼学することを旨としております。つまり、純粋ではないうえに「鎌倉仏教」に対する「平安仏教」のイメージもあり、同じ平安仏教の真言宗さんが密教専行であることと比較して、「夾雑物の多いまがいもの」というイメージをもたれた時期があります。しかし、天台の顕教から法然さんと日蓮さんが出たことも、禅行から栄西さんと道元さんが出たことも周知の事実です。いわば「比叡山」という総合大学から「浄土宗」・「日蓮宗」・「臨済禅」・「曹洞禅」という単科大学院が成立したといってよいでしょう。いずれの御祖師も四宗を兼学なさったからこそひとつの修行法を極めることを選択なさったのであり、それぞれの御宗旨も天台式の仏教を基礎になさっているということは間違いないと判断できます。
違うというだけで、そこに善悪や優劣はありません。

ところで、法然さんや日蓮さんの同時代人として、栂尾の明恵上人がいらっしゃいます。明恵上人は宗旨的には華厳宗(奈良仏教である南都六宗の一)に属した方ですが、仏教を学ぶために異なる宗旨の僧侶の教えを請うことは恥ずべきではなく進んで行うべきだ、との発言をなさっています。

ですから「いろいろな宗派の教えに触れること、またできることを実践することはしてもいい」のですし、そうすべきでしょう。
各宗教の修行の本質は「祖師の経験を追体験すること」にあります。つまり、仏教徒であろうとするならば釈尊の修行(瞑想)を追体験すべきですし、御祖師さんの修行を追体験する中で他宗旨の教えに触れることは必要なことと考えられます。


Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/07/06(水) 10:18   No:4395
    
Title: 追伸    
因みに、「「これだ」と思えるものが見付かれば」というのは、何も「何かの宗派」というわけではありません。そうではなくて、もっと広い意味です。
私の場合は『大乗起信論』『金剛般若経』のふたつを核にして実践し、様々な思想の相互関係を考えています。これはどこの宗派、ということは関係なく、まったく私の世界です。
色々なものを学び、触れていく中で、それぞれに色々な道を発見することと思います。それが自然な事です。
別に菩提寺を捨てろと言う事ではなくて、色々な道があるということですから、菩提寺の宗旨も認めて良いし、ご自身の考えを推し進めても良いでしょう。
私は真言宗ですが、他宗派のやり方もアリだと思っていますよ。


Name: マルモ
Date: 2011/07/07(木) 09:46   No:4398
    
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
水波坊さま・天台沙門さま

早速の返信ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

はた目には、なんてくだらないと思われる人がいるかもしれませんね。
でも、愚問だったかもしれませんが、私にとっては、これから仏教の教えを学び実践していく中で疑問だったのです。
スッキリしました。

いずれは菩提寺の墓に入るわけですが、そこまでの道程(人生)においては、菩提寺の宗旨にとらわれることなく、広く仏教の教えに触れ、学ぶということは差し支えがない。
たしかにもっとも言えば、もっともですね。
ましてや、得度をしておらず、僧籍ももたないありふれた一般人においては、宗派・宗旨の教えを究めることは難しい。
そのかわり、広く浅くというのは一般人向けなのかもしれませんね。
私は、人間ができていないので、仏教の教えを通して、功徳を積み成長させたいのです。

ちなみに、京都や奈良のみならず、各地のお寺に参詣する際に、そのお寺の宗派を気にして行かれる人はどれほどいるでしょうか?
観光地であれば、特に御利益や厄除けなどで手を合わせる人が多いかと思います。
私なぞは、ただただ現世利益だけを祈念し、手をあわせていました。
それはそれで構わないことなのかもしれませんが、そうした場において、それぞれの宗派の勤行というか、易行といったものの一説を唱えて、祈念するという行為はしてよいものですか?

もしかして、勤行や易行を唱えることは当たり前なのでしょうか?

「お念仏」や「お題目」はわかりますが、「ご真言」はどう唱えたらよいのでしょうか?



Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/07/07(木) 15:11   No:4399
    
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
勤行式などは、市販の経本で適当な物を使用してください。もちろん日蓮宗のものでも結構ですよ。
一々うるさいことをいう寺もありますが、個人的に参拝するのであれば、参拝の形式についてはそれほど気にしなくても大丈夫です。普通にお参りしてください。

仏に宗派はありません。宗派は人間が色々な経緯や思惑で形成したもので、仏の世界にそんな区分けはないです。

真言についてですが、基本的に私は般若仏母大身真言だけです。本尊が何であっても。
もちろん他の尊格の真言を使う事もありますが、それにしても、あらゆる尊格の真言をすべて憶えて、参拝の時に使う…というのも、なかなかきついと思います。
ですから特に信心している尊格があればその真言を、そうでもないなら光明真言をいつも唱えるようにすればいいと思いますよ。それで問題ないです。


Name: マルモ
Date: 2011/07/08(金) 00:00   No:4401
    
Title: 水波坊さま    
水波坊さま

いろいろとお教えいただきありがとうございます。
今まで、お寺に参詣する際に、ここは○○宗のお寺だから、という意識をもって参詣したことはほとんどありませんでした。

でも、そうした思いを多少なりともいだいて参詣できたら、単なる自己満足かもしれませんが、そのお寺への礼儀にでもなるのかと思ったりもします。

> あらゆる尊格の真言をすべて憶えて、参拝の時に使う…というのも、なかなかきついと思います。

たしかにおっしゃるとおりです。
また、私になぞ、そのようなことは難しすぎます。

私の漠然としたイメージですと、「お念仏」や「お題目」で許していただけることろは、それを唱えさせていただいて、わずかでも敬う気持ちというか、学ばせていただく気持ちを表わせられたと、思ったのです。
私には、特別信心している尊格はありませんので、真言宗のお寺に参詣する際は、光明真言を唱えさせていだきたいと思います。

私が、どうしていろいろなお寺に参詣する際に、そのお寺の宗派というか、宗旨というか、○○宗ということに合わせて、「お念仏」や「お題目」、「勤行」などを唱えた方がいいのでは?と思ったのには理由があります。

私は、普段通勤で自転車を利用しているのですが、その際に菩提寺の近くを通るのです。
行き帰りの際には、菩提寺の近くを通る時にいつも「法華経」を心の中で唱えながら、祖父母にあいさつをして、心の中で対話をしています。
その時、「他のお寺に参詣する時などは、何かを唱えるようなことはした方がいいのかな?(日蓮宗でいうところの法華経みたいなもののこと)」
「それには、どういうものがふさわしいのか?」と思ったのです。

「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」といったものぐらいは、頭には浮かぶのですが、「勤行」となるとそれはまた難しいですし…。
でも、もし、できることならこれからはお寺に参詣する際は、ただただ現世利益を祈念して手を合わせるのではなく、易行や勤行を唱えさせていただければ、心もまた少しの汚れを綺麗にしていただけるのでは?と思ったのです。

そうしなければならないとか、する必要はないといか、いわゆる義務や強制などではなく、自分がそうしたいからする。
その発想で、参詣と自分の仏心とを結び付けてもいいのですよね?



Name: マルモ
Date: 2011/07/08(金) 01:06   No:4402
    
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
天台沙門さま

日蓮聖人が、天台顕教で学ばれたことは知っておりました。
その過程において、数ある経典の中から「法華経」を選ばれたのですよね。

また、明恵上人のお話をうけて、私がこれから実践しようとしていることに背中を押されたように受け止めています。

本当にありがとうございます。

ちなみに、天台宗のお寺に参詣する際にふさわしい易行や勤行はあるのでしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/08(金) 09:23   No:4403
    
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
>お寺の宗派を気にして

予備知識として、その寺の本尊さんを調べたり宗旨がどうであるかを調べたりする人はいても、基本的に宗旨を気にして参詣の是非を決める人はいないと想像できます。天台宗で東北地方に団体参拝する時、天台宗の中尊寺(平泉)と立石寺(山寺)は当然として、臨済宗の瑞巌寺(松島)も定番の参拝所です。



>それぞれの宗派の勤行というか、易行といったものの一説を唱えて、祈念するという行為はしてよいものですか? もしかして、勤行や易行を唱えることは当たり前なのでしょうか?

寺院を参拝した時の最大公約数的な作法として、『般若心経』と本尊宝号(南無○○仏)を3回唱える、というものがあります。
基本は、本尊さんにご挨拶をする、という感覚でしょう。ですから、最低限の礼儀として、本尊さんに手を合わせて頭を下げることは当たり前のことでしょう。ですが、その際に何をするかについてはご自身で判断なさるべきことと考えます。
私は、自分の宗旨と参拝先の宗旨が異なる場合は、参拝先の方法を優先させるべきと考えます。自分は「人」で本尊は「仏」ですから、人が仏にあわせるべきです。



>「お念仏」や「お題目」はわかりますが、「ご真言」はどう唱えたらよいのでしょうか?

上記の「本尊宝号」の代わりに「本尊真言」をお唱えする、という感じでよろしいと考えます。お札所に行くと、本尊の名前と本尊真言と「三返お唱えください」と書いた札があったりします。


>天台宗のお寺に参詣する際

『般若心経』に本尊宝号をお唱えいただければ結構です。


Name: マルモ
Date: 2011/07/08(金) 11:32   No:4404
解決     
Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
天台沙門さま

詳細なご説明ありがとうございます。
文才がないので、なかなかうまいこと思っていることが伝えられなかったのですが…。

天台沙門さまが言われるように、お寺に参詣する際に宗旨を気にして参詣の是非を決めることはありませんでした。

私自身、宗旨を気にして参詣の是非ということは全く考えておらず、これからも何気にお寺に参詣することは多々あるかと思います。
その際の礼儀をどうしたらよいのかを考えていたのです。

天台沙門さまの書かれた

> 私は、自分の宗旨と参拝先の宗旨が異なる場合は、参拝先の方法を優先させるべきと考えます。自分は「人」で本尊は「仏」ですから、人が仏にあわせるべきです。

これで納得できました。

お寺はいつも身近なところにあって、そこは私にさまざまなことを教えてくださり、導いてくれるところであると思っています。
参詣先のお寺に敬意を払い、そちらの方法で参詣させていただくようにします。

ありがとうございます。





Name: 美玲
Date: 2011/07/02(土) 18:42   No:4370
      
Title: 人の不幸を願う    
人の不幸を願うことはよくないことですが自分に意地悪をしたり酷いことをした人の不幸を願いたくもなりますが、そうせずに気持を処理できるのでしょうか?


Name: 一般人
Date: 2011/07/02(土) 19:04   No:4371
    
Title: Re:人の不幸を願う    
相手を哀れな人間だと、慈しむことができます。例えば……

誰かを害して傷つければ、その悪行為の結果は加害者がいつか受けることになります。
「かわいそうに、自分が悪い行為をして、その報いを受けるのは己だというのに……」と哀れむ。

害する行為をする方は心が成長していないのでしょう。
「かわいそうに、こんなことをしなくてはならないほど心が病気なのだ」と哀れむ。

また、哀れむ方法以外では、うらみを抱く自分の心を厭い、心を強くするぞ!と自身を励まして、工夫へと心を持っていく方向もあると思いますね。


Name: 美玲
Date: 2011/07/02(土) 22:19   No:4372
    
Title: Re:人の不幸を願う    
一般人さま

回答有難うございます。

因果応報の法則に当てはめる

これは出来そうです。

相手より一段上をいき哀れむ

前々からこうが出来たらどんなに楽かと思っていました。
自分が未熟なため、相手と同じ土俵に立ってしまうんですよね。

うらみを抱く自分の心を厭い、心を強くするぞ!と自身を励まして、工夫へと心を持っていく

心を強くするぞと自分を励ますのはいい方法ですね。
それが出来れば恨むことにエネルギーを費やさなくて済む分楽だろうと思います。

こうして回答をいただいても、なお相手を恨んでしまう。
情けないですね。


Name: 花火
Date: 2011/07/03(日) 10:21   No:4373
    
Title: Re:人の不幸を願う    
憎たらしい人物の不幸を願うことは大多数の人が体験していることです。ごく自然な反応ではないでしょうか。人から憎まれる人物は、さまざまな人から呪いの念を浴びて、結局は不幸になっていきます。たしかに人を呪えば…と言う格言はありますが、一般人は聖人を目指すわけではありません。憎むことが心の素直な反応なら、こらえないことが心の健康法だと思いますよ。

Name: 一般人
Date: 2011/07/03(日) 11:06   No:4374
    
Title: Re:人の不幸を願う    
心には「習慣」があります。例えばずっと悲しんでいるならば、やめようと思っても心のクセが抜けず、しばらくは心が悲しむ方向へといきやすいものです。

「恨まない」とまずは貴方自身が心に決めたのですから、しばらくは心のクセが抜けないかもしれないですが、もう大丈夫だと思いますよ。クセに負けないことです。
心の主は自分。そのことを忘れないでいてくださいね。


さて、恨む気持ちはフツウあるから恨んだらいい、聖人じゃないんだから。そういう考え方もあるでしょう。

しかし、恨み続けることで自分の心が苦しむこと、さらには健康を害することすらあることを知っていれば、「恨むのをやめたい」というのは当たり前のことです。そうしないのは、(言葉が悪いですが)頭が悪い、自分で自分を害していることにすら気づけない人達だと思われます。まぁ、本人が理解できなければ難しい話でしょうが……。

ちなみに自分は恨みから抜け出せず、一週間ほどで病を発病し、さすがに恨みを抱くことには懲りました。恨む気持ちに気付いたら、早めに手放さないと危険だというのが実感です。雪だるま式に膨れあがり、手が付けられなくなるように思います(笑)

美玲さんが早く恨みの心から逃れ、いつもの明るい気持ちで「今ここ」の時間を過ごすことができるようになることをお祈り申し上げます。


Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 11:43   No:4375
    
Title: Re:人の不幸を願う    
花火さま

回答有難うございます。

憎たらしい人物の不幸を願うことは大多数の人が体験していることです。

そうかもしれませんね。自分だけが悔しい想いをしていると思っていたんですが、大多数の人が悔しい思いをしているんですね。

ごく自然な反応ではないでしょうか。

憎んだ相手の不幸を願い、自分を責めて苦しくなっていたのですが、そう言って頂くと心が軽くなります。

人から憎まれる人物は、さまざまな人から呪いの念を浴びて、結局は不幸になっていきます。

いけないことですが、そうなればいいな・・・と思ってしまいます。人に与えた痛みは自分が身をもって痛みを感じないとわからないことがありますよね。
私の出会った酷いことばかりしている人は、いつも断じて自分は悪くないと自分の思いを押し通し、不思議と相手が折れ(諦め)、結果的に自分の思いがまかり通っている・・・いつか天罰が下るんでしょうね。

たしかに人を呪えば…と言う格言はありますが、一般人は聖人を目指すわけではありません。憎むことが心の素直な反応なら、こらえないことが心の健康法だと思いますよ。

この世は修行の場で聖人に近づこうという気持も心の隅にありました。
でもその分、心がキツくなってしまうのですよね。心の健康も大切にして考えてみます。
ありがとうございました。



Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 12:05   No:4376
    
Title: Re:人の不幸を願う    
一般人さま

再び回答ありがとうございます。

> 心には「習慣」があります。例えばずっと悲しんでいるならば、やめようと思っても心のクセが抜けず、しばらくは心が悲しむ方向へといきやすいものです。

心には習慣があるんですね。私もやめようと思っても気がついたらまた悲しむ方向へ向いています。
確かに前向きなクセを持つ人はいつ、どんな時でも前向きですね・・・

> 「恨まない」とまずは貴方自身が心に決めたのですから、しばらくは心のクセが抜けないかもしれないですが、もう大丈夫だと思いますよ。クセに負けないことです。

恨むことがいけないことと理解していても、気がつくと恨んでしまうんです・・・
クセに負けないようにするには、同じことを繰り返さないように努力をすることが大切なのでしょうね。

> 心の主は自分。そのことを忘れないでいてくださいね。
本当にそうですね。心の持ち方次第で幸せにも不幸にもなりますね。貴重なお言葉有難うございます。

> しかし、恨み続けることで自分の心が苦しむこと、さらには健康を害することすらあることを知っていれば、「恨むのをやめたい」というのは当たり前のことです。そうしないのは、(言葉が悪いですが)頭が悪い、自分で自分を害していることにすら気づけない人達だと思われます。まぁ、本人が理解できなければ難しい話でしょうが……。

恨み続けることはエネルギーを必要としますね。そのことで目の前のことが疎かになったり、心も体も参っています。恨まなくて済むなら、誰も恨みたくないのですが、恨まずにいられないというところが、なんとも複雑で難しいのですが・・・

> ちなみに自分は恨みから抜け出せず、一週間ほどで病を発病し、さすがに恨みを抱くことには懲りました。恨む気持ちに気付いたら、早めに手放さないと危険だというのが実感です。雪だるま式に膨れあがり、手が付けられなくなるように思います(笑)

そうなんですよね。恨みが雪だるま式に膨れ上がり手が付けられなくなるってすごく解ります。いつも恨んでいる精神で、イライラしたり、あまり良いこともないですね。
一般人さまは病を発病されたとのことですが、私も胃痛、腹痛、不眠、うつ病になりました。

> 美鈴さんが早く恨みの心から逃れ、いつもの明るい気持ちで「今ここ」の時間を過ごすことができるようになることをお祈り申し上げます。

優しいお言葉ありがとうございます。今、ここ・・・にだけ気持を向けられるよう努力します。

ありがとうございました。


Name: 花火
Date: 2011/07/03(日) 12:28   No:4377
    
Title: Re:人の不幸を願う    
人間というのは、一つの感情をいつまでも継続するなんてことはあり得ません。憎しみについて言えば、憎んで憎んで憎み尽くして憎むのに飽きたとき、ようやく忘れることができると思います。また、一人の相手を激しく憎んだところで、それが習慣となり誰彼構わずの相手に憎むのが当たり前の心の有り様になるなんてこともナンセンスだと思います。昨今、心の病が増えていますが、感情やストレスの抑制こそが心の病になる最大の原因だと思っています。憎む人物の不幸を願うことで感情が解放されるなら、飽きるまで憎んでストレスを貯めないことが現代の心の健康法だと思います。

Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 13:34   No:4378
    
Title: Re:人の不幸を願う    
花火さま

再び回答をありがとうございます。

色々な考え方があり、とても勉強になります。

> 人間というのは、一つの感情をいつまでも継続するなんてことはあり得ません。憎しみについて言えば、憎んで憎んで憎み尽くして憎むのに飽きたとき、ようやく忘れることができると思います。

憎むのに飽きたり忘れたりすには、時の流れに任せていれば無理して忘れようとしなくても、自分で気付かないうちに自然と忘れられるのかもしれませんね。

昨今、心の病が増えていますが、感情やストレスの抑制こそが心の病になる最大の原因だと思っています。憎む人物の不幸を願うことで感情が解放されるなら、飽きるまで憎んでストレスを貯めないことが現代の心の健康法だと思います。

花火さまが仰るのはただただ、自分の気持に従うということですよね。憎い相手を想っている時は心が荒んでいるせいか、別の思考を持つことが難しかったりすることもあります。その時の自分の気持に従っていれば無理が生じない分だけ楽になるのかもしれませんね。自分の精神状態にもよるのですが、相手の不幸を願うことで自分の気持が楽になることもありますよね。そのあと苦しくなったり、スッキリしたり色々ですが・・・


Name: 一般人
Date: 2011/07/03(日) 14:03   No:4379
    
Title: Re:人の不幸を願う    
度々失礼します。美玲さんは仏教に親しまれていらっしゃいますでしょうか?

もしそうであれば、一般的に日本のお寺で話されるような内容として「多生の縁」という考え方もあると思います。なお、あくまで私が言うのは、心を「抑えこむ」ではなく、考え方をかえることで自動的に心がかわるように仕向けるという方向です。

多生の縁。美玲さんの心にいま強くひっかかっている人が、実は過去の生まれ(過去世)において母親だったかもしれない。あるいは、自分が過去世で酷いことをした相手なのかもしれない…様々な縁により「今」が成り立ってますが、袖が触れ合うだけでも過去世では深い縁があったと言われるくらいですから、心に強くひっかかるような関係であれば尚更、過去世では深い関係があったのだろうと推測されるわけです。だから優しい気持ちで付き合っていきましょうと、そのように考えるわけです。

加えて「業(カルマ)」という見方ができますので、いま相手に迷惑をかけられたことで、自分の悪いカルマを解消できたという風にみることができます。
善因善果、悪因悪果。相手の行為によりカルマを解消できても、自分が仕返しして悪行為をすれば、また自分が悪いカルマを積みますので、いつかまた返ってきてしまいます。

オンニコニコハラタツマイゾソワカ。腹をたてない呪文です。怒りがわいたらオンニコニコハラタツマイゾソワカ。思い出してクソッと思ったらオンニコニコハラタツマイゾソワカ。宜しければお試しください。


Name: 花火
Date: 2011/07/03(日) 14:23   No:4380
    
Title: Re:人の不幸を願う    
憎しみを捨てる、心の在り方を変える、考え方を変える、道徳的な視点から言えば、それが王道の答えなのでしょう。しかし、いざ自分の身に置き換え、現実の憤怒に臨めば、道徳など絵に描いた理想論に過ぎないことがわかります。頭では分かっていても道徳の実践は困難である、それが人生というものです。見知りの住職は住職になる前、会社を経営していました。しかし信頼する人物に裏切られ、会社を潰しました。血の憎しみが消えず、生きる希望もなくし、世を捨てる思いで出家したそうです。憎しが消えたのはだいぶ後のことだと言います。出家した住職だってこの通りです。解毒剤でたちまち毒が消えるようには消えていかないのが人の感情です。自然治癒(心の解放)に任せるしかないと思います。

Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 14:32   No:4381
    
Title: Re:人の不幸を願う    
一般人さま

回答ありがとうございます。

詳しくはありませんが、仏教系の本は好きです。

「多生の縁」という考え方があると聞いたことがあります。
誰かから酷い仕打ちを受けるたび、自分は前世で余程ひどいことをしてしまったのだろうと考えることもあります。身に覚えがないことですが、過去世で傷つけてしまったなら反省し、心を入れ替えて良い人間になれるよう生きているつもりなんですが、酷い人がのうのうと生きているのを見ると何だか理不尽だな・・・というのが本音です。

自動的に心がかわるように仕向けるのは、ストレスや無理がかからなくていいですね。

呪文ありがとうございました。さっそく、メモをしていつでもどこでも唱えたいと思います。


Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 14:36   No:4382
    
Title: Re:人の不幸を願う    
花火さま

回答ありがとうございます。
私も憎しみをすてるためにたくさんの書物を読みあさりましたが、理想通りに生きたいと思っていても心がついていかないのですよね・・・

自然治癒力は心にもあるんですね。


Name: 一般人
Date: 2011/07/03(日) 15:15   No:4383
    
Title: Re:人の不幸を願う    
「一転語」といいまして、一言で心機を一転させる語が語れればよいのですが、そこまでの能力を持ち合わせておらず、駄文を繰り返すことお詫び致します。

仏教的に深いところを申し上げます。「自我」というものがありますね。「一切皆苦」「諸法無我」という言葉、見聞きしたことはありますか。


なぜ「理想どおり」にいかないのか。「一切皆苦」とは、自分の思いどおりになるものはない、ということです。

では、その「自分」とは何か。コップ一つ、自分でつくることはできません。身体だって生まれたときあったもの。鏡に映った姿、いま感じている感覚、そういったものをまとめて「自分」だと認識しているに過ぎません。

とは言え、「自分」の身体は勝手に歳老いていきますし、レジに割り込まれればイライラ、赤ちゃんが笑うと楽しい気持ちになるなど、環境の状態によっていくらでも「自分」はかわってしまいます。

従って、「自分」という、魂のように変わらない自分はない。諸々の因縁によって仮に成り立っているのが「自分」である、というのが「諸法無我」なのです。

だから、本当は「自分」の心は常に消滅生成されてますので、いま憎しみを手放せば、少なくとも次の瞬間、憎しみはないはずなのです。
それを「自分」を害した悪い人間だ!酷い奴だ!などと、ありもしない固定した「自分」や「相手」を想定し、念を抱きつづけることで恨みが膨れあがり、しいては事件などに発展するわけです。本能が命じるままに動いてしまっては動物と一緒ですね。

相手も自分も、ちょうど「そのとき」の状態があって「あの時」が成り立った。今はまた違う。こうみるのが諸法無我です。

そして縁起。因縁によって結果が現れます。よい因をつくれば、よい果が得られます。
もし私が僧侶ならば、美玲さんに対し、相手に慈悲を抱くことをオススメするでしょう。人に嫌われて幸せですか、寂しくはないですか、よかったらお茶でもどうぞと、逆に相手に「愛」を向けることをすすめます。相手を慈しむと同時に憎むことはできませんから、憎しみから解放されます。

難しい話になっていましたら申し訳ありません。仏教、私も好きです。心が安らぎますね。


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/04(月) 09:18   No:4384
    
Title: Re:人の不幸を願う    
ふとしたことで「人の不幸を願う」ことは一過性の気分です。それが執着である「その不幸を願い続ける」気分となるのはよろしくないのですが、本質的には別物と考えておいたほうが良いでしょう。

そもそも感情というものを否定することはできません。その感情をもった自分自身を肯定することから始め、次いでその感情そのものの善悪・良否・真偽を省察すれば善いのです。「人の不幸を願うこと」が悪いことと知っているなら「人の不幸を願う」自身の行為そのものへの反省が生まれるわけで、全体としての均衡はとれるのではありませんか?

私が宗とする天台は「性悪説」にたちます。たとえば、「六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)」は客観的に存在する場所であるよりも主観的に実在する心理的状態であるとします。そして、六道を超越した「仏」の内側にも「地獄」があって、そうであるからこそ仏は六道にある事/者を救済する方法を知ることができると考えます。
これと同様で、「人」は自分自身の中にある悪(修羅・畜生・餓鬼・地獄)を自覚することによって、自分自身を善(仏)に近づけるエネルギーやモチベーションを得ることができるのです。

私個人は「自分自身は善の側にある」と盲信するより「自分自身は悪の側にいるかもしれない」と悩むほうが安全であると考えます。


Name: 小市民
Date: 2011/07/05(火) 16:28   No:4386
    
Title: Re:人の不幸を願う    
横レス失礼します。

憎しみを抱く心に気づいて、その感情を認めることももちろん大切だと思います。
ただ、それ以前に、そのような感情を抱いてしまうことがいけないことだと知りながら、それをなんとかしたいと問題意識を持った時点で向上への一歩が出ていると思いました。
それがまさに気づきなのではないかと思いました。
何故なら、憎しみを抱けば、その憎しみが増長するようなご時世です。
だから、残忍な事件が後を絶ちません。
でも、美玲さんは、そうした感情に対して、それじゃいけないと自ら気づいてどうしたらいいかと考えだした。

その時点で素晴らしいことだと思いました。


Name: 小市民
Date: 2011/07/05(火) 16:35   No:4387
    
Title: Re:人の不幸を願う    
私は、仏門に身を置く者ではなく、その教えに精通しているわけでもないので、救いという点では何の力にもなれません。
ただ、経験則からみえてくるものがあります。

花火さんが、前レスで「憎しみきって飽きた時に忘れられる」と語られています。
たしかにその通りです。
恥をさらしますと、私の場合、自分自身の人生において、許し難い裏切りに二度あいました。
一度目の裏切りを過去のものにするのに五年、二度目は十年かかりました。
つまり、都合、忘れるのに十五年かかりました。
それだけ引きずったということです。
飽きるのに十五年もです。
今思えばつくづく馬鹿な自分だったと思います。

体に変調をきたすということも、その通りです。
その変調というのは、内臓疾患や精神疾患ということもさることながら、自分自身の性格というか、顔つきや、表情といったところにまででてきます。
私の場合は、相手への恨み辛みから、やがて自分までも責めるようになりました。
普段は普通に仕事をする顔をもちながら、仕事を離れたら、恨み辛みに縛られる。
そんなことで十五年です。
刺々しくなるし、粗暴な面が出て、それを抑える理性との葛藤で疲れてくる。
性格が捻くれるのも無理はありません。

時間が解決してくれるという見方もありますが、今、私が言えることは、相手を恨んだり、憎んだり、不幸を願ったりする時間は、後悔にしかならない。

つまり、そこで費やす時間が長ければ長いほど自分を苦しめるだけです。
あとから、あの時はなんて馬鹿な発想をして苦しんでいたんだと、なることが多いです。
でも時間は元には戻せません。

今ここで恨んだり、憎んだりしている時間には、自分自身を成長させる要素はないに等しい。
そういうことで心に波風たてて、どこでどう向上できますか?
そんな心では、何かを得て向上するのはニセモノの向上になります。
人間だから、そうした感情をもつのは自然です。
持つなとはいいません。
恨むような感情がでたら、一息ついて、そんな発想はダメ、相手を哀れと思い、一つ教えられたと思えばいい。
そういうご自身であると受け止められれば一番いいのでしょうが、なかなか簡単なことではありません。
要は、受け止め方を間違えずに、心の中での葛藤を極力小さくできれば、後悔と無駄な時間を費やすことなく、苦しまずに済むと思います。



Name: 美玲
Date: 2011/07/06(水) 05:29   No:4390
    
Title: Re:人の不幸を願う    
一般人さん 天台沙門さん 小市民さん

回答を頂きありがとうございます。

また改めて回答をさせて頂きます。




Name: JUN
Date: 2011/05/20(金) 14:40   No:4270
      
Title: 真言について    
はじめまして。
私の家の先祖の宗派は浄土真宗(西)でゆくゆくは自分が仏壇をまもっていくつもりです。
でも数年前から毘沙門天さまの仏像を購入し毎朝晩、真言を唱えて
祈願しています。自分のご先祖様ももちろん大切ですが、自分は密教に興味があり、空海に興味があります。
だからと言って宗派を真言宗に変える気にはなりませんが、このまま個人的に毘沙門天さまを信仰・祈願してもよいのでしょうか?
ある霊能者の方には、「毘沙門天を信仰してる人はめずらしいね」と言われましたが、問題ないですよとも言われたのですが・・・
ちなみにいつも唱えている真言は「ナウマク・サマンダ・ボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」です。
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」でもよいのですか?
こちらの真言の方が有名ですが・・・
自分の持ってい密教の本には「ナウマク〜」の方が書いてあったので。
長くなりましたが、ご助言よろしくお願いします。



Name: 僧侶K
Date: 2011/05/22(日) 00:38   No:4273
    
Title: Re:真言について    
真言宗B派の僧侶です。
私の実家は浄土真宗の檀家です。
ですが、私も同じようにお大師さまやお不動さんに魅かれ、密教を勉強して、当時サラリーマンをやってましたが、ついに、坊さんになっちゃいました。いまではお寺の住職です^^;
宗派を変える事は自由です。今の檀家制度というものは、江戸時代、「宗門改め」とい事があって、半強制的に近くの寺の檀家にさせられたのが始まりでと言われてます。簡単に言うと、キリシタン禁止政策の一つ。あと、今は政教分離ですが、現代のように役所が整備されてないため、当時は地域の寺が村人を管理(把握)していたとされています。また、戒名が今でいう住民台帳の役割をしていました。
自分の考えが一致する。または何か感じるものが有れば、考えてみてはいかがですか?私は西方浄土の阿弥陀信仰(来世利益)より現世利益の方が・・・ん〜ま〜何となく^^;

のうまくさまんだ〜〜〜〜はフルコースですね。あらゆる仏(天)に帰依します。という事です。オン〜はおなじ帰依するという意味ですが、略式です。毘沙門天さんだけならノウマクサマンダ〜〜で、いいと思います。
私どもは十二天のほか、色々読むので・・・・^^; 北方毘沙門天⇒オンベイシラマンダヤソワカ〜ですね。。

毘沙門天さんだけだと、ほかの諸天さんがやきもち焼きそうなので、私だったら、諸天惣呪⇒オンローキャローキャキャラヤソワカも唱えるかな???


Name: TAKESHI
Date: 2011/05/22(日) 02:31   No:4275
    
Title: Re:真言について    
もし私なら…家の宗派が真言宗であっても毘沙門天(天部)を、位牌の祀られている仏壇の中で一緒にはしません。お厨子に入れて仏壇の横(すこし高めに)とか、自分の部屋にお祀りします。

Name: 天台沙門
Date: 2011/05/22(日) 06:55   No:4276
    
Title: Re:真言について    
「このまま個人的に毘沙門天さまを信仰・祈願してもよいのでしょうか?」とのことですが、私は、なんの問題もない、と考えます。
その理由としては、阿弥陀如来は「死」という不可知の領域について「極楽浄土=理想世界への往生」という安心を与えてくださることを本願(存在意義)としている存在だからです。また、人が信仰するかどうかと関わりなく阿弥陀如来はその本願によって人を往生させてくれます。
つまり、阿弥陀如来以外の神仏を信じていても(阿弥陀如来の存在を知らないとしても)命の終わりに臨めば、阿弥陀如来が来迎して往生させてくれるので、毘沙門天を信仰しても往生は可能です。
もちろん、その延長として「死」に対する「生」の領域においては「死にまつわる不安から自由になれる」という現世利益をおもちになりますが、阿弥陀如来という仏格の本質はあくまでも不可知である来世に関わることです。
浄土信仰に代表される仏教の体系は「唯一神との契約」を必要とする信仰体系ではなく、多神教の系統に属しますから(特殊な例外はあるにせよ)本尊以外の神仏を信仰することが修行の妨げになるとは説きません。

生きている間は毘沙門天の加護を頼み、死後の往生は阿弥陀如来の本願を頼む。
そういうことです。


なお、真言の区別についてですが、真言とはサンスクリット語やパーリ語のフレーズを似た音をもった漢字で表記したものです。そのうえ漢字表記が日本語的に訛ったものですから、現実の発音にはブレが生じます。さらには慣習的に東密(ナウマク)と台密(ナマク)など宗旨ごとに互いに発音を変えているのが現実です。そもそも、真言の出典元の経典がいくつか存在すれば経典ごとに真言が異なっている可能性もあります。
厳密な意味でどの真言を使うべきか、とは密教の修行をするうえでの口伝の問題になりますから、逆にいえば日常勤行で使う真言は厳密性を重んじる必要もないとかんがえます。
ちなみに国書刊行会『ダラニ大辞典』より逐語訳を。
・ナマク(namah: 帰命)サマンダボダナン(samanta-buddhanam: 普遍諸仏)ベイシラバダヤ(Vaisravanaya: 毘沙門天)ソワカ(svaha: 成就)
・オン(om: 帰命)ダンダダラヤ(danda-dharaya: 執棒者)ソワカ(svaha: 成就):執棒者は毘沙門天の持物(宝棒)からくる別称


Name: JUN
Date: 2011/05/22(日) 15:37   No:4280
    
Title: Re:真言について    
僧侶K様、TAKESHI様、天台沙門様ありがとうございます。
先祖の仏壇はまだ親が健在なので実家(隣)にあります。
小さいときから先祖の命日などにはお坊さんが実家に来て、必ず家族でお参りしてました。先祖のためにもこのまま宗派は変える気はしませんが、自分の毘沙門天さまへの信仰、密教への興味は変える気もありませんが、みなさまの意見で気持ちが楽になりました。
あと、毘沙門天様は自宅の北側に寝室があるのでその北に置いて、
真言と般若心経を唱えています。
般若心経を唱えると心なしか気持ちが落ち着く気がするのです。
般若心経も唱えてもいいですか?


Name: TAKESHI
Date: 2011/05/23(月) 03:06   No:4283
    
Title: Re:真言について    
『毘沙門信仰の手引き』という、JUNさんのような毘沙門信仰を持つ人にぴったりだと思われる入門書がありますので、読んでみてください。JUNさんがお知りになりたいことはカバーされているんじゃないかと思います。そのほうが話しが早そうです多分(^^)。

Name: JUN
Date: 2011/05/27(金) 07:36   No:4293
    
Title: Re:真言について    
浄徳寺隆胤様のお寺では毘沙門天さまをお祀りなさってるようなので、できればよいアドバイス頂けませんか?
よろしくお願いします。


Name: jun
Date: 2011/06/23(木) 12:55   No:4353
    
Title: Re:同志発見♪    
田舎者さま、毘沙門天さまのご加護を頂けてお幸せですね。
私は目に見えてのご加護はありませんが、信じて信仰していきたいと思います。
奈良は遠くて行けませんが、信貴山は有名ですよね。
行ってみたいです。
般若心経は唱えると心が休まるので真言と一緒にこれからも毘沙門天さまに祈願して行きたいと思います。実家の浄土真宗もそのまま大切にしていきます。
ご意見ありがとうございました。


Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2011/06/29(水) 17:23   No:4364
    
Title: Re:真言について    
横からごめんくださいませ。
当方では、檀信徒の皆様には、『おんべいしらまんだやそわか』とおとなえするように指導致しております。
いろいろな御真言がございますが、僧分がとなえるものと、在家がとなえるものとでは、はっきりと区別いたしております。
印もございますが、在家の方は印をくんではなりません。それが心配でしたので、老婆心から一言申し添えました。御無礼はご容赦くださいませ。
合掌


Name: JUN
Date: 2011/07/02(土) 16:51   No:4368
解決     
Title: Re:真言について    
浄徳寺隆胤さま。ありがとうございます。
印はくんでません。
オンベイシラマンダヤソワカで私もお唱えさせていただきます。
ご指導感謝いたします。<(_ _)>




Name: 浄土真宗
Date: 2011/06/26(日) 17:27   No:4361
      
Title: お位牌について    
初めて相談させていただきます。

私の実家は母が老人施設に入所しており、父は15年前に他界しております。
実家のお仏壇には父方2、母方1のお位牌が計3あります。
それぞれご供養する本家はあります。
今後私の母が他界した場合、私の家にお仏壇とお位牌を持ってきてご供養する予定ですが、お位牌を最小限にするため返納したいのですが、どこのお寺さんにどのようにお願いすればよろしいでしょうか。
また、その場合の相場と言うものはおいくらぐらいでしょうか。
ご教示ください。



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/27(月) 10:40   No:4362
    
Title: Re:お位牌について    
将来的に、御母堂と御父君の位牌に併せ、ご実家の仏壇とお位牌3基を引き取るについて、とのご相談と理解します。


Q1.どこのお寺さんに?
A1.第一候補は御父君のご葬儀をしていただいたお寺です。第二候補は父方の菩提寺さんですが、こちらが御父君の葬儀をなさったならば最善の選択でしょう。第三候補は母方の菩提寺さんです。
御母堂が他界なされ葬儀をする段に、御父君(配偶者)の年回法要をご依頼なさっているお寺に葬儀を依頼なさることをお考えでしたら、そのお寺さんにご相談なさるのがよいでしょう。

Q2.どのように?
A2.率直に、位牌をまとめたいので新しい位牌の開眼(魂入れ)と古い位牌の撥遣(魂抜き)をお願いします、とお申し出なさればよろしいでしょう。その際、お寺さんから、古い位牌に記された方の扱いについてお話があると想像できます。

Q3.相場と言うもの
A3.申し訳ありませんが、「相場」には地域姓があるので具体的金額についてはお答えしかねます。ですが、年回法要と同額と考えてよいのではないでしょうか? 私が預かる寺の場合、故人の四十九日法要で位牌の開眼をしており、その際に古い位牌を新しい位牌にまとめるなどの作法もしております。

以上、ご参考までに。




Name: 朝日
Date: 2011/06/25(土) 21:36   No:4357
      
Title: 単立寺院について    
私がよく行くお寺は、○○宗の単立寺院です。この度、そのお寺にお墓を購入しようと思い立ち、具体的な資料を貰いました。読み進めていくうち、檀家寺ではないこと、従って墓の管理維持費も遺族は不要であること、寺院の運営は全て一般参拝者からの寄付により成り立っていることなど、いろいろなことを具体的に知ると同時に、いくつかの疑問点が湧いてきました。そもそも、単立寺院とは何かという疑問です。お寺のイメージというと、○○宗という大きな傘の中に本山から末寺に通じる縦の組織が構成されていると考えていたのですが、単立寺院となると○○宗に在りながらどういう性格を帯びているのでしょうか?また、単立寺院であるがゆえ、将来住職が絶えたり、または一般参拝者が激減して経済が困窮した場合、上級寺院からの住職の異動や様々な面の救済等は行われず廃寺となる危惧もあるのでしょうか?一般参拝者の身分で、お寺運営に言及する内容が含まれるため、直接は聞けず、ここで質問しました。お墓を購入する予定があるため、埋葬後のお寺の行方が気になります。宗により単立寺院の有り様も異なるでしょうが、一般的なお話が聞ければと思います。お願いします。


Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/06/25(土) 22:47   No:4358
    
Title: Re:単立寺院について    
単立にも色々あります。
たとえば秋篠寺や法然院などの有名寺院も単立ですし、須磨寺などもほとんど単立寺院といってもいいかと思います。他にも、ちゃんとした寺で単立寺院、というところもたくさんあります。
一方、霊感商法的なことをする寺院に単立が多いのも事実です(が、これは宗門寺院でもそういうところはあります)。

廃寺云々ですが、たとえば宗門寺院でも、実は寺院は個々に独立した宗教法人ですから、いわばフランチャイズ契約をしているコンビニのようなものです。ですから、「倒産」はあり得ますし、本山がそういう寺院を救済するかと言えば、ほとんどしないと思います(歴史のある大寺ならいざ知らず、普通の寺院に対しては…)。
もちろん傘下寺院ですから、本山から多少のアドバイスや便宜はあるかもしれませんが、一般的には、単立と事情はそう変わらないかと思います。

その上で…宗門寺院であることのメリットは、3つです。
ひとつは、「伝統宗派という看板」の信用。もうひとつは徒弟教育の便宜(道場に入るための資格等の問題)。あとは地域の結衆・組寺があれば、葬儀や行事の時に助法を仰げる事。要はこれだけと言ってもいいでしょう。
逆に言えば、ここさえクリアしていれば、単立でも問題ないわけです。

結局、具体的な運営や後継問題に関しては、宗門寺院か否かというよりも、個々の寺院の事情が大きく作用する部分だということです。


Name: 朝日
Date: 2011/06/26(日) 13:12   No:4360
解決     
Title: Re:単立寺院について    
水波房さま回答ありがとうございます。コンビニの喩えでよく理解できました。宗門に在っても単立であっても、お寺の維持管理というのは相当の努力が必要なのですね。お寺の伝統はもとより、いかに信者の方々を惹きつける魅力を付加するか、その必要性がよく理解できました。魅力という点では、私の通う単立寺院も人との交流を盛んにし、大勢の人に慕われているようです。お墓選びの参考にしたいと思います。



Name: hotoke
Date: 2011/06/24(金) 14:30   No:4356
      
Title: 仏像の取り扱いについて    
タイトルが変わりましたが、天台沙門様、仏壇の御魂抜き入れについてご丁寧なご回答ありがとうございました。
ぜひ、御魂抜き、開眼供養をさせていただきます。
さて「仏像の取り扱いについて」ですが、実家の仏壇の中にご本尊の阿弥陀様以外に主人のおばあちゃんが大事にしていたお地蔵様をお祀りしています。
故人が大切にしていたもの・・・ということで、仏壇の中に入れているようですが、本当はこのようなことをしてもよいのでしょうか?
よく仏壇の中にはご本尊様以外の仏像は入れてはいけないと聞きます。仏壇はご先祖様が住むところだから、他の仏像があると、ご先祖様が恐れおおくては入れないというのが理由だとか???
それを聞いて私自身は、自宅の寝室(将来、仏壇を置く予定になっている部屋)に置いてあった普賢菩薩と勢至菩薩の仏像を箱に収納してしまいました。
地蔵、普賢、勢至菩薩、どの仏像も御魂入れなど何もしていないお土産屋さんで買って来た飾り物です。
御魂入れなど何もしていない仏像でも、取り扱いに少し神経質になっています。
どなたかよいご教示をお願いします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/26(日) 10:00   No:4359
    
Title: Re:仏像の取り扱いについて    
仏壇の起源は天武天皇が「各家で仏像を祀って供養せよ」との詔を出したことにあるとされています。つまり、仏壇は仏像を安置する場であって、仏教が一般化するにつれて位牌(先祖霊の依代)を安置するところに変わっていたと想像できます。

大きな枠組として、仏壇および神棚(さらには床の間)というものは、家庭のなかでの神聖所だという点があります。ですから、神聖な所に置くべきものであれば置いてかまわないのです。例外は神棚には「死」に関わるものを置かないということくらいでしょうか。
神聖なものというのは、仏像・仏画・位牌・神像・祈祷札などですし、もちろんご自身が大切におもっている物(写真・遺品・記念品)も同様なので、「故人が大事にしていた」という理由から本尊の阿弥陀如来の脇に地蔵菩薩を安置することにも問題はありません。

さらにいえば、日本の伝統的な信仰形態は神仏習合ですから、カミをホトケとみなして祀ることもホトケをカミとみなして祀ることも自然なことです。この習合した形態が胡散臭く悪いことのようにとらえられるようになったのは、明治維新期の神仏分離令(廃仏毀釈)やら近代的宗教学の影響で、(一神教的な)純粋な形式をもつ宗教ほど優れているという一種の誤解が常識となったためです。


さて。開眼をしていない仏像の件です。
私は、儀礼の効果を認めたうえで、撥遣と開眼をお勧めしました。これと矛盾するようですが、「開眼をしていない飾り物」であったとしても、それに対してなにごとかを感じていらっしゃるのであればれっきとした「仏さま」であるとも考えます。私の「日本人は文化的に位牌を死者の象徴と知っている」との発言と同様です。
神社のご神木や、自然崇拝の対象となっている巨石などは、仏教的な開眼供養だったり神道的な勧請祭祀を行わなくても、カミが依ってくださる存在です。儀式があって神聖なモノになるのではなく、それを神聖な物と感じる人の気分が先にあるのです。

私は、いろいろな仏像も一緒にご安置なさって、日常生活の中のそれぞれの場面においてそれぞれの加護を祈られれば善いと考えます。




Name: hotoke
Date: 2011/06/24(金) 08:12   No:4354
      
Title: 仏壇のお引越し    
現在、大阪の実家に仏壇があり、義父の死後は京都の我が家に仏壇を引越しさせるつもりでいます。
仏壇の引越し(移動)に関して、義父やお仏壇屋さんなどは御魂抜き、御魂入れをするように勧めていますが、みなさんは本当にそうしてらっしゃるのでしょうか?
引越しによる御魂抜き、御魂入れにはどのような意味があるのでしょうか?
御魂抜きをしないとずっと御魂はその家に宿ったままなのでしょうか?
しかし抜き入れなどは本当に霊などを扱えるお坊さんでないとできないような気がするのですが・・・?



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/24(金) 13:30   No:4355
    
Title: Re:仏壇のお引越し    
「御魂抜き=撥遣供養」と「御魂入れ=開眼供養」は、なさることをお勧めします。


例えば、社寺が所蔵している国宝・重文級の仏像・仏画を展覧会(修復や調査)のために移動させるときには撥遣の作法をします。年末の煤払いのときも同様です。
なぜかというと、これをしないと畏れおおくて「物」として扱えないのです。
この「物として扱えない」感覚は、僧侶や神職に限らず輸送に携わる人ももつようです。その理由を俗っぽくいえば、仏壇や仏像・位牌に「魂が入ったまま」で取り扱ったとき、万が一、破損させてしまったときに精神的なショックが過重なものとなることが想像できるからです。
いうまでもなく、魂が入っていようがなかろうが、大切な物を大事に扱うことは当然なのですが、ご自身で何かをするとして、もし破損させてしまったときに「これは物にすぎないから、祟りやお叱りがあるわけはない」とか「悪いことが続くが、あのときに傷をつけたこととはまったく関係ない」と将来にわたって確信を持ち続けることが可能でしょうか? (註:ここでの私の言説は、撥遣をせず破損させると祟りがある、という主張ではないので念のため。)
「御霊抜き」をする理由はそういうことです。


ひるがえって「御霊入れ」をする理由は、それが「単なる物」が「神聖なる象徴」に変容する儀式だからです。
はっきり申し上げて、日本の文化の中で育ってきた者にとって「位牌」が「死者の象徴」であり「仏壇」が「祖霊のいる場所」であることは説明の必要がありません。ですから、わざわざ儀式をせずともかまいません。しかし、あらためて儀式をすることで、儀式に参加した全員が神聖なる物であるという共通認識が得られるという長所に着目すべきと考えます。



なお、仏壇そのものに御霊が宿るかどうか、宿るとしてどういった御霊なのかということを考えることは一興とおもいます。

私自身についていえば、「霊」というものが実在していればおもしろいとおもいますが、それが実在するとしても存在を認知する能力をもちあわせません。よって、私は霊を扱えない僧侶ですが、上記の理由から「霊」の実在を前提とせずとも撥遣と開眼を行うことにためらいをもちません。




Name: たけやん
Date: 2011/06/21(火) 12:28   No:4351
      
Title: 葬儀をお寺さんのみで行えるのでしょうか。    
この震災で義父一人が死亡で荼毘にされています。
他に義母と義祖母と息子の三人が行方不明です。
来月に葬儀とお別れ会を一緒にしようと思っています。

来週に喪主になる義弟が寺に相談に行きます。
寺は全壊で住職も亡くなられましたが、息子が研修旅行?で
難を逃れて、斎場近くに仮寺を置いたとのことでした。
詳しくは聞いてないのですが、そこで皆一緒にできるようなことを
言ってたそうで、会食も知り合いの仕出し屋さんで3,000円で
用意してくれるらしいです。
マイクロバスもあり、30名までなら送迎もするとのことです。
この提案ってのは、葬儀屋さんを使わなくて葬儀を行えるという
ことでしょうか?
普通は来ていただいたかたに、お塩や手ぬぐいかお茶を渡したり
していますが、お寺さんで準備してくれるのでしょうか?
後、祭壇や花の準備もです。
今回は、遺体搬送や荼毘などはありませんので、お寺さんだけで
できるなら、金銭面でずいぶん助かります。
できるなら、お布施と葬儀費用でいくらぐらいかかるでしょうか。
あんまりない事例なので、お知恵をお貸しくださいませ。



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/23(木) 11:10   No:4352
    
Title: Re:葬儀をお寺さんのみで行えるのでしょうか。    
寺を預かる者として申し上げれば、僧侶だけで葬儀全般を行うことは不可能ですが、ご質問の文章を読む限りにおいて私ならこうするなという想像は以下のようになります。

1・お茶を入れたりなど、会葬者がご自身でできることはしていただく。
2・式場には位牌を安置するだけで祭壇などをとりたてて設けることはせず、本尊さんをはじめとしたあるだけの仏具で行う。
3・御供物や花は施主さんに支度していただく。
4・会食は仕出屋の店舗にマイクロバスで移るので、会食時のご接待は店員さんの担当になる。

このような形式で行えば、お寺さんに支払う費用は布施料と卒塔婆建立費だけで済みます。もちろん、供物や花や食費などの実費はご自身で支払うことになります。なお「斎場近くに仮寺を」とのことですから、その斎場を所有している葬儀社が法務以外の実務を代行するのかもしれません。



正直なところを申し上げれば、「詳しくは聞いてない」件については住職さんに詳しくお訊ねいただくのが最善です。
例えば「3,000で用意」にしても、御膳一人前が3,000円というだけで飲み物は別勘定のはずです。その他、マイクロバスの手配料は別かもしれません。それに布施料などは地域の相場が異なりますから金額は具体的に訊ねられたほうが誤解が生じません。
以上、ご参考までに。




Name: たけやん
Date: 2011/06/01(水) 09:59   No:4302
      
Title: 「行方不明と死亡」4人の葬儀などの相談    
この震災での葬儀などについてお知恵を貸してください。
行方不明が3名、死亡が1名です。

震災で家族四人が犠牲。義父、義母、義祖母と私の8か月の息子です。

義父だけ1週間後に発見。
火葬場が混み混みだったので、荼毘にできたのは3週間以上後になりました。
葬儀も出来ない状況だったので、火葬前にお別れ会をしただけです。
なので位牌も無しです。

住職は津波に巻き込まれて亡くなってしまいました。
墓も倒れて寺が全壊です。
住職の息子は家業を継ぐための研修旅行に出かけていて無事でした。
仙台市内の別の寺院に避難しているそうです。

最初は皆発見されてから一緒に葬儀をするつもりでしたが、いまだに見つかっていないのです。
このままなら三ヶ月後に死亡認定になると思います。
葬儀は合同慰霊祭などと合わせてみたらどうかと思いましたが、
それでもどのようにすればいいかわかりません。

お金はあんまりないです。ですが親族は田舎住まいなんできちんとしたことをしてほしい、見舞金を頂いた人にはお礼の手紙を送れとも言われています。
僕は義父母の家系ではないので、義弟である長男が取り仕切って長女である妻がサポートすればいいですが、
うちの息子は私の家系なので、宗派も違い、親族も墓も離れた大阪です。
ちなみに本家になるのですが、墓と先祖を受け継ぐだけでお金はない跡取りになります。
その墓には先に私の母が入ってます。


義父の葬儀と義母と義祖母のお別れ会と僕の息子別々に考えるのが一つの方法だと思いますが、どうなんでしょうか。
遺体なき葬儀。。。
自身の墓は先に書きましたが、大阪にあり、お寺も大阪の浄土真宗(本願寺派)です。
こちらの同宗派にお願いするのがいいのか、大阪に帰ってやるのがいいのか。
義父母は曹洞宗なんです。

ほんとわかりません。

ヒントやちょっとの知恵、アイデアでもいいので教えてください。



Name: 勝運寺山主
Date: 2011/06/03(金) 07:19   No:4306
    
Title: Re:「行方不明と死亡」4人の葬儀などの相談    
たけやん様
心中お察しもうしあげます。また震災にてなくなられましたご家族のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
宗旨宗派にこだわる必要はございません。
遺体無き場合は被災地の土を御棺の中に少量入れ荼毘にするということをお勧めします。
また、個別に葬儀を出すと金銭的にも負担が多いかと思いますので市町村が行なう合同慰霊祭で十分かと思います。
今は生き残った人間の生活を優先してください。
葬儀を行なうのも震災復興後ゆとりが出来てからで十分です。
見舞金をお送りいただいた方には礼状だけで十分です。
余り無理をなさらないでください。
出来る範囲で十分です。


Name: 天台沙門
Date: 2011/06/03(金) 10:59   No:4307
    
Title: Re:「行方不明と死亡」4人の葬儀などの相談    
まずは、お悔やみを申し上げます。



ご質問の内容のうち、「葬られる人と喪主との関係がどうあるべきか?」という点にご回答いたします。

一般論として、葬儀の喪主は「死者に最も近い血縁者」が行うべきとされています。
かつては「ご本家」が行っていた場合もありますが、現在では配偶者もしくは男性の長子が行うことが一般化しているといってよいでしょう。ですから、義祖母様と義父母様の喪主は義弟様が務められることがふさわしく、お子さまの喪主は父親である貴殿が務められることがふさわしいでしょう。


次に「葬儀と寺との関係」についてご回答いたします。

さて、義祖母様・義父母様については、曹洞宗の法儀に則り地元の菩提寺に葬儀をお委せすることが自然でしょう。ですから問題となるお子様の葬儀についてです。これは貴殿の生活基盤が東北地方にあるのか大阪にあるのか、によって異なります。
現在および将来の生活基盤が東北地方にあるならば、将来的には大阪から墓所を東北に移転させることを前提として、本願寺派の法儀による葬儀をなさることができます。
生活の基盤が大阪にあったり、将来的に大阪に基盤を移されるのであっても、ご遺体がないという特殊な事情から納骨法要の要不要という問題がありますから、同じく東北地方において本願寺派の葬儀をなさるべきでしょう。



葬儀の目的は、遺された者が「悲しい寂しい辛い」という感情を受け容れ乗り超えるということです。葬祭儀礼に参加することは、同様の感情をもっている人が自分だけではないという事実の確認作業であり、その際に宗教的儀礼が効果的なのです。
どうしても、最低限の時間と同じ感情をもつ人々の支え合いが必要です。その「時間」の単位として、初七日・四十九日・一周忌・三回忌などが経験的に求められてきたとお考えください。


Name: たけやん
Date: 2011/06/21(火) 12:10   No:4350
解決     
Title: Re:「行方不明と死亡」4人の葬儀などの相談    
ありがとうございました。



Name:
Date: 2011/06/17(金) 22:41   No:4338
      
Title: 般若心経    
このお経に、十年来強迫神経症を患い、自殺サイトの常連だった私は救われました。私は自分が、いつか悪い奴に襲われるのではないかという強迫観念から、血の恐怖と苦しみを味わいました。しかし「私」も「悪い奴」も突き詰めれば空である、そして私の中で起こっている対立する上記の二者は、実は総体の一の空であり、その総体の空こそが真の『私』であることに気づかされました。『私』に立ち戻るとき、『私』の中に「私」も「悪い奴」の区別もなくなり、悪い奴に襲われるのではないかという強迫観念=葛藤が消えました。般若心経の解釈において、私が合点したような解釈は正しいのでしょうか?


Name: 一九
Date: 2011/06/18(土) 06:30   No:4340
    
Title: Re:般若心経    
言葉がまとまり過ぎているのが気になりますが、もし般若心経の解釈に先入観がなければ、それは真理の啓示だと思います。
おそらく救いの力(神仏)が降りているんでしょうね。
正しいかどうかは悪い奴と同じ理由で、正しいとは言いませんが。^^

自殺サイトでどのような経緯でそこへ導かれたのですか?
普通は逆効果になるような気がしますが。
般若心経や仏教に興味を持った経緯も教えていただけると手がかりになります。


Name:
Date: 2011/06/18(土) 10:19   No:4342
    
Title: Re:般若心経    
一九さんありがとうございます。般若心経との出会いは、たまたま救いを求めたお寺が縁でした。写経に興味がわき、意味よりも写経をすることで快癒の利益を得られるのではないかと考えたのです。来る日も来る日も、般若心経の意味や読み方など解さないまま写経をつづけたのですが、次第に、言葉が頭の中に入ってきました。そして、スレの気づきは、その繰り返しの中で得ました。目も耳も鼻も意識も、あらゆるものが空である、というわけです。初めは意味が不明で、般若心経に対して疑問さえ湧いたのですが、写経をつづけるうち、言わんとしていることが入ってくるようになりました。。日常に生きている私は、それまで、目・耳・鼻・意識と、あらゆるものが別個だと思い込んでいました。しかし、般若心経の言う空とは、物の下地という意味だと感じたのです。下地の存在に気づかされたことで、色々なものが合点がいくようになりました。私が目で見、耳で聞き、意識で意識を同時にできるのは、個別だと思い込んでいたものが個別でないからである、下地があり、連鎖性があるからである、そして、空という下地の総体こそが『私』ではないか、だからこそ『私』は目で見、耳で聞き、意識で意識を同時に可能なのだと気づかされたのです。「私」が「悪い奴」に襲われるという意識も、私の中に起こる以上は、実は総体の空である真の『私』の一部であり、両者は、『私』の構成体=下地だったのだと気づかされたのです。「私」の外側に「悪い奴」がいるのではなく、両者が包摂したところの総体が『私』なのだと気づいたことで、「悪い奴」は消えました。

Name: 天台沙門
Date: 2011/06/18(土) 14:59   No:4343
    
Title: Re:般若心経    
帰納的に(つまり結果から)考えれば、強迫観念=葛藤すなわち「苦」からの解放に際し、『般若心経』に対する関心と理解が役に立ったというのですから、その関心と理解は「正しい」ものであったと結論できます。



>「私」も「悪い奴」も突き詰めれば空である、そして私の中で起こっている対立する上記の二者は、実は総体の一の空であり、その総体の空こそが真の『私』であること

この認識は、仏教の基本教理である「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」の「諸法無我」を具体的な形式で理解した一例といってよいでしょう。

「無我」ということを個別具体的な人格に即していえば、「われ」すなわち自分自身の自我は独立して存在しているわけではない、という主張です。いま現在の人間関係やら自分自身の成育歴やら生まれ育った時代や社会やら、そういった因縁によってのみ「われ」は存在しています。もしかしたら、「悪い奴」の存在を前提として「私」が存在するのかもしれないわけですし。
『般若心経』においては、「照見五薀皆空」から導かれる「是諸法空相」との認識のうち、「諸法=もろもろのありかた」を「自分自身の人格」にあてはめれば「自分自身の人格は固定した実体をもたない」となるというわけです。
つまり演繹的に(今度は理論先行的に)考えても貴殿の解釈は正しいものと理解できます。

ただし、厳密にいえば「空」という言葉は「固定した実体をもたない」という事物のありかたを示す認識論的言葉であって、一切の諸物を包括する超越的な存在に対して用いる存在論的呼称ではありませんので、「貴方の解釈は違う」と主張する人もいるはずです。しかし、空観という修行法に則ってのものと考えれば多少の違いは問題になりません。
大切なことは、そう理解したことによって貴方が苦から解放されたという事実です。



ユング心理学では、誰の人格においても「影」という「悪い奴」が不離の存在であることを認め、「影」を人格全体(セルフ)の一部として統合することを「自己実現」と称しています。ご関心をもたれたなら、河合隼雄『明恵・夢を生きる』ですとか、アーシュラ=ル=グゥイン『影との闘い〜ゲド戦記⑴』のご一読をお勧めします。


Name: 一九
Date: 2011/06/18(土) 20:59   No:4344
    
Title: Re:般若心経    
素晴らしいですね。
般若心経が言わんとしていることは、その表現で合っていると思います。
やはり神仏の救いが降りていると思いますよ。
透知能力(直感)は誰でも持っていて、それを通して神仏が働きます。

おそらく自分ではお手上げになって、般若心経(写経)や神仏に救いをゆだねた(任せた)のではないかと思います。
神仏は全面的にゆだねられたとき初めて助けてくれます。
自分でもがいている間、神仏は手出ししないんですよ。

善悪は相対的なもので、それは私たちのエゴが作っています。
強迫観念の恐怖(不安)もエゴの作用です。
私たちの本質(下地^^)は1つのもの(絶対性)で、エゴが自分なのではないことに気づけば善悪も恐怖もなくなります。
それを理解するのではなく体験するのですから、いっぺんに治るのでしょうね。

般若心経の解釈は、これがぴったりとしませんか?
http://www.pure.cc/~zero/hannya.htm
この方は「宇宙根源の魂」という言葉を使っていますが、自分なりの言葉に置き換えればよいと思います。


Name: 一九
Date: 2011/06/20(月) 05:26   No:4346
    
Title: Re:般若心経    
一時的ですがそれはさとりの体験だと思いますので、感謝して体験をよく覚えておかれたらよいと思います。


Name:
Date: 2011/06/21(火) 12:10   No:4349
解決     
Title: Re:般若心経    
天台沙門さん、一九さん回答ありがとうございます。コメント、大変参考になりました。今にして思えば、般若心経は心をほぐすヒントを与えてくれたように思います。自我(執着)を捨てる、という発想を得られたことが大きかったです。写経と同時に、お寺の内観堂に通ったのも良かったのかもしれません。



Name: いろは
Date: 2011/06/19(日) 11:24   No:4345
      
Title: 先祖供養と陰膳    
はじめまして。
家族関係で、悩みがあり、主人の同僚の知り合いの霊能者のような方に見ていただきましたら、主人の先祖供養が、出来ていないからだと言われました。
義父は他界しており、次男なので、先祖代々のお墓とは別にお墓を建てました。(同じ霊園内)
主人の妹さんが幼い頃に亡くなっていますので、お地蔵様もあります。
義父の親戚、縁者とはあまり交流はないので、五代前ぐらいまでのご先祖様しかわかりません。

我が家には仏壇はありません。
主人の実家にはあります。

それから、水子供養も出来ていないから。とも言われました。
私は、二回、流産を経験しています。
死産、堕胎ではありません。
けい流流産。妊娠初期の初期。の流産です。

水子とは…どの段階でそうなのか、いろんな説がありますが。
正式な水子供養はしていません。

先祖供養、水子供養をするのに 陰膳をしなさい。
と言われましたが、どのようにすればよいのか、わかりません。

今は、二階の床の間の一画に、水とお塩を置いていますが、
主人は足が少し不自由なので、
一階の食卓の電話台に毎食の食事をお供えしています。

陰膳の仕方。何をお供えすればよいのか、
お経を唱えるのか、など、
教えていただけませんか。






Name: 天台沙門
Date: 2011/06/21(火) 10:32   No:4348
    
Title: Re:先祖供養と陰膳    
第一義的には、陰膳を供えるよう勧められた方に尋ねられるのが最善です。



民間習俗としての「陰膳」は、家にいない人の無事を願い、あたかもその人が食卓にいるように食事を供えることが元々です。また、神と人が同じ物を食するということが人類普遍の祭儀の基本ですから、故人に対する「陰膳」もご家人が召し上がられる物と同じお食事をお供えになればよいと考えます。ですから、ご質問の文章中の「電話台」という言葉が「電話台を神棚や仏壇のような場所に見立てて」という意味でしたら、その方法で大丈夫です。
ついでながら、位牌をお持ちでないとのことですから、その代わりに、ご先祖や水子さんという祀られる存在の象徴物として一輪挿しの花を一緒に供えることをお勧めします。

経文を唱えるかどうかについては、まずは、そこにどなたかがいらっしゃると想像して「めしあがれ」・「おそまつさま」というお気持ちをもたれることが大切です。そのうえで、ご自身が必要と信じられるならば唱えたほうがよい(『般若心経』が無難)ですし、単に形式として唱えたいというのならば無理に唱えることはお勧めしません。



蛇足ですが、私自身は「先祖供養や水子供養をしなかった」という原因によって結果としての「家族関係に悩み」が生じるのではなく、「家族関係に悩みが生じた」という原因によって「先祖供養や水子供養をしなかったことが悪かったに違いない」という結果が生じるというべき、という立場をとります。
また、自分自身と縁のある人のうち、先に亡くなった方々に対し「先祖」や「水子」という区別をする必要もありません。大事なことは、生死や縁の濃淡を問わず人々の間で生きていることを自覚することでしょう。




Name: sizuk
Date: 2011/06/16(木) 19:19   No:4335
      
Title: 教えてください    
6月21日に母の一周忌の法要を自宅にて行います
その時一緒に父の三十三年周忌も行います
教えて頂きたいのは、その際に包む御布施です


御布施  30,000円
御膳料   5,000円
御車代   5,000円


御布施  30,000円
のように 別々にお包みすればよいのでしょうか
それとも一緒にお包みして
御布施   60,000円
もしくは、50,000円でもよろしいのでしょうか

姉と私の二人きりの姉妹のため、なるべく慎ましくやりたいと思っております。よろしくお願い致します



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/17(金) 06:04   No:4336
    
Title: Re:教えてください    
複数の方の法要を同時に行った場合の布施料については、「法要一回につき」という考え方なのか、「それぞれの仏さまに対して」という考え方なのか、僧侶の考え方が分かれるとおもわれます。
私は「法要一回につき」の立場ですが、お呼びする僧侶の方に、まとめてよいのか別々にすべきかを、率直にお訊ねいただくべきと考えます。

ただし、一緒にお包みするときは6(偶数)ではなく5(奇数)にすべきでしょう。
その理由は仏教というより陰陽説(陰陽五行説)によるのですが、奇数は「陽」を表し偶数は「陰」を表すので、死者に関わる「陰」の事柄には「陽」である偶数を用いて全体として陰陽のバランスをとることになっているからです。年回も奇数(1・3・7・13・……。例外は百カ日)なのはそういう理由です。


Name: sizuk
Date: 2011/06/17(金) 07:57   No:4337
    
Title: ありがとうございます    
天台沙門さま、ご回答ありがとうございます
いろいろ迷うよりお寺へ連絡を入れるときに伺ってみたいと思います。
お包みの際の水引の色は黒・白と考えておりますが、
黄・白もあるのですね?教えていただければ、幸いです。


Name: 天台沙門
Date: 2011/06/18(土) 04:56   No:4339
    
Title: Re:ありがとうございます    
おおざっぱには、黄色と白の水引は主に関西文化圏で使われ、それ以外の地域では黒と白(緑と白)が使われます。習慣の地域性を表したもので、用途の違いを表すものではありません。

Name: sizuk
Date: 2011/06/18(土) 09:41   No:4341
解決     
Title: 納得しました!    
天台沙門さま、度々ご回答を頂いて感謝しております。
いつも亡き母が法事のお世話をしておりましたので
恥ずかしい限りです。本当にありがとうございました。合掌




Name: 龍男
Date: 2011/06/07(火) 06:02   No:4309
      
Title: お寺の人生相談の料金について    
ある掲示板でこんな書き込みを見ました。

「お寺というのは、心の道場みたいな所で清らかな所でなくてはなりません。
人生に行き詰まったり、悩み事をキチンと聞いて、仏教という教えに基づいて、相談者に接しなくてはなりません。
その際に、商売人の様な振る舞いをすることは、決してあってはなりません。
相談者が、お寺に相談することで救われ、有り難く思い、お布施を差し上げる気持ちになって、初めて生きたお布施となるのです。
また、お布施というのは、高いとか安いという基準がありません。多く払えば偉いとか、ご利益があるという事ではなく、その各人にとって、相談にのってもらって救われたのならそれに対するお礼として、自分の財産や金銭感覚の中で金額を決めて良いのです。」

自分も同感です。自発的にお布施や相談料金を差し上げるのはいいと思いますがお寺側から料金を提示されるのは何だかちょっと違うような気がするんですが…どうでしょうか?

金銭的に困窮していた頃に五千円で人生相談してもらえるお寺に相談にのってもらおうと思ったことがあります。
そのお寺はお金のない人からお金を取らないとホームページに書いてあったので正直にお金がないと申し出ましたが、門前払いだった経験があります。
経済的弱者やホームレスの人生相談を受けるお寺はないのか?と疑問に思いました。




Name: hotoke
Date: 2011/06/07(火) 07:25   No:4310
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
ここのネットはお金のない人でも相談にのってもらえる人生相談の場ではないでしょうか?
今まではお寺さんに相談に行くと、やはり五千円とか一万円のお布施を取られていましたから、ここは本当に助かりますよ。

しかしネット自体もお金がなければ出来ませんから、本当に困窮している人になると、やはり困りますね。
でもお寺さんもお金がなければ生活できませんし、相談にものれません。

人生相談といえばお寺以外にもいろんなところでやっていると思います。
NPO法人とかね。

仏事に関する無料相談所のようなところもあればよいですね。


Name: 理想と現実
Date: 2011/06/07(火) 07:31   No:4311
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
きれいごとです。
金銭を得る為の仕事としてお寺という職を選んでいるだけです。良し悪しはともかく生活するのにお金は必要ですから。
きれいごとに惑わされない事です。世の中、私利私欲の本音を隠して建前のみを全面に出してる企業政治家等あふれています。寺もそうなだけです。


Name: 天台沙門
Date: 2011/06/07(火) 14:31   No:4314
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
例えば。
量販家電店で、ある家電製品の性能・機能や競合他社の製品との比較について訊ねることは「無料相談」です。しかし、きちんと考えてみますと、店員にとっては接客という営業業務ですから会社全体の売り上げから店員の給与として相談料の一部が支払われているのですね。

医師・弁護士をはじめとする「プロフェッショナル」は、依頼者にとって解決の必要性が高く具体的な相談事ほど無料では受けません。そこに責任が生じるからです。無料相談の範疇は、クライアントに「問題の本質はどこにあり、どうすれば解決できるか」を知ってもらうことであり、プロフェッショナルが「自分の仕事にした場合」という判断をするためです。実際の解決は、そこから先の問題です。



以上は一般論として、以下では「僧侶による人生相談について」を考えましょう。



多くの寺では、壇家さんや信者さんに対しての「無料相談」を普通に受け付けています。その理由は先の家電量販店の店員と同様で、その場では無料であっても定期的になんらかのかたちで布施料をいただいていますから、事実上は有料相談だからです。また、菩提寺の住職というプロフェッショナルの宗教者の立場にある以上は檀信徒に安心をあたえる責任があると意識的にか無意識的にか知っているからです。

というわけで、逆説的ながら「檀信徒でない方の相談事については、1件1時間以内ただし5000円にて承ります」などという寺社仏閣のほうが、具体的な相談事をする際には職業倫理という観点から信頼がおけると考えられます。もちろん「事情によっては無料」という「正札」を掲げておきながら門前払いというのは職業倫理にもとる行為ですね。



そこで「経済的弱者やホームレスの人生相談を受けるお寺はないのか?」という件ですが、有無という二者択一でいえば存在します。ただし相談事一般にいえることですが、必ずしも求めていた回答が返ってくるとは限りません。

玄関の呼び鈴に出てみると見知らぬ人がいました。
「ちょっと話を聞いていただけますか?」
「どうぞ」
「自分は実家を出て、友達の家を泊まり歩いて仕事を探していましたが、泊めてくれていた友達から出て行ってくれと言われました」
「それで、どうなさいますか?」
「仕方ないので、実家に帰ろうとおもうのですが、お金がないのです」
「ご実家までの交通費が必要ということですね?」
「そうです」
「どちらまでですか?」
(ここで隣県の都市名を言い交通費3000円との発言)
「ご用立ていたしますし、ご返済も求めません。1時間ほど境内の掃除をしてください」
「……実は空腹でして」
「では、ご飯とお味噌汁を差し上げますので、もう少し長めにお手伝いいただけますか?」
「……失礼します」
私にはこのような体験があります。


Name: 横から失礼
Date: 2011/06/09(木) 19:12   No:4320
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
ビジネスでの相談の場合は見返りを要求するとして、友達からの相談にお金といった見返りを要求するか?を考えると早いように思います。

仏教では「慈悲」を説きます。「慈しみ」は、親しい気心の知れた友に対する気持ちです。
仏教実践にあたる人間の基本となる「慈悲」を実践したならば、友である相談者にお金を要求するというのは考えにくいのではないかと。

また、相手の苦しみを抜く行為は他でもない、相談された人間が徳を積める行為です。「ありがとう」と言う方の立場に当たります。
したがって、善行為をさせていただき金も要求したら二重取りになるのではないかと。

また、そもそも「布施」は布施する人が徳を積む行為です。布施する人自身が徳を積んでいるわけで、受け取るほうは「ああ、そうですか」と淡々と受け取るだけです。僧は物乞いじゃありませんので「くれヨ!」とはなりません。
ちょっとオーバーですが、布施する側は「金をやったんだ、感謝しろ」ではなく、「徳を積めた、よかった」という感じになりますね。


無料でやってる寺院の有無については、あるかどうかは分からないですね。全ての寺院を確認してませんし、探したことがないので。。すみません。

まあ、日本仏教は在家仏教といわれるくらいですから、ビジネスで仏教をやっている側面が強いと思っておいたほうがいいと思いますね。つまり「飯の種」です。

一般の人間に「徳を積む」という考えがほとんど見られず、貨幣・経済論理でモノを考える昨今、仏教の実践者(一応、日本の寺院の僧侶の方々とします)が「徳」という視点ではなく貨幣・経済論理で動いているとしても、どっちもどっちで、一方を否定するのは難しいのかなぁと思えますね。「仏教」の本来の姿とは違うと思いますが。


Name: TAKESHI
Date: 2011/06/10(金) 20:11   No:4321
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    

> 経済的弱者やホームレスの人生相談を受けるお寺はないのか?

素直にシンプルに、行政やNPO法人の各窓口からあたってみたほうが懸命な気がします。
おそらく同じようなケースに数多く対応しているでしょうから。


Name: あやか
Date: 2011/06/11(土) 19:13   No:4326
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
私の経験を話させてください。

寺の人も人間なので寺によると正直思います。

悩んで相談に行って、あっさり嫌み言われて帰されたり

弱みにつけこんで寺に通うよう、私の言う事は仏様の言う事よ!と言う尼僧さんが居たり。

タケシさんと同じ考えです。


Name: 若輩者
Date: 2011/06/12(日) 23:40   No:4333
    
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
実際、本当に生きた仏様のような住職、スタッフの方々がいらっしゃるお寺は存在します。たまに通う東北のお寺のことですが、そこは人生相談は無料、コーヒー等のおもてなしが付き、対面に限らず、電話相談も二十四時間無料で受け付けています。仏様の教えを基に「生きることはなんぞや」を丁寧に教えて下さり、寄付の要請もなければ、お寺との関わりを強要することもありません。生きる場を失った方へは、場合によってはお寺の仕事を手伝う代わりに、無償で一定期間の滞在を許可したりもされてます。また、本業の方でも、亡くなった後にまで階級が付かないように、遺族に負担がかからないようにと、戒名も付けない、読経も格安、お墓の管理費維持費も頂かないなど、ひたすら人を思い、金銭とは無縁のお寺です。全国にそのお寺のファンがいるそうです。私は檀家ではありませんが、いつかそのお寺の役に立つことをしたいと思っています。

Name: 龍男
Date: 2011/06/14(火) 18:30   No:4334
解決     
Title: Re:お寺の人生相談の料金について    
皆さん、色々なご意見を有り難うございます。
これからじっくり読ませて頂きます。





Name: 若輩者
Date: 2011/06/11(土) 05:58   No:4322
      
Title: お寺参り    
ある事柄を自ら祈願するとき、直接お寺に行って仏像に面と向かって祈願するのと、自宅の仏壇で祈願するのとでは、何が違うのでしょうか?


Name: hotoke
Date: 2011/06/11(土) 13:42   No:4323
    
Title: Re:お寺参り    
私はお寺さんではありませんが明らかに何かが違うと思います。
よくお願い事はお寺の仏さんにして、お仏壇やお墓のご先祖さんには「安らかに成仏しますように」と成仏を願うことが第一だと聞いております。
自宅の仏壇はお願いごとではなく、故人やご先祖様を供養する場ではないでしょうか?
お願いごとはお寺や神社の仏さん、神様にするものではないでしょうか?


Name: 若輩者
Date: 2011/06/11(土) 18:21   No:4324
    
Title: Re:お寺参り    
HOTOKEさん回答ありがとうございます。私の説明不足ですが、仏壇というのは、仏壇の御本尊(仏像)という意味です。同じ仏様に対してお願いするのであれば、お寺でも自宅でも同じではないかと思ったのです。

Name:
Date: 2011/06/11(土) 19:09   No:4325
    
Title: Re:お寺参り    
家の仏壇にお参りするのも大きな寺に行ってお参りするのも一緒です!
同じ仏を拝みます。

例えば本尊が阿弥陀様なら阿弥陀様なのです、同じ。

真言さんとかなら大日如来を祀るので、
今日は縁結びを愛染さんに、身体健全を不動さんにと仏壇の前で真言を唱えればイイのではないでしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/06/12(日) 10:52   No:4331
    
Title: Re:お寺参り    
本質的に変わりありません。

神社仏閣をはじめとする宗教施設のある場所や、巨石・滝・神奈備などの特異な景観を眺められる場所を「聖地」と呼びます。昨今では、オカルトやスピリチュアルな意味を感じさせる「パワースポット」という表現が多用されていますが、いずれにせよ「神聖なる非日常的な場所」という点では同じです。
そういった「神聖な場所」を家庭に持ち込んだものが仏壇・神棚ですから、祈願の場所としては本質的に変わらないのです。

ただし、あくまでも仏壇・神棚が「家庭における神聖所」であるという意識があれば、の話です。

ですから、家庭という日常の場から離れて、普段の生活空間の外側にある社寺に参詣するほうが「聖地」の一要件である「非日常」を感じることができるので、「祈り」の効果は高いかもしれません。
もちろん、日々の祈願(=修行)を日常行為とすることにやぶさかでないとおっしゃるのであれば、祈りの空間を家庭のなかに恒久的に置くほうが効果的かもしれません。

これは貴方ご自身のライフスタイルによって、ご自身で選ぶべき内容と考えます。


Name: 若輩者
Date: 2011/06/12(日) 20:15   No:4332
解決     
Title: Re:お寺参り    
みなさんご回答ありがとうございます。仏壇に祈願するのもお寺に祈願するのも大差はないと知り、安堵しました。しかしやはりお寺に出向いた方が、確かに神経が澄まされて集中力が増すように感じます。上手に祈願を分けながら手を合わせたいと思います。



Name: hotoke
Date: 2011/06/02(木) 08:26   No:4303
      
Title: 読経について    
私の実家の宗派・仏壇は浄土真宗です。
2ヶ月程前に義母が亡くなり、現在、義父が実家で仏壇を見ています。
しかし義父も高齢なので、お水やお仏飯、お花を変えたりとなかなか細かいところまでは目が行きません。
そこで一ヶ月に2回位、片道2時間かけて実家に帰り、仏壇やお墓を見ようと思っているのですが、仏壇前で読経をする時、どのようなお経を読んでも構わないのでしょうか?
浄土真宗でも般若心経や観音経、十三仏真言、光明真言などをお唱えしてもよいのでしょうか?
ある方から「あの世へ行けば宗旨宗派は関係ないので、何を唱えてもよい」と聞いたことがあります。
かと思えば「仏壇前でそら覚えのお経を読むのは、地縛霊や浮遊霊が寄って来るのでよくない」と書かれている本もあります。
何が正しいのやら?わかりません。



Name: 勝運寺山主
Date: 2011/06/02(木) 12:03   No:4304
    
Title: Re:読経について    
hotoke様へ
供養に関しましてはどの教えでありましても「心身よりご供養されるのであれば問題ありません」気持ちの無いお経はどんな高僧が唱えてもただの音読にしかなりません。
お経ですが必ずお経本を見ながらお唱えをしてください。
空暗記では唱えないでください。理由は経本の文字1字1字に深い意味が込められているためです。


Name: hotoke
Date: 2011/06/02(木) 14:01   No:4305
    
Title: Re:読経について    
ありがとうございます。
お経の意味をよく勉強して唱えたいと思います。


Name: 浄土真宗門徒
Date: 2011/06/11(土) 19:18   No:4327
    
Title: Re:読経について    
浄土真宗は極楽に生まれさせて頂く事が阿弥陀様と約束されてるので般若心経や観音経、真言などは唱えません。
今、一度、浄土真宗の教えを学んでみてはいかがでしょうか?

他宗教を否定はしてませんが


Name: 金持ち
Date: 2011/06/12(日) 08:03   No:4329
    
Title: Re:読経について    
ほんとうに特殊のうりょくがあるのでしたら
為替相場の変動を教えてください。

明日ドルはどれぐらい上がりますか、下がりますか?
一番の底値と高値の時間を教えてください。

あの世という見えない世界が見えるのです。
人間の世界の明日の事位わけないでしょ。

これがわかれば、1日で何億円かかせげますので。


Name: hotoke
Date: 2011/06/12(日) 08:34   No:4330
解決     
Title: Re:読経について    
みなさま、ご回答ありがとうございます。
いろんな考え方があるものなのですね。
ありがとうございました。   合掌




Name: hotoke
Date: 2011/06/07(火) 19:05   No:4316
      
Title: 過去帳の書き方について    
実家の過去帳ですが、血縁関係のない仏さんや他家にお嫁に行って亡くなったご先祖さんの戒名などが書いてあり、少しごちゃごちゃになっています。
新しく過去帳を書き直そうと思っているのですが、書く順番、決まりなどはありますか?
今の実家の過去帳はご先祖さんが亡くなった順番に書いてあります。
すなわち古い仏さんからスタートして書いてあります。

ある人に聞くと「あれは命日の日に書くんだよ。すなわち過去帳の上に7と書いてあれば7日が命日のご先祖さんの戒名を書くんだよ。」と言われました。

本当のところはどうなんでしょう?



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/08(水) 05:56   No:4318
    
Title: Re:過去帳の書き方について    
「あれは命日の日に書くんだよ。すなわち過去帳の上に7と書いてあれば7日が命日のご先祖さんの戒名を書くんだよ。」
これは正解です。

使い方としては、毎月の1日には「1日」を開いてお勤めをします。そして、翌2日になれば「2日」を開いて……というわけですね。
同じ「日」のなかでは先に亡くなった方から記入していきます。これは自然なことでしょう。
記入する内容については決まりはありません。寺の過去帳でも、明治以前では戒名と寂年月日しか記入していなかったりしますが、やはり俗名・年齢・続柄も記入しておくほうが丁寧といえます。

おつきあいのあるお寺があるならば、そちらの住職さんにご相談いただくのが間違いありません。


Name: hotoke
Date: 2011/06/08(水) 07:19   No:4319
解決     
Title: Re:過去帳の書き方について    
あき様
ご回答ありがとうございます。
古い過去帳は捨てたりいたしません。
大切に保存しておきます。
ただ、先祖供養に関しては、お寺のお坊さんやいろんな方の話を聞いていると、やはり書き換えの必要姓を強く感じております。

天台沙門様
ご回答ありがとうございます。
過去帳を書き換えることに関しては、菩提寺さんとよく相談して、菩提寺さんに書いてもらおうと思っています。
私も最近までは過去帳の数字に関係なく、古い仏さんから書くものだとばかり思っていました。
やはりいろんな方のご意見は聞いてみるものなのですね。
ありがとうございまいした。




Name: 茶子
Date: 2011/06/07(火) 17:21   No:4315
      
Title: お寺さん探しています    
神戸市内で大阪市天王寺区にある一心寺や四天王寺のような故人の遺骨を手頃なお値段で合祀してくれる様なお寺はないでしょうか?






Name: ひとりぼっち
Date: 2011/06/05(日) 19:43   No:4308
      
Title: おしえてください。    

兄が先日亡くなりました。

母も15年前に亡くなっています。
父も亡くなっています。

母の位牌を持っていますが、経済的に仏壇を買えずにいました。

@無理をしてでも仏壇は購入すべきでしょうか?

A大人になってからわかったのですがうちは日蓮宗ですが、母の時の葬儀は別の宗派でした。
おそらく位牌の魂入れも、葬儀と同じ宗派かと思います。
兄の葬儀は日蓮宗でやりました。

一緒に仏壇に入れても大丈夫でしょうか?

A開眼は仏壇を先に済ませてから49日にご本尊様、掛け軸、位牌に魂入れすればいいでしょうか?

家が狭くてお坊さん呼べないので先にお寺さんに仏壇を持っていこうと考えているのですが‥。

B49日法要は必ずしなくてはいけないでしょうか?
経済的に納骨と魂入れだけお願いしようと思っています。

すべてやるとなると相場はおいくらでしょうか?


長くなってしまいましたがどうかおしえてください。お願いします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/07(火) 11:14   No:4312
    
Title: Re:おしえてください。    
Q1 無理をしてでも仏壇は購入すべきでしょうか?
A1 無理をしてまで入手する必要はありません。お位牌にせよご本尊にせよ、目より高い場所にご安置いただき、日々のお供えをいただけばそれで充分です。


Q2 (異なる宗旨で開眼作法をしたお位牌を)一緒に仏壇に入れても大丈夫でしょうか?
A2 大丈夫です。仏壇や神棚という家庭のなかの神聖所は、神仏のいます世界と人界とのターミナルと考えてかまいません。日本人の伝統的な宗教観では、まず「人のうえにある偉大な存在」の実在を認めたうえで、それを時と場合に応じてカミやホトケと呼びわけます。仏教の諸派は、仏教の目的である覚り/悟りに至る方法論の違いから分派しているにすぎません。カミとホトケをことさらに区別していないのに、どうして仏教の内側の様式で区別することがあるでしょうか。


Q3 開眼は仏壇を先に済ませてから49日にご本尊様、掛け軸、位牌に魂入れすればいいでしょうか?
A3 私は同時に行っています。あえて別々に行う必要性を感じられません。


Q4 49日法要は必ずしなくてはいけないでしょうか?
A4 私が預かる寺では、壇家さんのお住まいの場所にあわせてご葬儀当日に納骨をします。そういった場合に限らず、私は四十九日法要の具体的内容として本尊や位牌の開眼供養(魂入れ)を行っていますから、開眼法要がそのまま四十九日法要となるとお考えください。


なお、これらは天台を宗とする者の考えで、日蓮宗の住職さんとは異なる点もあるかとおもわれます。以上、ご参考までに。


Name: ひとりぼっち
Date: 2011/06/07(火) 12:34   No:4313
解決     
Title: Re:天台沙門様    
ご丁寧なご回答ありがとうございました!
参考にさせていただきます。
経済的にやってあげることができずにひとりで悩んでいました。

毎日お線香とお茶とお水を位牌にあげているのですが仏壇がないとだめなのかとずっと思っていました。

兄の49日は位牌の魂入れと納骨をする予定です。

経済的に余裕ができたら、仏壇を買って母と兄の供養をしてあげたいと思います。
本当にありがとうございました!




Name: hotoke
Date: 2011/05/27(金) 14:40   No:4294
      
Title: お位牌    
4月上旬に義母が亡くなり、先祖供養のことなどを色々勉強しているのですが、人や宗派によっておっしゃることがまちまちでどれが正しいのかわかりません。
@まずお位牌ですが、宗派に関係なく必ず黒いお位牌を仏壇内に祀らなくてはいけないでしょうか?
また逆に祀らなくてもよいと言われている浄土真宗の場合でもお位牌を祀りたければ祀ってもよいのでしょうか?
A葬儀の時に使った義母の大きな遺影ですが、ずっと家に置いて飾っておいてもよいのでしょうか?
それとも49日や百か日が過ぎればお寺に収めて処分してもらった方がよいのでしょうか?
B遺影を置く位置ですが、仏壇の横という決まりごとはあるのでしょうか?
我が家では仏壇の向かい正面にあたる柱にかけてあります。



Name: 天台沙門
Date: 2011/05/27(金) 17:50   No:4295
    
Title: Re:お位牌    
Q1「黒いお位牌を仏壇内に」
A1
白木の位牌を使う期間は満中陰(四十九日)までとし、それ以降は正式の位牌に変えましょうという趣旨です。
位牌というと黒漆に金字が一般的ですが、デザインはお好みでよろしいでしょう。また、仏壇があれば仏壇内にお納めすることは当然として、仏壇がなかったり置く場所が無いというのであれば、座ったときの目の高さを基準にしてそれより高い位置にお祀りしましょう。
なお、真宗さんでの位牌の扱いについては、私は天台を宗とする者ですからお答えいたしかねます。



Q2「遺影ですが」
A2
お飾りする場所があるならば、そのまま飾られていてよいでしょう。
また、処分なさる場合も寺に納めるという必要は感じません。(現実問題として、ご依頼は受けますが)

Q3「遺影を置く位置」
A3
決まりはありません。
管見ながら、大きめの遺影は仏壇のある部屋の長押など高いところに掛けておいて、小さな遺影は仏壇の所在と関わらず日常的な場所に置いておくことが多いようです。

遺影が一般化するのはどんなに早くても明治からこちらのことです。ですから、いろいろな信仰上の習慣ができあがる過程では写真というものは考慮外だったはずでして、つまりは決まりはなかったということになります。とはいえ、写真一般は記憶を呼び戻すための役割をもっていますから、ポートレイトは人に対する記憶を呼び戻す力があります。この観点からすれば、遺影を大事に感じるのは位牌を大事に感じることと一緒で、つまりは遺影や位牌という「物」が故人の人格を象徴するものになっているということです。

したがいまして、ご遺影というものについては、お位牌に準じた扱いをなさればよろしいと考えております。




Name: 悩める主婦
Date: 2011/05/21(土) 19:07   No:4272
      
Title: 気になって仕方がないです。    
はじめまして。
お伺いしたいことがありまして。

私の嫁ぎ先は、神道なんですが、(義祖父が神主であった)
私が嫁いでからは、いろいろなことがあり、日蓮宗のご住職とその母(私の実のおばなのですが)に助言頂き、悩みを聞いていただき、助けられて、日蓮宗の曼荼羅を頂きました。
私だけの心のよりどころにと・・・・頂きました。

神道用の一般的にいう「ご仏壇」に、日蓮宗の曼荼羅を飾ってよいものか?
悩んでいます。
どなたか、お教えいただけませんでしょうか?

夫は、完全に神道です。なので、お位牌は勿論、神道用です。
夫の実家とは、同居しておりません。

曼荼羅を一緒に「おまつり」は、まずいのではないのか?いいのか?
悩んでおります。
息子は、「どういう風におまつりしようと、ご先祖をご供養する心が大事」気にしないでいいのでは・・・・そう申しております。



Name: TAKESHI
Date: 2011/05/22(日) 02:17   No:4274
    
Title: Re:気になって仕方がないです。    
神道の場合だと、祖霊舎は先祖さんだけで、祭神は神棚です。
日蓮曼荼羅を祖霊舎に入れる必要はありませんよ。曼荼羅はお厨子に入れて拝めばよいのでは?


Name: 天台沙門
Date: 2011/05/22(日) 08:33   No:4277
    
Title: Re:気になって仕方がないです。    
厳密にいえば、神道系の祭祀物は神棚にお祀りし、仏像をはじめとする仏教系の祭祀物は仏壇にお祀りするのがスジでしょう。

ですが、仏壇がないので神棚に、ということも次善として認められるべきと考えます。逆の場合、すなわち神棚がない家庭が神社でいただいた御札を仏壇に祀ることを考えればよく、神仏は同じものと考えることが日本の伝統的な信仰態度といえます。

もっとも「神は死者を忌む」ことになっていますから神棚に仏式の位牌を納めるのは問題になるでしょうが、仏像や曼荼羅は死者ではありませんから依り代の一種とみなせば良いのではないでしょうか。ただし、日蓮宗として本尊である曼荼羅を神道の依り代と看做すことをどう判断するかは、天台を宗とする者に判断はできません。


Name: 悩める主婦
Date: 2011/05/25(水) 10:54   No:4292
解決     
Title: Re:気になって仕方がないです。    
TAKESHIさま

ご回答ありがとうございます。
祖霊舎はまだないんですね。
夫の仕事の都合で実家と離れているためです。

天台沙門さま
一緒のお礼コメで申し訳ありません。
懐深いお答えありがとうございます。
何やらすっきりいたしました。
今のところ、祖霊舎がありませんので、一緒にさせて頂きます。






Name: アーガス
Date: 2011/05/21(土) 12:37   No:4271
      
Title: 仏前式での誓詞?    
仏前式を行うのですが、その中で新郎新婦が誓いの詞を読まなければいけないのですが、インターネットで調べても神前式用の誓詞例はあるが、仏前式用のものが見つかりません。
どなたか、1例でも大丈夫ですので、教えてもらえませんでしょうか?



Name: 天台沙門
Date: 2011/05/22(日) 11:30   No:4279
    
Title: Re:仏前式での誓詞?    
以下、芝金声堂刊『天台常用法儀集』より (原文は漢文、私に書き下し)


宣誓(結婚者、之を読み戒師に呈ず。)

我ら、恭しく仏天の照鑑を仰ぎ、結婚の式典を挙ぐ。希わくば今日以後、異体同心。以て公道を修め正法を興し倫常を完うし群生を利せんと期す。
謹んで誓約す。

年月日
新郎某甲
新婦某乙



以下、四季社刊『天台宗祈願・回向文例集成』より


結婚者誓詞
誓詞
私達は、ここに諸仏善神のご加護のもと、○○寺御本尊さまの御前において、厳かに結婚の式典を挙げました。
今日より以後は、心をひとつにして相共に円満なる人格の完成に努め、いろいろな力に守られ生かされているお互いであることを自覚し、万物の御恩に感謝の合掌を捧げるとともに社会繁栄のために菩薩の行を実践することに努めます。
ここに謹んでお誓いいたします。

年月日
新郎某甲
新婦某乙



以上ご参考までに。




Name: ケンケン
Date: 2011/05/12(木) 18:31   No:4267
      
Title: 初盆    
初盆の事で伺います。内縁の妻の初盆ですが実家の方から遺骨分けと位牌分けをしてもらいました。妻の実家にも当家にも遺骨と位牌があります。こんな場合両方で初盆をしなければいけないんでしょうか?そもそも初盆とは何をすればいいんでしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/05/14(土) 22:47   No:4268
    
Title: Re:初盆    
>そもそも初盆とは

その方が亡くなって初めて迎えるお盆のことです。現在では、通年の盆とは異なった方法で行事をする事が普通です。その方法は地域ごとに異なりますが、それは宗旨の違いではないということだけは知っておいてください。
地域地方の風習の違いによって7月盆と8月盆(月遅れ盆)とが共存しています。ですから、貴方のお住まいの地域が7月盆なのに、ご実家の地域が8月盆なのでどうしても2回することになるという可能性は充分にありえます。



そもそも「お盆」とは日本の民俗信仰に根ざすもので、広い意味での夏祭りのうち、仏教儀礼を主とするものです。この「夏祭り」の目的は、それぞれの家が神様(ご先祖さま・田畑の神様・病気の神様・水の神様、などなど)を迎えて接待をして帰っていただく、というものです。

さて、ここで考えるべきは「神様は時間と空間に制約を受ける存在かどうか?」ということです。

私は、当然のことながら神仏という偉大な存在(Something the Great)は時間と空間だけでなく、民族や言語や文化や文明などという人のおもいなしを超越した普遍的な存在であると信じています。ですから、同じ時間に別の場所で神様をお迎えしてもなんの不都合もないと理解します。

以上、ご参考までに。


Name: ケンケン
Date: 2011/05/15(日) 10:40   No:4269
解決     
Title: Re:初盆    
天台沙門様ありがとうございました。よくわかりました。




Name: 紗耶香
Date: 2011/05/07(土) 15:43   No:4264
      
Title: 一周忌法要について    
7月に父の一周忌を控えております
今回大震災の被災地に
住んでおります
お墓があるお寺様も被災してしまいました
墓が倒れているかも確認できていません
この状況で法要が出来るかわからないでいます
来年三回忌と一緒に法事してもよろしいでしょうか?お寺様は日蓮宗になります



Name: 天台沙門
Date: 2011/05/10(火) 10:59   No:4265
    
Title: Re:一周忌法要について    
まずはお見舞い申し上げます。

一般論としては、一周忌と三回忌は別々にすべきと考えますし、まずは菩提寺の住職さんとご相談いただくべきなのですが、それも難しいようです。事情が事情ですから、無理をすることなく、落ち着かれてからということでよろしいでしょう。

きちんと法要を営まずとも、ご命日に仏壇のお位牌を前にして、多少あらたまったかたちでお参りいただくことで一周忌法要の代わりとなるかと考えます。

以上、ご参考までに。


Name: 紗耶香
Date: 2011/05/10(火) 14:01   No:4266
解決     
Title: Re:一周忌法要について    
お返事ありがとうございます

落ち着きましたら改めて一周忌の法要いたします

命日に仏壇に手を合わせます




Name: カノン
Date: 2011/05/02(月) 13:46   No:4262
      
Title: 死産した子の遺骨について    
もう数年経ってしまいましたが、妊娠6ヶ月だった私は
病気により、医師に堕胎を勧められ死産しました。
時期が時期だったので、堕胎といっても分娩するしかなく、
生まれてくる直前まで確実に動いていた子でした。

その子の遺骨ですが、旦那の実家もお墓も遠かったため、
自宅にて保管していました。しかし、その数年後、
事情により離婚することになりました。
旦那より、「遺骨を分けないか」と申し出があったのですが
私はそんな話を聞いたことがなく、遺骨を分けるなんて
とんでもないと思い、当時、3歳だった娘を私が引き取り
その遺骨は旦那に託しました。
その後旦那は、自分の実家にお墓に入れ供養をしたようです。
その元旦那の実家も、お墓も遠い上に、もう何年も元旦那とは
連絡をとっておりません。もちろんお墓もどこにあるのか
わかりません。しかしずっと、その遺骨の事が気になって
過ごしてきました。私は何もしてあげていません。
自宅に保管してあった時に、お線香をあげたりお水を交換した
だけです。
その遺骨と遠く離れてもう何年も経っていますが、
何か私にできることありませんか?
私は何をすればいいのでしょうか。
供養はどうすればいいのでしょうか。

よろしくお願いいたします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/05/03(火) 17:00   No:4263
    
Title: Re:死産した子の遺骨について    
私は、その人の存在を記憶し続けることが「供養」の本質である、と信じております。その際、記憶されるべき人格は年齢や生死の様相で区別されるべきではありません。



>私は何をすればいいのでしょうか。

死産という不幸な生涯だったにせよ、貴方のお子さんだったという事実に変わりはありません。そのお子さんのことを覚えていてさしあげれば、それで充分でしょう。

>供養はどうすればいいのでしょうか。

先に述べた通り、故人を記憶するということが供養の基本と私は考えています。
ですが困ったことに、人はなにかのよすががなければ記憶を維持することができません。「お墓」というものは亡くなった人の記憶装置なのですが、とくに日本の伝統のなかでは「位牌」というものが亡くなった人の記憶を具体化する触媒としての役割を担ってきました。
ですから、お子さんの存在の象徴である位牌を身近に置くということが、「供養」のひとつのスタイルとなります。そのうえで、娘さんのご兄弟(ご姉妹?)が、ここではないどこかにいらっしゃるというつもりで、おすごしいただくことをお勧めいたします。




Name: 三陸
Date: 2011/04/28(木) 09:36   No:4259
      
Title: 神棚の鏡の事で。    
神棚の鏡を新しいのに替えました。
古いのは、どの様に処分したらいいでしょうか?
宜しくお願いします。




Name: 浄徳寺隆胤 [URL]
Date: 2011/04/30(土) 10:12   No:4260
    
Title: Re:神棚の鏡の事で。    
浄徳寺の住職を致しております隆胤と申します。
神社の古神符納所におさめられるか、電話などにて事前にお伺いの上、お寺にお持ちになるのがよろしいでしょう。
お近くになければ、当方にお送り下されば処分致します。


Name: 三陸
Date: 2011/04/30(土) 23:39   No:4261
解決     
Title: Re:神棚の鏡の事で。    
浄徳寺隆胤様
教えて下さいまして有難うございます。
古いお守りは、神社の古神符納所におさめていましたが、鏡はどうなのかなと思っていました。
さっそく地元の神社に行って、おさめて来ます。
有難うございました。




Name: やぁ
Date: 2011/04/22(金) 06:04   No:4257
      
Title: 水子について    
はじめまして。
先月小さな命を諦めてしまいました。
ギリギリまで考えて、自分にもっと経済的に余裕があったら良かったのにと、こんな風に諦めたなくて済んだかもしれないと。
産みたい気や持ちもあった。
けど諦めてしまって何処かで安心してる自分がいる。
守りたい物は結局自分だったのかも知れません。
産む事も怖くて、諦めてしまうのも怖くて、こんな無責任な自分凄く嫌で苦しくて。
自分を傷つけても何もかわらない。
一番傷つけてしまったのは日の目が見れなかった我が子で。
一緒にいるパートナーは今までに三人の子を水子にいます。
パートナーは『俺はもぉ呪われてる。から今更供養に行っても意味か無い』と言うのです。
私的にそれは違うと思いのですが!?
なんだか分かりません。



Name: 天台沙門
Date: 2011/04/23(土) 17:06   No:4258
    
Title: Re:水子について    
残念なことでした。お悔やみ申し上げます。

さて、私は死者というものは、死因や年齢の如何を問わず、無条件で敬意をもって弔われるべき存在であると考えています。この「弔い」の具体的な内容は、生者が死者の存在を忘れない、という一点につきます。

この震災においても、報道で「サバイバー・ギルト(生存者の罪)症候群」という言葉がちらちらと聞かれますが、生者は死者に対して色々と「申し訳なさ」を感じるものです。なぜ自分だけが生き残ってしまったのだろうとか、自分が代わりに死ねばよかったとか、もっと何かをしてあげられたに違いないとか、きちんと産んで育ててあげられたに違いないとか。

いわゆる「祟り」というものは、そういった申し訳なさが背景にあります。死者とは無関係だけれども生者にとって都合の悪いことがあると、生者は申し訳なさから逃れようと死者に責任をおしつけてしまいます。この場合の「都合の悪いこと」が「祟り」と表現されるのです。


世間で「供養」と呼ばれる宗教的儀式を行うことは、死者に対する気持ちを儀式というカタチで表現することにほかなりません。「気持ち」という目に見えない物/事を、「儀式」という目に見える物/事にすることで、人は救われる(囚われた気分が解放される)ものなのです。
ですから、貴方ご自身が「一番傷ついているのは我が子である」という自覚をお持ちなら、形式の如何を問わず、そのお気持ちを大切になさることで、貴方ご自身はいわゆる「水子の祟り」というものからは自由になることができるでしょう。

おわかりですね。
パートナーさんの「呪われて」という表現は、パートナーさんがご自身の「申し訳なさ」を自覚したくないが故の表現なのです。




Name: なな
Date: 2011/04/15(金) 11:49   No:4254
      
Title: お位牌について    
はじめまして。ご相談させていただきます。
私には諸事情で20年以上音信不通の父と弟がいます。
父と弟は市営住宅に住んでいましたが二ヶ月ほど前に
市の方から弟が行方不明になっているため親族で
ある私に部屋の明け渡しに立ち会ってほしいと連絡がありました。
その時初めて10年以上前に父が他界していたことも知りました。
明け渡しに部屋を訪れましたら、父のお骨が残されており
私が引き取り現在は私の家にあります。

いずれ納骨しようと考えておりますが、弟とは一切連絡が
取れないので、戒名などはいただいたのか?
お位牌は作ったのか?などが一切わかりません。
このような状態でお位牌を私が作ってよいものか
どのように供養していくのがよいのかがわかりません。
よろしくお願いいたします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/04/18(月) 12:33   No:4255
    
Title: Re:お位牌について    
少なくとも、仏式で葬儀を行った場合には白木の位牌を用い、それに戒名または俗名を記して、遺骨と一緒に施主さんにお預けするのが一般的です。ですから戒名をおもちでなかった(仏式の葬儀は行われなかった)と推察できます。

納骨なさる墓所がどういった所か不明ですが、寺院墓所であれば、そこの住職さんに戒名をいただいたうえでの納骨になるでしょう。その戒名によって正規のご位牌をお作りください。公営墓地だったり、おつきあいのあるお寺さんがいないなどの事情で、すぐに戒名をつけることができないのでしたら、私は無理に戒名をつけることもないと考えます。

いわゆる「ご供養」の基本は、その方が存在していたということを記憶していく、ということです。私は「春の彼岸・夏のお盆・秋の彼岸・冬の正月、そして故人のお誕生日かご命日に思い出してさしあげてください」と、お願いしています。

以上、ご参考までに。


Name: なな
Date: 2011/04/19(火) 12:53   No:4256
解決     
Title: Re:お位牌について    
ありがとうございました。



Name: きい
Date: 2011/04/15(金) 05:33   No:4252
      
Title: 日蓮正宗について    
僕は小さい頃より創価学会を通じて、日蓮正宗の信仰をしていました。学会が宗門から破門されてからは、お寺の信徒になったのですが、学会員を折伏しなければいけないプレッシャーに耐えきれず辞めてしまいました。ですが、現在深刻な悩みがあり、悩みを解決するために再び日蓮正宗を信仰しようと思うのですが、日蓮正宗に戻って大丈夫でしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/04/15(金) 10:03   No:4253
    
Title: Re:日蓮正宗について    
一般的に、行うことに不安があることは行わないほうが無難といえます。
より正確にいうならば、人は行為の「長所」と「短所」を想定したうえで、行動するかどうかを決定します。この想定が正しいことが確実ならば、短所の少ない行為または長所の多い行為を選択することに不安は覚えません。行為の選択に不安がつきまとうのは、想定つまり将来への見通しが常に不確定だからです。

ご質問の場合、日蓮正宗を信仰し続けるうえで発生するプレッシャーが、その信仰から離れられた理由となっています。ということは、今後は折伏という行為によるプレッシャーを感じずに済むという確信がない以上、また同じ苦しみを得るということが想像できます。同時に、そうでありながらも現在お持ちの悩み事の解決に日蓮正宗の信仰が必要と感じておられます。
つまりは貴方は「長所」と「短所」との比較をせねばならないというわけです。

具体的には、創価学会員に対する折伏をするプレッシャーという短所と、日蓮正宗の信仰によって与えられる安心という長所を比較して、長所が多いという判断ならば日蓮正宗の信仰をお続けになればよろしいでしょう。いうまでもなく、これは一種の賭けです。

釈尊は「犀の角のようただ独り歩め」とおっしゃいました。
ご自身の選択は、ご自身だけのものです。


(付記)
ハンドルの通り、私は天台を宗とする者である。よって私は「天台とは異なる『法華経』信仰体系」という意識を日蓮正宗・創価学会に対してもっているが、一義的には相違そのものは宗教的価値判断と峻別すべきと考えている。




Name: 四季
Date: 2011/03/25(金) 19:40   No:4220
      
Title: 先祖供養。    
先祖供養を怠ると、不幸になりますか?
不幸になるという人もいるし、逆に、供養をすると先祖が束になって苦しみを訴えてきて不幸になるという人もいます。周りを見ても、先祖供養に熱心な人が必ずや幸福ではないし、仏壇すらない家庭が公私共に順風というケースもあります。幸不幸と先祖供養との間に、呼応関係はあり得るのでしょうか?それとも先祖供養とは、先祖への恩や追善といった、心の働きかけに限定されるものなのでしょうか?



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/26(土) 09:34   No:4221
    
Title: Re:先祖供養。    
四季様へ
冷静に考えて下さい。子供の不幸を願う親は誰も居りません。
供養を怠る言う事自体いろいろな理由が有り滞るのです。
此の事は御先祖様はすでにご存じの筈ですから祟ると言う様な事はけして在り得ません。また、供養とは何かと言う事を考えて行くと何処に居ても何時でも出来ますよ。供養とは「先祖に対して感謝をするという事です。」此れだけなのです。けして仏壇を購入して仏様をおいて拝んだり。先祖の眠る墓所へ行き供物を備えるとかでは有りません。肝心なのは「今、自分がこの世に生きているのが御先祖様の御蔭であるという事を日々感謝をして生活をする。」ということです。物が満ち足りていてもその人が幸福であるかどうかはわかりませんし物が無いからと不幸であるとは言えません。
「日々、感謝の気持ちで暮せるかどうかなのです。」
不幸を招くのは先祖では無く、己の我慾から来るものです。
他人に「先祖供養を怠ると祟りが有る・・・」の様な事を言う人間はすでに己の我慾により祟られている証拠です。こうならない様に我々は日々、反省し感謝する事が大切なのです。


Name: 四季
Date: 2011/03/30(水) 08:38   No:4236
    
Title: Re:先祖供養。    
勝運寺様ありがとうございます。参考になりました。先祖への感謝の点で言えば、毎日仏壇に供えをしたり、お墓参りに行くなど心がけています。しかし恥ずかしながら親戚を見渡すと、供養を疎かにする不届き者が多いです。それでいて運勢が良く、順風満帆に人生を送る者もいます。その人の持っている運勢もあるのでしょうが、供養を怠ると、いずれ加護もされなくなるのでしょうか。私が先祖であれば、供養を怠る子孫より供養してくれる子孫を大切にしますが…。

Name: 勝運寺山主
Date: 2011/04/05(火) 07:47   No:4250
    
Title: Re:先祖供養。    
供養を行う事で起こるのはは物質的な平安を得るのではなく精神的な平安を得る事が出来。冷静な判断が出来る為、物質的にも豊かになる事が出来るのです。

Name: 天台沙門
Date: 2011/04/09(土) 16:14   No:4251
    
Title: Re:先祖供養。    
>先祖供養を怠ると、不幸になりますか?

正直に申し上げて、わかりません。
その理由は、人の幸不幸を決定する原因があるとしても、その原因は「先祖供養をするかどうか」に限らないからです。

仏教の基本原理は「縁起説」です。
因という直接的原因と縁という間接的原因とが結果をもたらすのであり、個別の事/物は独立しては存在できないという、よく考えればあたりまえのことです。
強いていえば、先祖供養以外の善なる因をもって「幸」という善なる果を得ることも可能ということですし、しかし逆に、どのような善因があってもそれを打ち消す悪因や悪縁が存在すれば、全体の因縁の結果は「不幸」の方に動いてしまうということです。


ここで大切なことは、過去の因縁が現在の果をもたらしたことと同様に、現在の果は将来に対する因縁になっているということです。
縁起説に基づくと、現在の「幸」が努力なしに永続することは否定されますし、現在の「不幸」を克服する努力が無意味であることも否定されます。




Name: あすか
Date: 2011/03/30(水) 23:44   No:4238
      
Title: 御本尊様について    
以前十三佛の御本尊様で相談しました。御釈迦さまの掛け軸を知人から貰えることになりました。仏壇の御本尊様をお釈迦さまを祀った場合何か宗派になるんでしょうか?当方はあくまでもどの宗派とかこだわりたく有りません。


Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/31(木) 01:33   No:4239
    
Title: Re:御本尊様について    
あすかさま
宗派を考えて行くとお釈迦様を本尊とする宗派は禅宗系です。
しかし良く考えて下さいお寺でさえその宗派の本尊を本尊としてお祭りしている処は少ないのです。当方のお寺でも真言宗ですが本尊は不動明王様です。真言宗の本尊は大日如来です。また、有名な浅草の浅草寺は本尊は観音様ですが宗派はと言うと天台宗です。
あまり宗派の事を考えないでください。


Name: あすか
Date: 2011/03/31(木) 20:54   No:4241
    
Title: Re:御本尊様について    
勝運寺 山主様 回答ありがとうございます。お釈迦さまを祀った場合お経は般若心経でいいんでしょうか?


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/04/05(火) 07:42   No:4249
    
Title: Re:御本尊様について    
般若心経で大丈夫です。





Name: さえさえ
Date: 2011/04/01(金) 22:53   No:4244
      
Title: 開眼で困っています。    
位牌と仏壇の御本尊様の開眼をしたいと思います。両方一回でやってもらうと1万5千かかります。それで家計の都合で別々に今月、来月でしてもらおうと思います。可能でしょうか?

その際位牌からか仏壇の御本尊様からかどちらを先にしてもらえばいいでしょうか?




Name: 通行人
Date: 2011/04/02(土) 11:12   No:4245
    
Title: Re:開眼で困っています。    
別々にすると各々にお膳料やお車料などの雑費がかかるのではないですか。
開眼は一万五千円なら格安の良心的ですよ。
普通は三万円ぐらいで、お膳料、お車料で全部で五万円ぐらいと思いますが。


Name: さえさえ
Date: 2011/04/02(土) 14:43   No:4246
    
Title: Re:開眼で困っています。    
回答ありがとうございます。位牌、御本尊様各々7500円です。お坊さんを自宅に来てもらうのではなく直接お寺さんに行きます。タクシーは使いません。


Name: 天台沙門
Date: 2011/04/03(日) 06:54   No:4247
    
Title: Re:開眼で困っています。    
布施料の金額はさておき、どちらかを先になさるのでしたら本尊さんを先にしてください。
もともとも聖武天皇が「国の一軒一軒に仏像を奉れ」と命じたのが個人レベルで仏像をまつる場所としての仏壇の初めといえますし、今の仏壇の直接の原型は個人個人が祈願のために奉った「念持仏」を納めた「厨子」です。
本然的には、まず本尊さんありきです。

なお、法要の分散については、参列者が大勢になることを目的に複数の方の年回法要をまとめて行うことを是とする僧侶と、1回当りの布施料を低額にして年回法要は各自に対して別々に行うことを善しとする僧侶とがいます。
これは「見解の相違」というだけのことで、どちらが正しい/誤りの話ではありません。


Name: さえさえ
Date: 2011/04/03(日) 08:34   No:4248
解決     
Title: Re:開眼で困っています。    
天台沙門様ありがとうございます。よくわかりました。



Name: 花畑
Date: 2011/03/30(水) 13:25   No:4237
      
Title: 犠牲者・慰霊    
昨日、大震災の被災地を回る僧侶の姿をテレビで観ました。広大な瓦礫の野に向かい、または何千の遺体が沈むであろう海に向かってお経を唱え、手を合わせる姿に感銘と共感を得ました。そこで質問です。私はお寺の人間ではない某宗の一信者に過ぎないのですが、自宅の仏壇から犠牲者への成仏を願う念は、距離を超えて、被災地で命を奪われた方々へと届くものなのでしょうか?それと、犠牲者の成仏を願う写経もしたいのですが、何枚書いてその後どうするといった決まりはありますか?できれば納経はしたくありません。納経を意識すると上手に書くことに気を取られて集中できないからです。お願いします。



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/31(木) 01:37   No:4240
    
Title: Re:犠牲者・慰霊    
花畑さま
あなたのお気持ちは必ず震災でお亡くなりになられた方へ届いています。難しく考えないでください。決まりは有りません。


Name: 天台沙門
Date: 2011/04/01(金) 09:49   No:4242
    
Title: Re:犠牲者・慰霊    
祈りというものは時間や距離を超越したものです。
それは信仰や宗教の相違を超えた人類普遍の感覚です。そうであるからこそ、世界中の人々が世界中の各所から、すべての被災者に対して祈ることをあたりまえのこととして行ってくださっているのです。

写経の件ですが、どの経典を写すとか所作事とかいちいち決まりを守ることはありませんが、それでもご自身がご自身に決めたことについては守ってください。たとえば、1日1枚を1年間とか、毎週金曜日に四十九日まで、とかですが。
納経をしない写経については、いわゆる「お焚き上げ」をしてくれる社寺に御守・御札と一緒にお預けすることがお勧めできます。


Name: 花畑
Date: 2011/04/01(金) 15:37   No:4243
解決     
Title: Re:犠牲者・慰霊    
勝運寺様、天台沙門様ありがとうございます。昨日からですが、線香一本分ずつ、祈っております。先に、成仏を祈りたいと申しましたが、今はご遺体がご家族の元へ戻ることを祈願します。私は霊魂の存在を信じております。父を病気で亡くしてからも、父が身近に添っているという感覚を持ち、安らぎました。喪失感に苦しむご遺族に向けても、安らぎが訪れますよう、お祈りします。写経も1日1枚を目標に続けて参ります。祈っている間、身体全体が熱くなる感覚を得ました。たくさんの方々の祈りの大きな念に合流するような思いがしました。



Name: 空と海
Date: 2011/03/28(月) 18:19   No:4224
      
Title: 教えていただきたい    
昨日知人が亡くなりました。その方は生活保護を受けていたのですが、お葬式代は保護費から22万円が出るのですが、火葬と納骨だけで 通夜や葬式はダメとの事 お坊さんを呼ぶのもダメで勿論戒名は絶対ダメ!こんなやり方で亡くなった方は供養出来るのでしょうか?


Name: 菊雅
Date: 2011/03/28(月) 19:45   No:4225
    
Title: Re:教えていただきたい    
お坊さんを呼ぶ時は、誰か他の人が(親族以外もしくは喪主以外)がその費用を出すという形にすれば役所も、文句を言わないと思いますが!?
あと、私の母の場合は葬儀は葬儀社にお願いしてやってもらいました。
(アパートだったので部屋では出来ず、病院の紹介の葬儀屋さんでやってもらいました)
要は葬儀の費用の22万円以上の事はしてはいけない。
それ以上の経費を喪主が葬儀にかけてはいけないとゆうことなので、その範囲なら通夜も葬儀も出来ると言うことでした。
(札幌の場合です。)
知人が個々に何かを出す場合は、問題ないと思います。
生活保護からは、火葬代と棺桶代と聞きました??
戒名は、後から付けたことにすれば問題ないはずです。

あと、例えばアパートに住んでいたが、
その後病院に入院していて亡くなった場合は、
先にもらっていた生活保護費から入院中の日数の生活保護費を返還しなければ葬儀費用の22万円の中から引かれることになります。


Name: 通行人
Date: 2011/03/28(月) 19:56   No:4226
    
Title: Re:教えていただきたい    
自分もこの問いに、どのような回答がなされるか興味があります。

火葬・納骨の費用が出されるのは、供養という観点ではなく実社会において、皆が火葬を行わなくなってしまった場合、疫病等が流行する危険性が高まるため、最低限の処置という観点から出ているのではないでしょうか?

人は何故この世に生まれるのでしょうね。
人にとって、救いとは何なのでしょうね。
供養は故人のためであるのでしょうか?
識者の回答に期待したい問題が含まれていますね。


Name: 通行人
Date: 2011/03/28(月) 20:01   No:4227
    
Title: Re:教えていただきたい    
菊雅様
>あと、例えばアパートに住んでいたが、
>その後病院に入院していて亡くなった場合は、
>先にもらっていた生活保護費から入院中の日数の生活保護費を返還しなければ葬儀費用の22万円の中から引かれることになります。
ですが、これは人間にとって最低限度補償される生活には、
病院に入院することは含まれていないということですか?
書かれていることは、
入院するほどの病気に掛かったたら、死ねということなのですが。。。


Name: 空と海
Date: 2011/03/28(月) 20:08   No:4228
    
Title: Re:教えていただきたい    
菊雅さん 大変参考になりました。ありがとうございます。そうですね親戚が出したと言えば問題ないですね。戒名も落ち着いてからで問題ないですね 時間がないのでその旨を伝えます。ありがとうございます。

Name: 菊雅
Date: 2011/03/28(月) 20:39   No:4229
    
Title: Re:教えていただきたい    
空と海さん

知人様のご冥福をお祈りいたします。

通行人さん
一応、母から聞いた範囲でお答いたします。
病院に入っている時は、入院費や治療代が役所から出ます。
ですので、その間の入院中の生活保護費(アパート代や食費)は、
たしか〜?ですが、次に支給される生活保護費からさっぴかれるはずです。
生活保護を受けている人は、普段の生活からいざとなった時のために貯金をしておかなければなりません。
つまり退院後、アパート代や食費が足りなくなるからです。
母が生活保護を受けるときは、泥棒扱いみたいな言い方をされたそうです。
社会で老人が生活保護を受けずに餓死するのは、それも原因の一つだと思います。

ちなみに、誰かからタダで何か(物)をもらうのは、問題ありません。
本当は子供が面倒をみれたらいいのですが、生活費や多額の病院費はその子供の生活をも奪ってしまいます。


Name: 菊雅
Date: 2011/03/28(月) 21:20   No:4230
    
Title: Re:教えていただきたい    
空と海さん

追記で、

葬儀屋さんからは、たまに民生員や役所が見に来ることがあるので、とりあえずは質素にした方が、あらぬ疑いをかけられなくて済むと言われました。
香典は、私の記憶ではその都度、隠してたと思います。
(理由は思いだせません。すみません)


Name: 空と海
Date: 2011/03/28(月) 21:40   No:4231
    
Title: Re:教えていただきたい    
菊雅さん、度々のアドバイス助かります。お坊さんは親戚が手配するとの事。香典の方も教えておきます。何しろお金が本当にないみたいですので香典を寄せておかないと戒名もつけられないだろうし…本当にありがとうございます。

Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/29(火) 13:36   No:4232
    
Title: Re:教えていただきたい    
この経緯の場合は福祉葬になりますので必要最低限の事柄だけになります。火葬と納骨のみですが都営もしくは市営の霊園の納骨堂か身寄りが無ければ無縁墓地に埋葬されます。
公的には葬儀等は行えませんが荼毘にした後、納骨迄の間に骨葬を行う場合も有ります。ただし是は役所からの補助が無い為、故人の遺族がすべて経費を負担する事になります。この様なケースで良く行われますのが四十九日忌と合わせて骨葬を自宅等で行います。
戒名は場合によっては法要を行う僧侶が善意で付けてくれる場合も有ります。大体この様な場合福祉課の人は見なかった事にしてくれますが担当者が判らず屋の石頭の場合、今後の生活保護費を切られてしまう、もしくは減額される場合があります。
理由:生活費以外の余剰金額が有るとみなされてしまう為です。
供養に関しましては疑問が残りますが残された遺族の生活を考えると供養云々は言えません。


Name: 空と海
Date: 2011/03/29(火) 14:33   No:4233
    
Title: Re:教えていただきたい    
勝運寺さん、ありがとうございます。でもいくら必要最低限とは言え、せめてお坊さんくらいは呼んでもいいのになぁと思います。結局お坊さんは呼ばないで、お経のテープをかける事になったのですが、果たしてそれで供養になるのでしょうか?心配です。

Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/29(火) 15:02   No:4234
    
Title: Re:教えていただきたい    
じつは以前、懇意にしていた民生委員の方にお願をされまして質素に供養を行った事がございます。此の時のお布施は民生委員の方の善意でその方のポケットマネーからお布施を頂戴いたしましたが此れも絶対口外しない事と言う条件付きで身内のみ友人、知り合いの参列は行わない事と言うのが条件でした。僧侶に対してのお布施が問題になるのです。探せば善意で読経のみでしたら行ってくれるお寺も有ります。基本的に供養とは故人の生前の功徳に感謝をするという事ですから僧侶がとりたてて必要かと言えば疑問が残ります。
お経のテープで済ます。ならば僧侶を呼んで供養された方が良いでしょう。状況を話せば常識の有る僧侶ならば交通費だけで供養をしていただけます。私もたびたびこのケースは立ち会っていますので
行っています。


Name: 空と海
Date: 2011/03/29(火) 18:01   No:4235
解決     
Title: Re:教えていただきたい    
勝運寺さん、色々とありがとうございます。話のわかる僧侶を捜すのは大変かと思いますが、説得してみます。納骨の日でもいいんですかね?とりあえずそこの家族と言っても85歳のお父さんと病弱な息子さん二人しか残ってないのですが、この旨を伝えてみます。



Name: あすか
Date: 2011/03/20(日) 21:40   No:4212
      
Title: 仏壇の御本尊様について    
仏具屋さんで全宗派掛け軸と言うのを買いました。仏壇の御本尊様にこの掛軸を使うつもりです。(まだ仏壇は買っていません)当方は特に信仰してる宗派は有りません。亡くなった人の実家は浄土宗ですが仏壇を買った際この掛軸を御本尊様にして大丈夫でしょうか?その際お題目は般若心経でいいんでしょうか?(般若心経は基本と聞いたことがあります)


Name: 想月
Date: 2011/03/21(月) 22:10   No:4213
    
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
まずは…
全宗派掛け軸という物が有るんですね。
初めて知りました。

「亡くなった方の実家が浄土宗」との事。其の実家の方々と其の実家の菩提寺様とでご相談なさいませ。
私の予想では一寸無理かと…浄土宗は阿弥陀如来様が御本尊ですから…

そして…「お題目」は日蓮宗のみが使うものです。
お題目=お経の題目ですから…
妙法蓮華経=お題目

僧の方が後に書き込みをされると思いますからもう少し待ってみて下さいませ。
もう少し詳しく書き込みしてくれる…かと…




Name: あすか
Date: 2011/03/22(火) 18:05   No:4215
    
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
回答ありがとうございます。質問が不明確ですいません。なくなったのは家内です。当家は特に信仰してる宗派は有りません。家内の実家が浄土宗です。私の実家も信仰してる宗派は有りませんでした。家内の実家とは別家と考えています。朝夕に仏壇に唱えるお経?は無宗派は何を唱えればいいんでしょうか。全宗派掛け軸とは十三佛掛け軸と言う名前で売られています。

Name: 勝運寺山主
Date: 2011/03/23(水) 00:39   No:4217
    
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
あすか様
@十三佛の掛け軸でも全宗派で利用できるわけでは有りまっせん。
理由:宗派により多少十三佛の中の仏様が違います。
奥様の御葬儀の時は仏式の御葬儀でしたか?
それとも告別式と荼毘のみの無宗教葬でしたか?
仏式で行ったのであれば行ってもらったお寺の宗派の本尊を仏壇に奉るべきなのですが、十三佛の掛け軸を購入済みで有るとのことですのでこれを利用されるのも1案です。御勤めの時の御経ですが般若心経でかまわないと思います。


Name: あすか
Date: 2011/03/23(水) 18:45   No:4218
    
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
勝運寺山主様ご回答ありがとうございます。
葬儀はしませんでした。お寺さんの3畳程の部屋を借りまして火葬場の順番が来る間一晩安置してました。
御本尊様の開眼は大阪市の一心寺と言うところでやってもらうつもりです。一心寺はどの様な宗派でも受けて貰えるそうです。
以上をふまえまして十三佛で大丈夫でしょうか?


Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/03/24(木) 15:12   No:4219
    
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
十三仏は年回忌の時に拝む仏様を描いているもので、全宗派とかそういう類のものではありません。
ただまぁ、宗派によって本尊が違うと言うと皆さん誤解される方もいますが、宗派の違いは、修行方法の違いや思想の違いで分裂している人間の側の都合であり、仏様に宗派があるわけではありません。
ですから、御本尊はどれであれ、尊い御本尊としておまつりしてください。それがまず第一の基本です。ですから縁があった御本尊として、それをそのままお祀りして差し支えはないと思います。
尚、一心寺は浄土宗ですので、その寺の…ということであれば、ご本尊は阿弥陀如来ということになります(真宗も阿弥陀如来ですが、ちょっと像容が違います。本質的な事ではありませんが)。


Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/26(土) 09:44   No:4222
    
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
あすか様へ
一番大事なのは御自身の気持ちです。
宗旨宗派では有りません。
購入された十三佛の掛け軸を見ていて貴方が心が落ち着くのであればそれが一番です。
「しきたりや決まり」にとらわれる必要は御座いません。
したがいまして私からの答えは「大丈夫」と言う答えになります。


Name: あすか
Date: 2011/03/26(土) 22:37   No:4223
解決     
Title: Re:仏壇の御本尊様について    
皆様ご回答ありがとうございます。十三佛を御本尊様として開眼してもらいます。




Name: のんたん
Date: 2011/03/22(火) 11:45   No:4214
      
Title: 墓地について    
墓地の管理費などについて相談です
私の母の実家の墓地なのですが、突然お寺から管理費の支払いが滞っているので延滞金(管理費の5割)を含めて40万円を請求されました。払わなければ墓地を更地にして返還するようにとの事でした。
墓地は今まで祖父が管理していたのですが他界し、母の実家は長男の借金が原因で家屋敷、畑など財産は何もかも取られ今はありません。ですからお寺の方も連絡を取りようが無かった様です。たまたまお墓参りに行った母の弟がお寺の方に今回の件を聞いたのですが、母達は管理費があるなど何も知りませんでした。
管理費はもちろんこれからは支払うつもりですが、知っていて払わなかった訳ではないので、延滞金を請求されるのが納得できません。両親も年金で細々と暮らしていますし、家にも仏壇、お墓がありますので、支払いは大変です。母の弟も事業に失敗し借金だらけですし、長男は縁を切っているので連絡とれません。母も嫁に出て、弟も婿養子に入っているので誰もお墓など管理出来る者がいません。
延滞金は支払うべきでしょうか?これから祖先の途絶えたお墓はどうしたらよいでしょうか?



Name: 勝運寺山主
Date: 2011/03/23(水) 00:08   No:4216
    
Title: Re:墓地について    
のんたん様
いずれは出てきた問題ですし解決しておかなければいけない問題だと思います。

@今後も此の御墓を利用する意思が有るのでしたら延滞金(管理費の5割)を含めて40万円をお支払いください。経済的に一括では不可能ですので管理費に上乗せをして支払うという形を執ってください。
A40万でしたら今後は墓地を利用されないのであれば更地にして返還しても同じくらいの金額になります。格安に行ってくれるところも有ります。
此の管理費等に対しましては良くもめる元になります。
多くが管理費が有るのが知らなかったという今回の様な例です。
更地にしてお寺にお返しされるのが良策かと思います。




Name: とも
Date: 2011/02/21(月) 15:32   No:4160
      
Title: やってしまった    
義母が今年1月に他界。どたばたの葬儀。
血縁の近い人を亡くすのは初めて。。。
何をして良いのかわからず、子供を連れてうろうろし、霊安室、
通夜、葬式。終わった後、香典渡していなかった。
嫁が金の管理をしているし、どんなのし袋に(宗派の違い)入れれば
良いのか?金額は?何もにないまま精進あげもいただき、
嫁に「食い逃げ」と罵倒され。。。
迎えた49日前日、お供え、香典のことで「もう出席するな!」
とまた罵倒。当日用意をする嫁、子、私のことは無視。
どうして良いのかわからずベッドの端で頭を打ち付ける音を聞きつけた嫁とけんか。
結局法要には3人とも出席できず。泣きじゃくる、嫁と子。
義母に世話になった私は、故人にも申し訳が立たず又このまま
家族3人の生活がうまくいかないと思い、離婚後、自殺を考えています。
死後、あの世で義母に謝りたく思い、あの世で義母に会う方法を
教えてほしいのです。



Name: 裟羅
Date: 2011/02/21(月) 23:31   No:4161
    
Title: Re:やってしまった    
ともさん
仕方ないですよ。
葬儀がらみの揉め事は世の中常です。
自分の命をかけてまで、故人にお詫びしても故人は喜びません。
寧ろ哀しみます。
奥さまとお子さまはしばらく静観なさり、お義母さまのご冥福のみお祈りすれば良いのです。
み仏や先祖に手をあわせば、必ずや解決方法に導かれますから安心なさいませ。


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/03/20(日) 17:26   No:4211
    
Title: Re:やってしまった    
とも様
人間だれでも身内を亡くすとドウテンしておかしなことをやるものです。
私の経験ですが檀家さんの葬儀を行った時ですが葬家がお金を銀行より必要経費を引き出すのを忘れた為、火葬代等を私が立て替えた事が有ります。おまけに後日、銀行へ行くと亡くなられた御主人の
口座からはお金を引き出す事が出来ず。その手続に10日かかりました。おまけに故人の遺志で香典を不要としたため現金が無く葬家さんも本当に困ったそうです。

時間がたっていますがその後どの様にされましたか?
後からでもかまいませんからこの様な時は必ず後日御供え物をそえて香典をお持ちしましょう。
貴方だけでは有りません、多々ある事ですよ。

あまり気にしない事です。




Name: 第壱倉庫
Date: 2011/03/11(金) 08:09   No:4204
      
Title: ご真言の唱え方について    
日々、お経の後、信仰するご本尊様のご真言を唱えております。

雑念が入ってしまって、なかなか上手いこと唱えられません。
気が付くと、全く別のことを考えているのです。

本来のご真言の唱え方というのは、どういうものなのでしょうか?



Name: 天台沙門
Date: 2011/03/15(火) 13:45   No:4209
    
Title: Re:ご真言の唱え方について    
真言を唱えることは「目的」ではなく「手段」です。

たとえば、初行者向けの座禅の方法に「数息観」というものがあります。自分自身の呼吸の数を数えることだけに意識を向けることによって、それ以外のもの/ことに意識が向かなくする手法です。
真言を唱えることも「南無阿弥陀仏」と唱えることも、単純な言葉を繰り返し発声してそれを聞くことによって意識を集中しやすくする(他の事/物から意識を逸らす)ための修行の方法です。

ちなみに法然さんは「念仏の途中で眠くなって寝てしまいましたが」との問いに「目が覚めてから続ければよい」と答えています。真言も同様です。途中で入った雑念は「今日は本尊さんのことだけを考えておこう」・「お願いごとだけに集中しよう」と考えるよすがにして、雑念が入った段階で唱呪をいったん止めてしまえばいいのです。


Name: 第壱倉庫
Date: 2011/03/18(金) 13:39   No:4210
解決     
Title: Re:ご真言の唱え方について    
ありがとうございます。

ご真言を唱えている最中に寝てしまう。
よくありますm(__)m

そういう時には、もう一度最初からやり直したりしていましたが、
結局また寝てしまって(泣)

教えられた通りにしてみます。




Name: つうくん
Date: 2011/03/12(土) 13:54   No:4205
      
Title: 誰か教えてください?    
初七日・四十九日などの法要や仏壇など購入にあたり、お寺さんに来ていただく時にお渡しする、
お布施?や金額や車代??
教えてください。



Name: 天台沙門
Date: 2011/03/15(火) 11:43   No:4208
    
Title: Re:誰か教えてください?    
布施料については、地域による「相場」というものがあるので一概には言えません。また、同じ寺のなかでも地の旧家の本家筋と信頼の壇家さんとでは額が異なるとか、大住職(70過ぎのお祖父さん)に来てもらうなら高額だけれど若住職(30前のお孫さん)なら安い、というのもよく聞きます。

布施料については年回法要と同額でかまいません。率直に、お訊ねいただくのがよろしいと考えます。車代は5000円または10000円というところです。
なお、客観性や合理性をお求めでしたら、往復に必要なタクシー料金を調べ、それより多めの切りのいい額ではいかがでしょうか。同様に、布施料も葬儀布施料の10%などと割り切ってしまってもいいと考えます。




Name: みなみ
Date: 2011/03/07(月) 12:52   No:4199
      
Title: 供養の仕方と墓地について    
携帯サイトでも相談させていただきました。みなみです。
先日、母のいとこから、知らせがあり、菩提寺の住職が
亡くなったそうです。

私の母の供養と、お墓をどうするかを心配する旨が
記されておりました。

幼少時、母から、虐げられていた記憶が抜けず
母の供養など、するつもりはありません。
かといって、母と弟がなくなった今、
先祖代々の墓を放っておくわけにもいかず、
それがストレスの種になっています。

前述の母のいとこも、自分の父親の代から
新たな墓を建てており、母の墓参りまで、
頼めません。

ぶっちゃけ、「先祖の墓なんか知るもんか!」
「母の供養なんか、するつもりはないから、
勝手にそっちでやってくれ」と言いたいです。

それを、菩提寺にうまく伝える方法はないでしょうか?

私が、母を含めて、先祖を敬えない理由は、
私の一族は、遺伝性の難病だから。
私は、それでとても苦しんでいます。
医療費はかかるし、感知の見込みはない……。

なんで、こんな体に産んだの?
って、愚痴の一つも言ってやりたいです。




Name: 天台沙門
Date: 2011/03/15(火) 11:29   No:4207
    
Title: Re:供養の仕方と墓地について    
(0)

「聖職者」と呼ばれる専門の宗教者が宗教儀式を行うということは、あくまでも施主の依頼に基づいて神仏のとの仲介を行うということです。ですから「勝手にやってくれ」というご依頼については、「貴方がなさらないということは貴方ご自身の意志であって、なさらないならそれでかまいません。しかし当方が代行するということはお請けいたしかねます」というお返事しかできません。
裏を返すと、ならば永代供養用をお納めください、という嫌な話にしかなりかねません。


(1)墓地の件について

基本的に、墓所をどうするかについては施主さんの意志が最優先されますから、ご質問の場合なら、その寺に対して「墓所を返還したい」と申し出れば済みます。
以下、その際に処理すべき点です。
まずは墓所そのものの撤去義務が施主側に発生します。ついで埋葬されている遺骨の取り扱いです。寺に無縁墓や合葬墓といった施設があれば移してもらえるでしょうし、他所の同様の施設に納めることもできます。
もちろん、寺に納めるべき墓所の管理費については支払うが、寺の行事も回向供養も無視をするという方法もあります。
いずれにしても一定の費用は発生します。


(2)先祖供養の件について

別項でも述べていますが、仏教の基本原理である「縁起説」において「先祖」とはヒトが生物として発生した「因」にあたります。何世代にも渡る垂直的な生物学的関係や婚姻関係に依って発生した水平的関係を「血縁」と呼びますが、血縁を含めたすべての人間関係が「縁」というものです。
ある「個人」は、そういった「因」と「縁」とのなかでしか存在しえません。「人間=ニンゲン」という言葉は、もともと仏教由来の「人間=ジンカン」つまり「ヒトとヒトとのアイダ」という熟語の読み替えです。
つまり、先祖供養とは特定の血縁者の冥福を祈る行為であると同時に、自分につながるすべての人間関係に想いをはせるという行為でもあります。




Name: ゆうき
Date: 2011/03/04(金) 13:27   No:4190
      
Title: 墓地を選ぶにあたって    
昨年11月夫が亡くなりました。夫は7人兄弟の末っ子です。10歳違いの長兄は健在です。ですが 長兄は子供がなく 夫が事業のことやその他親戚づきあい等一緒にやり 将来も年老いたら面倒を見るということでした。 その後長兄は仕事の関係もあり遠方に引っ越しました。事業の失敗ということでもなかったのですが、持ち家等全部処分して 仏壇も持って行きました。残された墓地はそのままなので 長兄に頼まれて夫が管理しており、自分もここに入るのだ と生前言っておりました。ところが一番若い夫が先に亡くなってしまいました。当然私も生前夫が言っていたようにそのお墓に夫を埋葬できるものと思っていたのですが 長兄 次兄とも 他に墓地を探しなさいと言うのです。
色々複雑な思いはありましたが 夫の意にも反してしまうのですが 新しいお墓を探すことにしました。
そこで ご相談ですが 2箇所の霊園が見つりどちらにしたらいいか迷っています。一箇所目は 生前夫が言っていた 実家のお墓のある霊園  もう1箇所は夫が全く知らない霊園です。夫が大事にしていた先祖の墓のある霊園なら これから夫の墓参に行った時に私もお参りできるのですが、今後私は義兄たちとはつきあって行きたくないのです。かといって 夫が全く知らなかった墓地で夫は納得してくれるでしょうか?  こちらの霊園は新しい霊園で明るい感じの所です。
この2箇所は どちらも自宅からは 反対方向に同じくらいの距離です。
一周忌までには 準備したいのですが どちらにしたら良いか迷っております。



Name: 天台沙門
Date: 2011/03/05(土) 16:29   No:4196
    
Title: Re:墓地を選ぶにあたって    
私は「迷ったら墓参のしやすい近いほうを選んでください」とお勧めしていますが、難しいご事情ですね。

今までの墓所ですが、ご先祖のご法要はどうなさっていたのでしょうか? ご質問の内容からだと、将来的に問題の墓所の管理者は次兄さんになるようですが。今後の施主さんの立場も含め、おつきあいのある住職さんがいらっしゃれば、まずそちらにご相談いただいてもよいでしょう。

最終的には、故人を祀られる方の判断が最優先されるべきと考えます。ですから、新しい霊園をお選びになっても連れ合いさんは納得していただけるでしょう。

以上、ご参考までに。


Name: ゆうき
Date: 2011/03/08(火) 10:40   No:4203
解決     
Title: Re:墓地を選ぶにあたって    
早速のご回答ありがとうございます。
先祖の法要のことですが 20年程前に 母親が亡くなっているのですが 三回忌の法要をしただけでその後何もしていません。そのような状況なので 夫の実家の件は もう分けて考えたほうが良いかとも思えてきました。
新しい霊園を選んでも連れ合いは納得してくれるとのこと その一言で ほっとしました。
予算やら何やら現実的なことも含めて じっくり考えて 夫にしっかり 報告できるようにしたいと思います。




Name: もも
Date: 2011/03/02(水) 21:12   No:4179
      
Title: 七回忌    
すみません。無知な私に教えていただきたいのですが七回忌の法要って数えで七年目で満で六年目にすると聞いたんですがそれは亡くなった年から数えて六年目なのか又はちょうど七年目なのかどちらが正しいのでしょうか。うちの父が平成18年に亡くなっていて今年がちょうど亡くなって六年目で来年が七年目なんですが今年と来年とどちらで法要をしてあげるのが正しいのでしょうか。馬鹿な私に教えて下さい。どうかよろしくお願い致します。


Name: 一九
Date: 2011/03/03(木) 06:43   No:4184
    
Title: Re:七回忌    
亡くなってちょうど1年目が一周忌、2年目が三回忌、・・・6年目が七回忌ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E5%BF%8C
そういえば我が家も同じ平成18年、今年七回忌になるのを思い出しました。
ありがとうございます。^^


Name: 天台沙門
Date: 2011/03/03(木) 11:00   No:4185
    
Title: Re:七回忌    
字義の点から言いますと「一周忌」は「亡くなって1年経ちました」ということで、「三回忌」からは「亡くなって3年目が始まります」ということになるようです。

三回忌は儒教における親の服喪期間が2年であることから服喪明けの法要として設けられたようですし、陰陽五行説に基づき「陰」である死者のための祭には、「陽」である奇数を用いるのだそうです。また、七回忌(六周忌)は干支が半分まわったという意味あいでしょう。善光寺のご開帳や諏訪の御柱祭も、開催年を1年目と数えて7年毎に行われますが、その干支は決まっています。

本年は、2005(平成17)年に亡くなった方々の七回忌の年にあたります。ですから、平成18年に亡くなられたご父君の場合は、来年のご命日が七回忌にあたります。


Name: 光明
Date: 2011/03/03(木) 11:29   No:4186
    
Title: Re:七回忌    
くどいようですが老婆心ながら・・・
亡くなられた年が平成18年なら

平成18年=1年目 一周忌(つまり数え年でカウントします)
  19年=2年目
  20年=3年目 三回忌
  21年=4年目
  22年=5年目
  23年=6年目
  24年=7年目 七回忌

天台沙門様のおっしゃるとおり来年の祥月命日が七回忌ですので
その祥月命日もしくは御都合によってその数日前頃に七回忌法要
を行われればよいと思います。


Name: 一九
Date: 2011/03/03(木) 22:47   No:4187
    
Title: Re:七回忌    
七回忌は来年みたいですね。
私が勘違いしていると思います。
ごめんなさい。
他の方のお返事を参考にしてください。


Name: 光明
Date: 2011/03/03(木) 23:47   No:4188
    
Title: Re:七回忌    
わー、一周忌を間違えてました。

以下のが完璧OKです。

平成18年=1年目(つまり数え年でカウントします)
  19年=2年目 一周忌
  20年=3年目 三回忌
  21年=4年目
  22年=5年目
  23年=6年目
  24年=7年目 七回忌




Name: もも
Date: 2011/03/04(金) 23:28   No:4193
    
Title: ご返信を下さった皆様へ    
ご親切な御回答を下さった皆様、有り難うございました。お恥ずかしいことですが私自身、回忌法要の数え方がよくわからなくて困っておりました。こちらに相談させていただき助かりました。有り難うございました。

Name: 一九
Date: 2011/03/05(土) 06:15   No:4194
    
Title: Re:ご返信を下さった皆様へ    
大丈夫、恥ずかしくないです。
私のほうがもっとわからなかった。^^




Name:
Date: 2011/03/03(木) 02:23   No:4181
      
Title: お塔婆の意味    
お塔婆ってどんな意味があるのでしょうか?

週に一度、お寺に行く度に線香とお塔婆をあげて(表現がわからなくてすみません)くるのですが、週に一度のお塔婆ってやりすぎですか?

また、お寺へ行く時のマナーを教えてください。

神社なら、二礼二拍手一礼とか、真ん中は歩かないとか聞いたことがあるのですが…



Name: 天台沙門
Date: 2011/03/04(金) 18:33   No:4191
    
Title: Re:お塔婆の意味    
「お塔婆」は正式には「卒塔婆」と言いまして、古代インドのサンスクリット語の「ストゥーパ」という言葉の音に漢字をあてたものです。「塔婆」が略され「塔」になりました。
もともとストゥーパとは墓を表す言葉でしたが、仏教では仏舎利を祀った建造物つまり釈尊のモニュメントを示す言葉になります。釈尊のモニュメントを建てることは善行ですから、例えば日本では大寺院に五重塔が建造されました。その五重塔を簡略化したものが、五輪塔であったり板塔婆であったりするわけです。
つまり、卒塔婆とは釈尊にならったお墓の様式なのです。あとは抽象化された仏像でもあるのですが、ここでは措きます。



週に一度、卒塔婆をあげられているとのこと、ありがとうございます。
この件については、私としては月命日だけでも充分すぎるのではないか、と感じます。



寺院参拝のマナーですが、住職さんに挨拶をして、本尊さんにお参りをして、それから墓参していただければ丁寧でしょう。
住職さんへの挨拶は、訪問者としての礼儀として「今日も来ました」程度に声をかけていただければ充分です。
また、本尊さんへのご挨拶は願い事(墓参・参拝の目的)を言葉にして自分の耳で聞くことをこころがけてみてください。

以上、ご参考までに。


Name:
Date: 2011/03/04(金) 19:06   No:4192
解決     
Title: Re:お塔婆の意味    
由来まで教えてくださってありがとうございます。

初めてお寺へ行った際、お塔婆をあげるタイミングというか、回数を聞いたら「お気持ちですから」とのことだったので、毎回あげていました。

ちょっとした拍子に立てかけられているお塔婆を見たら、私の名前のものばかり(同姓の方かもしれませんが)だったので、気になってしまいました。

これからは、月命日にしようかと思います。

本当にありがとうございました。




Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 00:21   No:4172
      
Title: 先祖の供養    
供養について、深く探れば探るほど、分からなくなってきます。戒名が無ければ成仏できないと言う人もいるし、生前の名前のままで十分だと言う人もいる。位牌は短冊に書けば宜しいと言う人もいるし、一柱ずつ安置すべきだと言う人もいる。位牌の大小、供物の並べ方、仏壇の向きも正確にしないと霊障が起きると言う人もいるし、先祖が霊障を起こすわけがないと断言する人もいる。…家の仏壇には位牌の代わりに短冊に先祖の生前の名前を書いて安置しております。戒名は宗教的な理由からありません。花を供え、お経を唱え、食べ物を毎日供えます。お寺やお坊さんとも縁は薄いです。遺族の気持だけでは先祖は成仏しないものなのでしょうか。皆さんは個人的にどうお感じになりますか?


Name: 一九
Date: 2011/03/02(水) 05:51   No:4174
    
Title: Re:先祖の供養    
ここでもいろんな意見が出て面白いと思いますよ。
何がよいかは自分がクリエートするんですけど、先祖の習慣はできるだけ尊重したほうがよいと思います。
代々戒名や位牌があって、本人もそのつもりで亡くなられたのであれば、それはあったほうがよいと思います。

先祖供養は家族関係の延長ですから、大切なことは先祖への思いやりです。
人によりますが、特に依存的な人は、先祖からの霊障を受けやすいようです。
理屈の問題ではなくて感情の問題ですから。

先祖が成仏するかどうか?
家族関係で残したその人の思いを、生きている人が十分に感じてあげたらよいです。
それから自分の好きな神仏(キリストでOK)に成仏をゆだねること。



Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 09:45   No:4175
    
Title: Re:先祖の供養    
一九さんありがとうございます。さまざまな意見がある中で、やはり私も供養の精神が根幹であると思います。しかし、葬儀にも、火葬埋葬にもお坊さんは呼ばない、お寺で供養をしていない、戒名はない、位牌について教えてくれる人もいないという具合で、あまりにも簡略すぎると私的には思っています。親や伯父伯母が某に入っている影響です。祖父母の霊も供養しておりますが、生前、その某を内心では毛嫌いしておりました。難しい問題です。

Name: 天台沙門
Date: 2011/03/02(水) 15:27   No:4177
    
Title: Re:先祖の供養    
よくいわれることですが、釈尊在世の時代には先祖供養という概念はありませんでした。インド的な輪廻転生の思想では、先祖(に代表される人々)の霊魂は一定の期間を過ぎると新しい肉体を得て生まれ変わってくるので、遺された人々ができることは故人がより良いカーストに生まれ変わることを祈ることだけでした。

仏教が「先祖供養」を重視するようになったのは、中国文明における「孝」を取り込まざるをえなかったからです。いうまでもなく、祖霊崇拝は人類普遍の信仰感情といってよいですから、どういった宗教でも祖霊崇拝の要素を取り入れざるをえないでしょう。

にもかかわらず仏教的に「先祖供養」というものに正当性を与えるとするならば、やはり仏教の基本的教理である「縁起説」に基づかねばなりません。
「縁起説」とは「すべての物/事は、因と縁という相互の関係性のなかで成立しており、独立・固定した実態をもちえない」という思想です。当然、生物としてのヒトの因(直接的原因)は生物学的な親子関係にほかなりませんし、存在としての人の縁(間接的原因)は血縁・地縁という人間関係全体にほかなりません。

つまり、「先祖」とは自分自身に関わるすべての人間関係のうち、具体的にイメージできる血縁者のことです。したがって、「先祖供養」とは故人となった具体的な血縁者に代表される自分自身につながる人々の縁を考えるということになります。



位牌とは亡くなった故人の人格の象徴物です。そこに記される戒名とは、本来は死者のための名前ですが、私は墓碑銘の代替物であると考え、壇家さんにもそのようにおつけしたい、とお話ししております。

「成仏」とは「仏に成ること」です。具体的には、釈尊と同等の「覚り/悟り」を得ることですが、昨今の言葉ならば「自己実現を達成する」としてもよいでしょう。仏教のうち、密教思想では精神的・肉体的な限界から自由になり宇宙そのものである大日如来と一体化することを言います。似て非なる言葉に「往生」というものがあります。


Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 19:00   No:4178
    
Title: Re:先祖の供養    
天台沙門さん、お詳しい解説ありがとうございます。すると、先祖供養とは今を与えてくれた先祖への孝の精神が形になったものであり、孝を尽くすのに特定の方法や形式といった型は必要ない、という解釈になりましょうか。私のできる範囲での供養しかできませんが、供養に型がないのなら安心なのですが…。

Name: 一九
Date: 2011/03/03(木) 06:00   No:4183
    
Title: Re:先祖の供養    
キリスト教ではなくて某でしたか。
たとえお寺で供養しなくても、位牌や戒名がなくても、儀式や形式は故人への思いやりを形にした効果ですからね。
供養の主体はあくまで生きた家族であって、儀式や形式が何かをするわけでありません。
家族の誰かが故人に対する思いやりを持っていれば大丈夫ですよ。
ご先祖様にもその旨事情をよくお話されたらよいと思います。




Name:
Date: 2011/02/25(金) 14:59   No:4165
      
Title: 仕事を辞める?続ける?迷っています    
訳あって、ふたつ仕事をしています。ふたつのうち、
午前(早朝)の仕事がイヤでイヤでたまりません。

理由はたくさんあります。
上司の言葉遣いが悪いこと。ちくしょう、うるせえ、など日常的に使います。
それから、女性のパートさんたちが卑屈なこと。上司の言葉遣いにも関係しますが、仕事で失敗があると、小さなことでも怒鳴られ、罵倒されるので、怖くて顔色ばかりうかがっています。自分が叱られないために、他の人のミスを、上司に逐一報告する人もいます。

そして、一番大きな問題はイジメです。私はまだ新人ですが、遅刻も欠勤もせず頑張って働いているつもりです。でも、それが気に食わないらしく、陰で悪口を言われています。いい子ぶりっこ、優等生のフリしている、裏表がありそう、と言われているのを偶然聞いてしまいました。気の合う同僚もいません。話しかけても無視されることの方が多いです。

上司は悪口を言っている女性たちに気づきません。絶大な信頼をおいて、彼女たちが私のことを悪く言うと鵜呑みにして、翌日しかられます。仕事上のことだけでなく、協調性がないとか、マイペースすぎるとか、暗いとか、性格、人間性まで否定されます。

私は遅刻しないように早めに出勤し、みんなが仕事にとりかかりやすいように準備し、おしゃべりせず、ひとり黙々と働いているだけで協調性がないと言われるのです。いまのところ、仕事で大きなミスはしていません。マニュアルどおりに、ただただ毎日働いているのですが、もうイヤになってしまいました。

朝、起きると吐き気がします。夜は腹が立って眠れないこともあります。上司の顔を思い出しただけで、鳥肌が立ちます。

先日、もう耐え切れなくて上司に辞めたいと申し出たところ、早朝の仕事は求人募集しても人が来ないのはわかっているだろう?辞めるなら2ヶ月以上先にしてくれ、会社の状態を考えない、不誠実なヤツだな、常識がないと言われました。

私は生活のため、会社のため、このまま働き続けるべきでしょうか?今日も体調が悪く、食事がのどを通りません。どうかアドバイスをお願いします。



Name: 一九
Date: 2011/02/26(土) 08:23   No:4166
    
Title: Re:仕事を辞める?続ける?迷っています    
仕事を辞めるかどうかは高度に自分が判断することです。
神さえ口出ししませんのでね。
参考まで仏教的な見方では、自分の身の回りに無意味なことは起こりません。
すべては自分の学びのため周到に準備されたことです。
学びというのは受け容れる力(うつわ)を大きくすること。

そのような上司に苦しむのは、上司を否定するからで、否定はものごとを善悪でジャッジする思考習慣によるものです。
自分に都合の悪いものを「悪」とする思考習慣が上司を否定して、それが苦しみになっています。
ですから否定さえしなければ何も苦しくありません。
それが受け容れる力です。

その上司を避けても、自分が変わらなければ、また似たようなことで苦しむのではありませんか?
苦しみの原因は自分の外にあるのではなく、すべて自分の心の中にあるというのが仏教の教えです。


Name: 裟羅
Date: 2011/02/26(土) 21:38   No:4167
    
Title: Re:仕事を辞める?続ける?迷っています    
私はこう考えています。
仕事は仕事、会社にお金で自分の能力を買ってもらっているのです。
だから相手に対する感情は捨てて自分の仕事だけをやる。
とは言うものの人間ですからそんなあっさりいきませんね。
では、給料に迷惑料が入っていると言うのはいかがでしょうか。
どちらにしてもこの就職難、次を見付けてから辞めた方が良いのと、何処へ行っても合わない人はいますよ。
今の世の中人に不快感を与えて憂さ晴らししてるのがいるのです。
仏教的に考える事はとても難しく、本当は人を許せる所まで行けばご自分も楽ですが、そこまで行くまでには自分自身との葛藤、やられ損となります。
本当は我が心傷めなくてもよくできたもので、因果応報がはたらきますからね。
いずれにしても何処かで割り切って下さいね。
割り切りが答えを生んでくれますよ。
頑張って。


Name: 猿田坊
Date: 2011/02/28(月) 11:24   No:4169
    
Title: Re:仕事を辞める?続ける?迷っています    
こんにちは。スケープゴートにされてるんでしょうね。仮に貴方が辞めたとしても、誰かが同じ目に合うのだと推測します。

仕事、辞めたとして他のアルバイトなりで補って生活できそうなら、無理して続ける必要ないと思いますが……。ストレスにより身体を壊してしまうと、更にストレスがかかりますよ。
辞めても大丈夫だと思えるなら、「あと二週間、体調が悪いならそこで辞める」等と期限を決めるのもアリだと思います。私の場合、この方法で心がふっ切れたせいか、身体はよくなりました。

まあ、どこにいっても悪く言う人はいますし、程度が違うくらいだと思います。
そういうことに慣れ、うまく心の中で折り合いをつけていくことは、社会で働くには必要だと思いますが、今の環境が余りにも"負荷が高いレベル"なんじゃないでしょうか。きついなら無理しない方がいいと思います。
「魂の学び」が必要なら、どこにいったって何したって学ぶはずですから、気にしないでいいのではないかと。

なお、スケープゴートになってるのだったら、何をしても無視されるとかけなされるのがオチです。一切、相手にしない(意に介さない)のがベストです。自分が傷つくだけなので。
新しい人が入ってくるなりして、新しい「ネタ」ができれば、スケープゴートじゃなくなる可能性はありますが、『皆で仲良く働く環境』を望むのであれば、今の職場は難しいんじゃないかと思いますね。

参考までにですが、仏教的には『諸法無我(しょほうむが)』という真理があります。
ざっくりいうと、「私」という固定した実体はないということです。

例えば、人の評価ってバラバラですし、自分が思うように自分をかえることできないですよね。
じゃあ、本当の「私」は?となるわけですが、そんなものはないよ、幻想だよ、というわけです。
「私」と思ってるものは、様々な要素(環境、状況、人、物質など)により成り立っているため、常に変わりつづけているんです。

前置きが長くなりましたが、今の貴方の頭の中にある「貴方」の像は、現実には存在しないものだと言えるのです。「私」がそもそもない・固定していない存在ですから。
同様に、他人についても同じことが言えるのです。いつも同じ「あの人」というのは成り立たないのです。

となると、同じ人に会っても、毎日が白紙の出会い・一期一会となるわけです。あの人は嫌な人、あの人はいい人といった、固定した「あの人」は存在しないのです。

長文失礼しました。




Name: 春日
Date: 2011/02/22(火) 01:22   No:4162
      
Title: お世話になった方へ    
私はある団体に所属しているのですが、先日その団体の大先輩が亡くなられた際に、我が団体に多額の寄付をいただきました。そこでこちらもお葬式と一周忌の際にはお花とお手紙を送らせていただきました。
しかしながら三周忌におきまして、こちらの不手際により特にご挨拶することなく過ごしてしまい、すでに半月以上たってしまいました。
今から何かしらの挨拶をするならば、どのようにするのがよいでしょうか。今からでは逆に失礼にあたってしまうのでしょうか。
素人にはどうにも判断がつきかねましたので、お知恵を拝借できればと相談いたしました。
よろしければご意見お聞かせください。



Name: 沙羅
Date: 2011/02/22(火) 13:40   No:4163
    
Title: Re:お世話になった方へ    
もうすぐお彼岸がまいります。
その時に、進物線香とお手紙をお送りすれば良いのではないですか?
お手紙には3回忌に念が行き届かなかった事をお詫びされてもよいですし、貴方の想いは通じると思いますよ。
特に失礼になるような事はないと思います。



Name: 勝運寺山主
Date: 2011/02/22(火) 21:08   No:4164
    
Title: Re:お世話になった方へ    
沙羅様がお書きになっているように彼岸の時に過日の非礼を謝し
た手紙を添えて負担に思わない程度の御供え物を送られるかもしくは持参されると良いでしょう。




Name: 霊?
Date: 2011/02/18(金) 03:04   No:4157
      
Title: 無題    
彼女の身に変な事が起きています。
元々彼女は霊的なものが感じられるのですが
ここ一週間くらいから自分の部屋で寝るとだれもいないのに足音がし、寝てるときに体を揺さぶられ起こされ寝れないとのことです。また、ラップ音もすごいそうです。
自分の部屋以外で寝るとなんともないのですが自分の部屋だとそういった現象が起き悩んでいるそうです。

何故いきなりこんな現象が起きるようになったのでしょうか?
どうすればこの現象をなくすことができるでしょうか?
どなたかお教えください。



Name: 一九
Date: 2011/02/21(月) 05:36   No:4159
    
Title: Re:無題    
部屋の浄化であればホワイトセージを焚くのが簡単です。
ほかにはお鈴(おりん)などの鳴り物、キャンドルなどの炎も有効です。
仏具の3点セットですよ。
それから部屋はよく整理整頓しておかれたらよいと思います。




Name:
Date: 2011/01/28(金) 13:11   No:4096
      
Title: 水子供養について    
初歩的なことですみません。

いろいろな理由から、1月13日に赤ちゃんとさよならしました。

実家にはお墓がないので、お寺にお願い(納骨?)することにして、20日、27日とお寺に行き、線香とお塔婆をあげてきました。

仏壇があれば毎日、線香をあげたりしますよね?でも、お寺まで遠いので、毎日は行けないです。

また、近々引っ越しをしなければならないため、お寺に行くことさえできなくなってしまいます。

このような場合、どうしたら良いのでしょうか?

正しい供養の仕方を教えてください。



Name: 光明
Date: 2011/01/28(金) 15:26   No:4097
    
Title: Re:水子供養について    
供養は心がけというか思いが大切ですから、お寺などに行けない場合は、自作でも良いのでホームセンターなどで(位牌のイメージ)手頃な大きさの木片を買い、自分でつけた水子さんの名前を墨汁などで書いて、日々般若心経などを手向けられればよろしいでしょう。
その時の気持ちとしては、いたずらに自分を責めることなく、縁のあった魂をこの世でお育てすることはできなかったが、お釈迦さまにお預けさせていただきます、この世の我らとともに修行して行きましょう、というようなお気持ちがよろしいかと思います。

位牌でなくとも、手を合わせる対象としては他に、地蔵尊や観音菩薩の絵や写真でも良いし自分で作ったお守りでも良いのです。
供養というものは必ずしも「僧侶に頼まなければならない」ものではなく、自分の真摯な気持ちが一番重要です。
もちろん機会が有れば寺院に御参りされることも良いでしょう。



Name:
Date: 2011/01/28(金) 20:53   No:4098
    
Title: Re:水子供養について    
ありがとうございます。

今は起きたら一番に空に向かって手をあわせ、一週間に一度お寺へ行くことしかできていません。

私は、一人の命を奪っておいて、生きていて良いのでしょうか?


Name:
Date: 2011/01/29(土) 11:15   No:4103
    
Title: Re:水子供養について    
色々な思いがおありでしょうね。
でも子供(お腹中に宿った時から)は色々な事を教えてくれるのです。
産んであげられなくても、ちゃんと供養と言う形で子育て、そしてあなたも親として成長してゆくのですから…。
生きて、産んであげられなかった事を懺悔しながら命を大切にして下さいね。
決してあなただけのせいではないし、ご自身をせめても子供さんは喜びませんよ。
あなたが手をあわされ、幸せに暮らされる事こそ…本当の供養になると思いますから。


Name: 尊明 [URL]
Date: 2011/01/30(日) 06:03   No:4104
    
Title: Re:水子供養について    
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

さて、宗派や寺院によって供養の方法が違います。
まずは、そのお寺の方に相談されることをおすすめします。

戒名が授かっているのであれば、位牌を作られ、
ご自宅に安置されればいいでしょう。

仏壇は高価なものでもありますので、何かの箱を代用されても
かまいません。

その中に、仏様(お地蔵様)を安置されるのがいいでしょう。

よろしければ、お地蔵様は無料で差し上げております。
http://www.otera.net/1000/


Name:
Date: 2011/01/31(月) 18:14   No:4105
    
Title: Re:水子供養について    
ありがとうございます。

1人の命を奪っておいて、私だけが前向きに生きていくことが申し訳なく思ってしまうのです。自分だけ幸せになるなんて、許されないと思ってしまうのです。

供養の件は、まずお寺に相談してみます。ありがとうございます。


Name: 光明
Date: 2011/01/31(月) 21:56   No:4106
    
Title: Re:水子供養について    
立場を変えて考えてみてください。

あなたは故あってこの世に生を受けることができなかった。
あなたの母は日々「申し訳ないことをした、あなたを不幸な目にあわせた私が、幸せになったり前向きに生きて行くことができるわけがない、ほんとうにごめんなさい」
毎日こう言って暮らす母を見てあなたはどう思われますか?

「気持はよくわかりました、毎日そんなことばかり聞いてるとと私も悲しくなります、どうか前向きに生きてください」
きっとそう思うのではないでしょうか。

山川草木悉有仏性
一本の草にも仏性が宿っているのです。
水子さんの仏性が結さんの幸せを願わないわけが有りません。

最初に申し上げたように、いたずらに自分を責めることなく、縁のあった魂をこの世でお育てすることはできなかったが、お釈迦さまにお預けし、結さんが一生懸命に生き幸せになることが供養になると信じて、まずはお名前を付けてあげてください。


Name:
Date: 2011/02/01(火) 19:01   No:4108
    
Title: Re:水子供養について    
名前をつけて呼んでもいいのでしょうか?私は生きていても、楽しい思いをしてもいいのでしょうか?

なんだか、少し前向きになれる気がします。ありがとうございます。


Name: 光明
Date: 2011/02/01(火) 22:08   No:4109
    
Title: Re:水子供養について    
ぜひ名前を付けて月に一度でも語りかけてあげて下さい。

一昨年、私の姪も4人目の子供を産めませんでした。
彼女は女の子と信じて名前を付けていたので、私はそのまま戒名は付けずに、水子さんを供養をさせていただきました。

姪は小学6年の長男を筆頭に次男・長女に「○○ちゃんは産まれてこれなかったけれど、今日のご供養で小さなお坊さまになって、お釈迦様のもとで皆と同じように勉強したり遊んだりするのよ」と話しました。
それからは命日(と決めた日)に全員で般若心経をあげて、子供たちは僕は・私は・これこれで頑張ったよと、○○ちゃんに報告をするそうです。

最初は姪も複雑な心境だったようですが、子供たち以上に自分も頑張って生き、明るく楽しく笑顔で過ごすことが、この世あの世を問わず子供たちにとって一番の幸せだと解ったそうです。

どうか結さんも笑顔で日々をお過ごしください。


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/02/02(水) 14:49   No:4110
    
Title: Re:水子供養について    
結さんへ
「水子の供養について」
水子の供養を致します前にご理解いただきたい事柄がございます。
まずは「水子の側に立って、水子の気持ちを考えて下さい。仏教的には、この世界に生を受ける事は、仏様より娑婆の世界にて修行をしてきなさいと、仏様から遣わされるということです。しかし、(産む、産まないの選択は親の勝手)とよくいいますが、実は水子の側からすると、自分が産まれることにより悲劇が生まれると感じた時には、母親に対して胎児は自分を早く仏の世界へ返す事を願うのです。是により水子霊が生じてきます。
ほんの少しの間でも自分が母と思い、父と思った、縁者に不利益が起こりうるならば自分の命を代償に父母に幸せになってもらう為に生ずる現象、[生んであげられなかった]、と言う結果を水子と言います。[生んであげられなかった]と言う行為は個々の我欲が強い為生ずるとも言われておりますが、それをもすべて理解し仏の世界へ帰って行った胎児の心を理解してください。娑婆界に呼んでいただいた父母の恩に報いる為、父母に幸せが訪れるように願い仏の世界へと帰っていくのです。どうか忘れないでくださいこの子達のことを。あなたの幸せを思い仏の世界へ帰って行った子供達いる事を。」



Name:
Date: 2011/02/02(水) 21:16   No:4111
    
Title: Re:水子供養について    
ありがとうございます。

私は頑張らないといけないですよね。

自ら天へ(?)帰る意思を持つ水子のことも初めて知りました。

この子が私のところへ来てくれた意味を探しながら、生きていかないといけないですね。

この子の父親にあたる人へは供養をすすめた方が良いのでしょうか?供養は本人の気持ちが一番大切だと思うのですが、この子のことを忘れないでほしいという気持ちもあり、どうしたら一番良いのか迷っています。


Name: 勝運寺山主
Date: 2011/02/08(火) 08:44   No:4131
    
Title: Re:水子供養について    
結様へ
本人が供養をしたいと思うまで水子さんは待ってくれます。
心配しないでください。


Name:
Date: 2011/02/09(水) 00:41   No:4139
    
Title: Re:水子供養について    
わかりました。ありがとうございます。

Name:
Date: 2011/02/10(木) 23:14   No:4148
    
Title: 般若心経について    
般若心経を手向ける・あげる等のアドバイスをいただき、取り組んでみようと思ったのですが、入り口がわかりません。

図書館や書店で書籍を探したのですが、たくさん出版されているのですね。

どのようなものを選べばいいのか、アドバイスいただけませんか?


Name: 菊雅
Date: 2011/02/13(日) 09:39   No:4151
    
Title: Re:般若心経について    
供養で般若心経をあげるのなら、仏具屋さんで般若心経だけの経本は売っています。
読み方が判らないのなら、ネットのヤフーや楽天でCDが付いているのもあります。


Name: B空
Date: 2011/02/16(水) 07:47   No:4153
    
Title: Re:般若心経について    
結様

菊雅さんのご返事から数日経っておりますが、
御用は済んでおられますでしょうか?
ご供養に際して、読み方などが分からないということでしたら、
CDもありますし、ふりがな付きの経典も、
仏具やさんや書店においていますのでご随意に選ばれて良いと思います。


>図書館や書店で書籍を探したのですが、たくさん出版されているのですね。どのようなものを選べばいいのか、アドバイスいただけませんか?

ご質問の意図が意味を知りたいということでしたら、
基本的にどれでも構わないと思います。
たくさん解説書がありますが、
書いた人によって、おおよそ次のような傾向の違いがあります。
実際には綺麗に分類できるものではありません。
私は以前は書籍流通業の末端に身を置いてましたので、
お客様には次のように説明していました。

学者が書いた本・・厳密に、経典に書かれた文字を解釈することや、
哲学的意味、歴史的展開を解明していくことに力点がある。
専門的なものが多い。
平易なものがないかといえば、そんなこともありませんが、
全くの門外漢がサッと読んでサッと分かるものは少ないと思います。

僧侶が書いた本・・厳密に解釈することだけではなく、
多少厳密性を犠牲にしてでも分かりやすく書こうという意識で書かれている本が多い。
宗派の教えに沿った解釈になっていることもあるので、内容は書いた人によってかなり違う事もあります。

文化人が書いた本・・これもかなり幅があります。
仏教のお経という枠内でお経を読むのではなくて、
自由に解釈する傾向があるように思いますが、
好き勝手に解釈したものばかりでもありません。
一般に「超訳」とか「自由訳」と銘打ったものは、
経典に書かれた文字にとらわれないで、わかりやすさや日常性、
あるいはその文化人の考える空の教えを思索して、
それを経典の解釈という形で表現したものです。

スピリチュアリストが書いたもの・・
般若心経の説明というよりは、
そのスピリチュアリストの神秘体験を、
お経の説明を通して行っている人が多いと思います。
お経の内容そのものの説明としては、
認めがたいものも正直なところありますが
面白い本もあります。

こんな感じになっていますが、
実際には僧侶であり学者であるという人もいたり、
著述目的で内容が変わってきますので、
厳密に分類できるものでもありません。
どれが良い、間違っているというよりは、
お客様の目的で選ぶ本に多少の選択幅があるということです。
著者が誰だろうと関係ないという人もおりますが
常識的には、著者がどういう人かというのは
選ぶときの選択基準の一つには成りえます。

今、結様は、厳密な解釈を欲しておられるわけではないと
思いますので、一冊の本を紹介させていただきます。

画像の本、
『般若心経絵本』諸橋 精光 小学館

などではどうかと思いました。
諸橋 精光(もろはしせいこう)さんは、絵本・紙芝居作家であり
真言宗僧侶です。
『モチモチの木』(紙芝居)は、諸橋氏の代表作です。
『モチモチの木』はご存じなのではないでしょうか。
同氏は、仏教の教えを絵本にする活動もしていらっしゃるのです。

絵本とありますが、「子供だまし」という意味ではありません。
絵を使って、般若心経を説いた物語です。
小学生くらいならお子様でもなんとなく分かるような
そんな物語です。
真言宗の僧侶としての信仰から描かれた物語ですが、
特定宗派にしか通じないような狭い内容ではありません。
般若心経で説かれる内容や宗教的世界観を、
おおらかに描かれています。
かなり売れた本ですので、
図書館や大きめの本屋さんにいけば置いてあります。

この本では、般若心経は、こんな感じに説明されてます。
「仏様というのは、大いなる命であり、
私たちはその一部なんだ。
普段、私たちは、あれが良いこれが悪いとか言ってるが
仏様の境地であり、仏そのものと言っても良いハンニャハラミツの世界では、誰も彼もみんながつながっている。
気がつかないだけなんだ。
身も心も、仏様の海に投げ出すと
やがて心が静まって本来のハンニャハラミツの世界に気がつく。
仏様は、我々のお母さんだから、
赤ちゃんがお母さんに助けを求めるように、ただ求めればいい。
そうすれば、間違いなくハンニャハラミツの世界が立ち現れる」

優しい物語です。
ゆっくり味わうようにして読まれると
暖かい気持ちになるのではないかと思います。
お子様に語り聞かせてあげられるような、
そんなお経の物語になっています。
観音経でも阿弥陀経でも
どのお経を読むに際しても通用する内容になっています。
内容的にもちゃんとしています。
もともと「正解」の解釈が一通りしかないというものではありません。

その後、ご供養用の経本やcdなどを使用して、
ご供養なさっても良いと思います。
もう少し専門的な観点も入れたものが見たいのでしたら、
松原泰道(臨済宗僧侶、故人)さんの
『般若心経入門』などではどうでしょうか。
説法のとても上手な方です。

ご冥福をお祈りいたします。


Name:
Date: 2011/02/17(木) 23:49   No:4156
    
Title: Re:般若心経について    
アドバイスありがとうございました。

いろいろありすぎて悩んでいましたので、助かりました。

インターネットや書店で探してみたいと思います。




Name: エリ
Date: 2011/02/15(火) 22:32   No:4152
      
Title: お祓い、厄除けについて    
年末から不幸が続きます。私は今年厄年です。お祓いか厄除けに行きたいのですが、お寺でも神社でもやっている所がありどちらへ行けばいいのか分かりません。仏教でも神教でもありませんし。お祓いと厄除けの違いもイマイチわかりません。助言お願いします。


Name: 天台沙門
Date: 2011/02/16(水) 09:31   No:4154
    
Title: Re:お祓い、厄除けについて    
神仏と人とのことも「縁」です。
とはいうものの、いくつかの選択基準を。

まずは、お住まいに近い社寺がお勧めです。
理由としては、日常的に参拝ができるということにつきますが、古来より守り神とされてきた氏神・産土神・鎮守といった神様は、その人が生まれ育った場所の神様だったからです。

もちろん多少は遠くても著名な社寺でも良いでしょう。
この場合、いくつかの社寺をまわってみることをお勧めします。そこに行くまでの道筋や、境内の雰囲気がご自分にあう(落ち着ける・安心できる)かどうかが大切な要素だからです。静謐な雰囲気がお好みならば寺院よりは神社かもしれません。気分を高揚させたいのでしたら寺院の護摩供養に参列なさるほうがいいかもしれません。

神社と寺院との機能分化は、明治政府の宗教政策によるものです。いま現在の我々の意識が神と仏とを明確に区別していないように、飛鳥時代から明治が始まるまで神と仏とは区別されていませんでした。
下世話な表現ですが、現実生活に対する利益や功徳があってこそ、神仏は信じられてきたのです。ですから、神様でも仏様でもご自身の気分に適うほうをお選びになれば、それがよろしいと考えます。

「お祓い」と「厄除け」の違いですが、お祓いは身についてしまった災厄を祓い清めることで、厄除けは災厄が身につかないようにすることです。つまり、お祓いは病気の治療で、厄除けは予防接種にあたると、そうお考えください。


Name: エリ
Date: 2011/02/16(水) 20:44   No:4155
    
Title: Re:お祓い、厄除けについて    
分かりやすい説明ありがとうございます。
近くに真言宗のお寺と犬が瀕死の際に行きお参り、お札を買った浅間神社のどちらかにしようと思います。お祓いにするか厄除けにするかはまだ迷っています。ちなみに犬は一命をとりとめました。




Name: タイム
Date: 2011/02/08(火) 12:20   No:4135
      
Title: 顕在意識と潜在意識    
仏教の言葉には、アラヤシキ等の潜在意識の分野が登場します。ここで今ひとつ理解できないのですが、一つの「識」に、認識可能な識である顕在意識と、表裏の形で認識できない潜在意識とのニ層が同時に含有されていることなど、実際あり得るのでしょうか?認識できる識の状態であれば「識」はすべてが顕在意識、認識していない状態での「識」であればすべてが潜在意識、と時系列的に「識」が顕在と潜在の相互の裏返しを繰り返すというなら理解できます。しかし一時点において、一つの「識」に認識できる部分と認識できない部分があるというのなら、「識」は部分を分かち二つある(含有する)ことになり、その時点で一元的な解釈が成立しないような気がします。



Name: 一九
Date: 2011/02/11(金) 04:57   No:4149
    
Title: Re:顕在意識と潜在意識    
それは考えてわかることじゃなくて、感じてわかることですよ。
私は唯識学はよくわかりませんのでとりあえずのお返事ですが、阿頼耶識は蓄積された感情のことだと思います。
怒ったり悲しんだりする気持ち(感情)ですね。
それはカルマの媒体、自分という個を生ずる源泉です。

言葉は地上の現象を表現することはできますが、阿頼耶識はそれを超えたものですから、言葉の理屈で云々できることではありません。


Name: 天台沙門
Date: 2011/02/12(土) 10:42   No:4150
    
Title: Re:顕在意識と潜在意識    
ご質問における

>一つの「識」に、認識可能な識である顕在意識と、表裏の形で認識できない潜在意識とのニ層が同時に含有されていることなど、実際あり得るのでしょうか?

については、

認識行為には、「認識すること」という随意的な「表」のありかたと「そう認識してしまうこと」および「そう認識したくないこと」という不随意的な「裏」のありかたが、相互補完的に機能していると解釈しておいたほうが現実的です。

とお答えできます。また

>一時点において、一つの「識」に認識できる部分と認識できない部分があるというのなら、「識」は部分を分かち二つある(含有する)ことになり、その時点で一元的な解釈が成立しないような気がします。

については、

単に認識能力または認識機能が認識対象とミスマッチをおこしているならば、認識対象たる「識」に認識可能部と不可能部が発生することは自然にありえます。実例として、外国語の歌劇を聴取した場合に旋律やハーモニーは認識できても歌詞内容は認識できないわけですが、しかし劇全体は当方が外国語歌詞を解釈できなくても一体のものとして存在しますし、歌詞を理解せずとも当方が劇全体に感動することも可能でしょう。

とお答えしておきます。



そもそも「潜在意識(または無意識)」という術語は、西洋の精神医学や心理学において「自覚されていること/もの」を「意識(すなわち顕在意識)」と定義し、これに含まれない部分を「潜在意識(または無意識)」として再定義したものと考えられます。フロイトやユングの解説書には、海に浮かぶ氷山の絵を用いて、海面の上にある部分を「意識(イドまたはエゴ)」・海面の下にある部分を「無意識(エスまたはセルフ)」などと説明しています。ですから、「潜在意識」という術語そのものが「顕在意識」との同時性を前提にしているのです。

仏教の教理的をみると「識」という言葉が二義性をもちます。
第一義は「認識機能」です。
『般若心経』を引用しましょう。
「照見五薀皆空、度一切苦厄。舎利子。色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是。」
ここに記された「色受想行識」が「五薀」です。五薀とは認識行動における情報処理の過程と考えてよいでしょう。「色」は外的環境です。「受」は情報の入力です。「想」は入力と記憶との突き合わせです。「行」は突き合わせの結果の判断です。そして「識」が認識機能です。
第二義は「認識されたもの/こと」です。
『般若心経』の引用を続けます。
「是故空中、無色無受想行識(五薀)、無眼耳鼻舌身意(六根)、無色声香味触法(六境)、無眼界乃至無意識界(六識)」
この引用文末尾の六識が「認識された認識対象」としての「識」です。
このあたり、きちんと用語と用法の対応を明確にすることが必要です。

ところで、ご質問の冒頭にあるアラヤシキ(阿頼耶識)についてです。
唯識学では「認識」の実際は「アーラヤ識に映っている、いわば虚像の認識」にすぎず、我々はその虚像を実存と誤解しているだけで、外界の「色」は存在しないという理解に立ちます。
このアーラヤ識は、「認識されたもの/こと」の集合体でありつつ、かつ認識機能の本体でもありますが、しかし人が自覚的に働かせることはできない潜在的機能です。このアーラヤ識の上位(下位?)に、認識主体の意志とは関わらず自我の実在を認識し続ける認識機能としてのマナ識(未那識)が存在します。
第6識までの識は自覚的に働く認識機能なので「顕在意識」に属します。第7識であるマナ識と第8識であるアーラヤ識は自覚的には働かないとされていますから「潜在意識」に属します。冒頭で「認識してしまう」・「不随意的」という表現を用いたのは、自律的な認識機能を発揮してしまっているという、この理解に基づきます。
やはり、仏教思想においても意識と無意識は並列的または重層的に機能していると考えられているわけです。




Name: 明宏
Date: 2011/02/08(火) 12:31   No:4137
      
Title: お唱え    
仏壇にて朝晩、供養する際に私は光明真言、お題目の後に

○◎家先祖代々霊位
水子の霊位
一切有縁無縁の霊位
母方の祖父の戒名
を唱えてますがどうでしょうか?
他に南無ほうかいばんれいなど言ったほうがいいですか?



Name: 天台沙門
Date: 2011/02/10(木) 15:14   No:4145
    
Title: Re:お唱え    
今お唱えいただいている尊号以外でしたら、当然ながら、ご本尊の宝号をお唱えいただければ必要にして充分だと考えます。

「南無ほうかいばんれい」の件ですが、漢字にすれば「法界万霊」で、つまりは三界万霊のことなので「一切有縁無縁諸精霊」として唱えていただいております。


以上、ご参考までに。


Name: 明宏
Date: 2011/02/10(木) 20:49   No:4147
    
Title: Re:お唱え    
ありがとうございました。
参考にします。





 
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