僧になりたいご相談
お坊さんになりたいと思い、知人の僧侶に相談しました。
僧侶になる方法についても教えていただき、私がなぜ僧侶になりたいのかという動機についても、その方には詳しくお話ししています。
私は、将来お寺の住職になることを目指しているわけではありません。
生活については在家の仕事でまかないながら、僧侶として本格的に仏教や宗教の世界に入り、学びたいと思っています。
これまで仏教については、本を読むだけでなく、仏教系の大学や大学院に入り直して勉強してきました。
ですから、これから学びたいのは「本で学べる仏教」ではありません。
実際に宗教の世界に身を置き、修行や日々の生活、人との関わりを通して、本だけでは分からない仏教を学びたいのです。
しかし、一つ大きな悩みがあります。
それが「宗派」です。
日本で僧侶になるためには、基本的にどこかの宗派や宗門に所属することになると思います。
ところが、私は「この宗派でなければならない」と決めることができません。
念仏にも意味があると思います。
坐禅にも意味があると思います。
祈りや祈祷にも意味があると思います。
それぞれの宗派の教えを学ぶと、それぞれに納得できる部分があります。
だからこそ、一つだけを選ぶことが難しいのです。
また、僧侶になった後、自分自身の考えと所属する宗派の教えが違ってきた場合はどうすればよいのでしょうか。
たとえば、病気の方から「祈りによって病気を治したい」と相談された場合です。
私は、祈ることを否定するつもりはありません。
祈りによって不思議なことが起こる可能性もあるかもしれないと思っています。
しかし、「祈祷をすれば必ず病気が治る」とまで確信しているわけではありません。
宗派によっては、そのような考え方について明確な立場があると思います。
その場合、
「宗門ではこのように教えていますが、私は別の可能性もあるのではないかと考えています」
ということを僧侶が言ってもよいのでしょうか。
それとも僧侶になる以上、その宗派の教えを全面的に信じなければならないのでしょうか。
もちろん、さまざまな宗教の都合のよい部分だけを寄せ集めて、自分勝手な宗教を作りたいわけではありません。
できることなら、さまざまな教えを実際に学び、経験したうえで自分の道を見つけたいと思っています。
このように宗派を一つに決めきれない状態でも、僧侶を目指してよいのでしょうか。
勝運寺住職からの回答
ご相談を拝見しました。
仏教系の大学・大学院まで進まれ、それでもなお「もっと仏教を学びたい」と考えておられる。
まず、そのお気持ちは大切になさってください。
ただ、一つ考えていただきたいことがあります。
それは、
「なぜ、僧侶にならなければならないのでしょうか?」
ということです。
仏教を学ぶことと、僧侶になることは、同じようで少し違います。
僧侶にならなくても、お経を学ぶことはできます。
坐禅もできます。
念仏もできます。
仏教書を読み、寺院を訪ね、法話を聞き、仏道を実践することもできます。
それでもなお、
「私は僧侶になりたい」
と思われるのであれば、その理由をもう一度、自分自身に問いかけてみてください。
僧侶とは「仏教を知っている人」ではありません
長く仏教を勉強すれば、僧侶になれる。
たくさんのお経を覚えれば、立派な僧侶になれる。
私は、そうではないと思っています。
僧侶になりますと、さまざまな方から相談を受けることになります。
「母が亡くなって、何もする気になれません」
「子どもを亡くしました」
「夫を亡くして、一人になりました」
「自分も死ぬのが怖いです」
「どうして私だけ、こんな苦しい目に遭うのでしょう」
こうした問いを前にした時、仏教学の知識だけでは答えられないことがあります。
むしろ、答えなどないことの方が多いかもしれません。
それでも、その方の前に座る。
話を聞く。
一緒に悲しむ。
そして、手を合わせる。
私は、そこにも僧侶の大切な役割があると思っています。
宗派を選べないことは悪いことでしょうか?
私は、必ずしも悪いことだとは思いません。
仏教には長い歴史があります。
その中から、さまざまな教えや修行方法が生まれました。
念仏によって阿弥陀仏を求める道。
坐禅によって自己を見つめる道。
題目を唱える道。
真言を唱え、祈りを修する道。
それぞれに長い歴史があります。
どれか一つを学んだからといって、他の仏教をすべて否定しなければならない、と単純に考える必要はないでしょう。
ただし、ある宗派の僧侶になるのであれば、その宗派が大切にしてきた教えや伝統を尊重する責任があります。
自分の好き嫌いだけで、
「私はこの部分は信じますが、これは気に入りません」
というだけでは、宗門に所属する意味がなくなってしまいます。
疑問を持ちながら仏道を歩んでもよい
「信仰が完全に定まっていなければ、僧侶になってはいけないのでしょうか?」
私はそうは思いません。
むしろ、仏道とは問い続ける道でもあります。
お釈迦様も、
「なぜ人間は苦しむのか」
という問いから出発されました。
生とは何か。
老いるとは何か。
病とは何か。
死とは何か。
私は誰なのか。
どう生きればよいのか。
そうした問いに簡単な答えが出ないからこそ、人は仏道を歩むのではないでしょうか。
ですから、
「分からない」ことを恥ずかしがる必要はありません。
ただし、分からないことを分かったように語らない。
これは僧侶にとって、とても大切なことだと思います。
「宗門ではこのように教えています。しかし、この問題について私はまだ勉強中です」
そう言える僧侶がいてもよいのではないでしょうか。
「宗派」より先に「師」を探してみてください
ご相談を読んでいて、私が一番お伝えしたいのはこのことです。
宗派を探す前に、師を探してみてください。
「どの宗派が正しいのだろう?」
と考え続けても、なかなか答えは出ないでしょう。
それよりも、
「このお坊さんから仏教を学びたい」
と思える人を探してみてください。
お寺を訪ねてみる。
法要に参加してみる。
坐禅をしてみる。
写経をしてみる。
朝のお勤めに参加してみる。
掃除を手伝ってみる。
そして、そのお坊さんが困っている人にどのように接しているのかを見てみる。
説法が上手かどうかだけではありません。
人が見ていないところで、どのような生き方をしているのか。
そこを見てください。
「この人のそばで仏教を学びたい」
そう思える人に出会えたなら、その方が所属している宗派が、あなたにとって仏道への入口になるかもしれません。
仏教は「頭」で学ぶだけではありません
大学や大学院で仏教を学ばれたとのことです。
それは大きな財産だと思います。
しかし、仏教にはもう一つの学びがあります。
それは、
自分自身を通して学ぶことです。
掃除をする。
お経を唱える。
人の話を聞く。
病人を見舞う。
亡くなった方の前でお経を読む。
ご遺族と一緒に涙を流す。
理不尽なことに出会う。
自分の未熟さを知る。
その一つ一つが仏道の勉強です。
経典を百冊読むことより、一人の悲しんでいる人の隣に黙って座ることの方が、仏教を教えてくれる場合もあります。

僧侶になってからが仏道の始まり
僧侶になれば、仏教が分かる。
私はそうではないと思います。
得度をして衣を着ても、煩悩はなくなりません。
迷います。
腹も立ちます。
失敗もします。
「自分は僧侶なのに、なぜこんなことで悩むのだろう」
と思うことさえあります。
しかし、それでよいのです。
迷わなくなった人が僧侶になるのではありません。
迷いながらも仏さまの教えを求め続ける人が、仏道を歩むのです。
ですから、今の段階で無理に、
「私はこの宗派を完全に信じています」
と決める必要はないと思います。
まず、
「私は何のために僧侶になりたいのか?」
その問いを大切になさってください。
そして、
「この人から学びたい」
と思える師を探してください。
宗派は、そのご縁の先に見えてくることがあります。
僧侶になることが目的ではありません。
僧侶になったその日から、
「私はどう生きるのか」
という、本当の修行が始まるのです。
お寺ネットから
「僧侶になりたい」「お坊さんになるにはどうすればいいのか」という相談では、最初から宗派を決められない方も少なくありません。
僧侶になるための制度は宗派によって異なり、得度、師僧、修行、僧籍取得など、それぞれに定めがあります。
しかし、制度を調べる前に、
なぜ僧侶になりたいのか。
誰から仏教を学びたいのか。
この二つを考えてみることも大切です。
仏道は、資格を取るための道ではありません。
人生を通して学び続ける道です。
宗派について迷っている方、僧侶になりたいけれど何から始めればよいか分からない方は、一人で結論を急がず、まず身近なお寺や信頼できる僧侶に相談してみてください。
お寺ネットには、僧体験できるお寺も紹介しております。参考までに踏み出し見てください。

お寺ネット 仏事相談
仏事・供養・お寺・僧侶・戒名・葬儀・法要など、「こんなことをお坊さんに聞いてもいいのかな?」ということでも、お気軽にご相談ください。

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