戒名・法名・法号とは何か?と問う前に、仏教とは何か?を知らなければ始まらない。
はたして、仏教とは何でしょうか?
多くの方は、普段お寺との付き合いは、ほとんどないに等しい。
最近お参りに行ったお寺はどこですか?と質問すると
菩提寺ではなく「浅草寺」や「東大寺」「薬師寺」といった観光目的のものがほとんどです。
そこで、本尊は?何をお参りしてきたの?と聞くと何も答えられないのである。
日本人のほとんどは「仏教徒」であるといわれています。
葬儀の9割が仏教で行われている事を考えるとまさに仏教大国である。
それほど仏教を信仰している人が多いにも関わらず、あなたの宗教は?
と質問すると「特にない。」「無宗教」という回答がかなりあるのではないでしょうか?
これは、不思議な現象ですね。
ほとんどの方が仏教徒であるはずなのに「無宗教」
七五三や地鎮祭は、神社で。
結婚式やクリスマスはキリスト教
葬儀になって急に仏教徒になるのである。
仏教の始まりは、インド「お釈迦様」
皆さんこれはよくご存じですが、インドの教えが、日本に浸透し、日本に千年以上根付いているのです。
お釈迦様の教えとは何か?
様々な教えが(それをインドでは誇張して84000種類の教えがあるといわれます)ある中で、有名なのが般若心経に代表される「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知ることから始まります。
一切皆苦(いっさいかいく)
なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。
仏教ではこの原因を、「諸行無常(すべてはうつり変わるもの )」で、「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」という真理にあると考えます。
これらを正しく理解したうえで、世の中を捉えることができれば、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる――。
つまり、苦しみから解放される、とお釈迦さまは説かれています。これが、目指すべき「涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す”さとり”)」です。
一切皆苦―人生は思い通りにならない
まず、お釈迦さまは、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである、という真理を説いています。
人は、生まれ・年を取り・病気になって・死んでいきます。
これを、生老病死の四苦といいます。これに、愛別離苦(大好きな人とも別れなければならない苦しみ)・怨憎会(おんぞうえ)苦(会いたくない人に会わなくてはならない苦)・求不得(ぐふとく)苦・五陰盛(ごおんじょう)苦の四苦を加えて四苦八苦です。
死苦
そうです。だれも避けることなく、必ず死ぬのです。
生あるものすべて亡くなります。その「死」の苦しみからの克服が宗教の第1義であります。
また、愛別離苦 愛する人と別れなければならないという苦しみです。
優しかったお母さんともたくましいお父さんともいつかは別れないといけません。
愛する我が子ともです。小さな我が子が交通事故や病気などで親より先に亡くなる苦しみは想像に絶するものがございます。
普段は、あまり考える事のない「死苦」しかし必ずやってくるのです。避けることが出来ません。
平易にお伝えすると、仏教は、それをしっかりと見つめるのだと説きます。
思い通りにならないことを、思い通りにしようとするから苦しみのである。
それを克服した先に心の平安があるのだと説きます。
その救いの為の方法には様々な方法があり、それを各宗各派の祖師・開祖・高僧が伝えてきたのである。
座禅を中心としたのが、禅宗であり、法華経を中心としたのが日蓮宗であり、浄土を中心としたのが浄土宗・浄土真宗です。
仏教は、釈迦に始まりひとつの心理
日本に伝わってきたのが、大乗仏教であり、まずは、奈良仏教(法隆寺や東大寺・薬師寺など)が広がります。
その後、平安仏教として比叡山 天台宗や高野山 真言宗が出来ていきます。
天台宗は、総合仏教と言われ、さまざまな仏教の教えが伝わってきました。
お経とは、お釈迦様が書き写したものではなく、お釈迦様が説法をされた内容をお弟子様が聞いたことを文面化したものになります。
ですからお経の始まりは「如是我聞」(われかくのごとき聞けり)として始まっているものが多くあります。
天台の教えを学んだ中で、難解な仏教を学ぶことではなく、「浄土経」と言われるお経から浄土に救いを求めたのが「浄土宗」であり、「浄土真宗」です。いや、座禅が一番だと、禅を中心に置いたのが禅宗と言われる「曹洞宗」「臨済宗」です。
いやいや法華経が一番素晴らしいと説いたのが「日蓮宗」であります。
天台のお経は、朝題目に夕念仏といわれるのは、両方のいいとこどりを取ったわけではなく、現代の教えを学んである姿勢であり、浄土宗や日蓮宗は、専門特化したといっても良いでしょう。
日本人で戒名を初めて授かったのは、聖武天皇
日本に仏教が伝わったのが538年と言われています。
しかし、それから200年ほど過ぎて、仏教は伝わっても「戒律」が授かっていないとなります。
仏教徒になるには、戒律を授かることが仏教徒になる資格でもあります。
その戒律とは、日本では、五戒
1.不殺生戒(殺すな)
2.不偸盗戒(盗むな)
3.不邪淫戒(みだらな異性関係を持つな)
4.不妄語戒(嘘をつくな)
5.不飲酒戒(酒を飲むな)
この戒律を御仏の前で誓った時、仏教徒となり、仏弟子となるのです。
ですから、改名ではなく、戒名なのです。
しかし、その後 浄土真宗 親鸞さんや、日蓮宗 日蓮さんの登場で変わってきます。
戒名と法名の違いにつて
戒名や法名は、どちらも仏弟子になる際に授けられる二文字の名前(仏名)です。
戒名と法名の違いは、根本的な教義の違いになります。
仏教には、「戒律」と呼ぶ修行者の生活規律があり、すべての修行者は常に戒律を守らなければなりません。
先に挙げた、五戒を守り(在家の場合五戒 僧侶の場合は十戒ともいわれます)
西遊記で有名な「三蔵法師」は、一人ではありません
玄奘三蔵や羅什三蔵など、仏教を伝えた仏教者の事をさします。
三蔵とは、「戒」「律」「論」を伝えた方という意味です。
自発的に規律を守りたい心の表れを意味する「戒」と、信条や規則を指す「律」お釈迦様の教えに基づいて論じられた「論」
戒律は、規則だはなく、自らを律する誓いであります。
人は、戒律を守ることは原則不可能なことです。しかし、一つでも抑えた生活を送るための誓いです。
例えば、「不殺生戒」
殺すのは、人間だけでなく、動物であったり植物も意味します。お米であり花であり、すべてに命が宿っています
この命を奪わなければ私たちは生きていくことが出来ないのです。
ただ、その命を少しにする。すこしでも命を大切にしていく。この心掛けがあるのとないのでは大きな違いがある事でしょう。
このように、一つ一つ 一人一人の命を大切にして、仏道修行に励むことです
法名は、そんなことは出来ない。全部お任せ
法名は、私たちは凡夫であって、修行をして悟ることなどできない。
すばては、阿弥陀如来のおはからいである。修行ではなく生活のなかで阿弥陀仏の慈悲にすがって生きるのです
浄土真宗の元来の教えは、厳しい戒律を守って修行できない人が阿弥陀如来の働きによって救われて仏となるものです。
浄土真宗には、戒律がないので受戒が存在しません。受戒の代わりとして、仏法をよりどころとして生活する証として法名を授けられます。門徒として生きる誓いを立てるものです。
阿弥陀仏の教えを守りながら生きていくことを誓うものであるためです。
日蓮宗では、戒名とは言わず法号と言います。
日蓮宗では、「法華経を護持することは持戒に勝る」として戒名とは言わず法号といいます。
文字は、二文字であり、戒名と同じです。
戒律を守って生きていくのか?法華経を護持して生きていくの?阿弥陀様にお任せして生きていくのか?
これによって、根本的に違ってくるのです。
貴方はどのような生き方が良いでしょうか?
そうです。戒名は、元来生きている人が授かり、仏教徒として歩むためのものです。
決して死んでからのものではないのです。
この機会に、各宗派の教えを学び、ご自分がぴったりくる教えに触れて、楽しく・優しい人生を歩まれることをお祈りしております。