先日の「無(む)」に続き、本日は「無心(むしん)」であります。

坐禅を体験された方も多いことでしょう。
そのとき、
『「無心」にならなければ・・・』とか、
『無我の境地に至るのが坐禅である・・・』とか、
無理したことはないでしょうか。
自然にまかせればいいのですが、無理するときに苦痛が生まれたり、
二度と坐禅はごめんだ、というふうに、せっかくの良い体験が無になってしまう。
これでは無になれ という意味合いが違ってきますね。

「無心」になることは自然まかせであり、「無理」は余計な考えを起こすことではないでしょうか。
陶芸で無心になって器を完成させる。そのとき余計な考えがあると良い器ができない。
それこそ無理やりな器になってしまいますね。

「無心」とは「そのものに成りきる」こと。

坐禅のみならず、写経、武道、スポーツ、あらゆる動作に無心は大切な心です。
そのものに成りきって事を運ぶ。自然に身体が反応して良い結果が生まれた。
これこそ成りきった無心の状態ではないでしょうか。
「物事に徹する」そのときこそ無心でありたいものです。その時間が有意義となるものです。

次回は「自由」ということについてお話を続けたいと思います。ありがとうございました。